魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「25」

2017年12月16日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「25」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号025 
作者:三条右大臣
author of waka:THE MINISTER-OF-THE-RIGHT OF THE SANJŌ 【DISTRICT OF KYŌTO】(SANJŌ UDAIJIN)

原文
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
(なにしおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな)

現代訳
「逢う」という名の逢坂山、「さ寝」という名のさねかずらが、その名に違わぬのであれば、逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるように、あなたのもとにいく方法を知りたいものです。

英訳
HEAR thou art as modest as
 The little creeping spray
Upon Mount Ōsaka, which hides
 Beneath the grass; then, pray,
 Wander with me to-day.

The writer's real name was Sadakata Fujiwara, and he died A.D. 932. For an account of the Fujiwara family see verse No. 18. Mount Ōsaka mentioned here is the same place as that referred to in verse No. 10, and when spelled Ausaka it means 'a hill of meeting '. The suggestion is, that if she is really like the creeping vine which grows on Meeting Hill, she will come and meet him.

解説
 三条右大臣(さんじょううだいじん・貞観15年~承平2年 / 873~932年)とは藤原定方(ふじわらのさだかた)のことで、醍醐天皇の時の延長二年(924年)に右大臣となりました。
 屋敷が京都の三条にあったことから、三条右大臣と呼ばれましたが、和歌や音曲にすぐれ、平安時代中期を代表する政治家でもありました。
 三条右大臣のいくつかの和歌は、「後撰和歌集」などに伝えられているほか、中納言朝忠は、定方の子どもになります。

 三条右大臣には好きな女性がいましたが、関係が公になってしまい会えなくなったことから、この和歌が詠まれたと言われています。
 歌のつくりは巧みで、「逢坂山」は「会う」にかけられていて、「さねかずら」には「さ寝(男女が共に寝ること)」がかけられています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「24」

2017年12月15日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「24」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号024 
作者:菅家
author of waka:KWAN-KE

原文
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに
(このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに)

現代訳
今度の旅は急いで発ちましたので、捧げるぬさを用意することも出来ませんでした。しかし、この手向山の美しい紅葉をぬさとして捧げますので、どうかお心のままにお受け取りください。

英訳
I BRING no prayers on coloured silk
 To deck thy shrine to-day,
But take instead these maple leaves,
 That grow at Tamuké;
 Finer than silk are they.

The name given above means 'A house of rushes' but the poet's real name was Michizane Sugawara; he was a great minister in the Emperor Uda's reign and a learned scholar; his works comprise twelve books of poetry and two hundred volumes of history; he was degraded in A.D. 901, and died two years later, an exile in Kinshū, aged fifty-nine. He is worshipped as Tenjin Sama, the God of Calligraphy, and is a favourite deity with schoolboys.

Nusa are strips of coloured silk or cloth inscribed with prayers, which were presented at temples in the old days. Tamuke-yama no Hachiman, a temple at Nara, is the scene of this verse; it is famous for its maple leaves, and the poet intended to say, that the crimson colour of its own maples was finer than any brocade that he could offer. Another allusion is, that Tamuke-yama, near Nara, means 'The Hill of Offerings'.

解説
 菅家(かんけ・承和12年~延喜3年 / 845~903年)とは菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ )を尊敬したよび方です。
 道真は平安初期の公卿でありましたが、漢学者であり政治家としても活躍しました。
 宇多・醍醐の両天皇に信頼され、元慶元年、文章博士となり、後に右大臣になりましたが、左大臣藤原時平たちの讒言により、大宰権師に左遷され、延喜三年、九州の地で亡くなりました。

 この和歌は898年の秋、道真が宇多上皇のお供して吉野へ行く途中、一行が道祖神への供え物を忘れてきたことに気づき、その時に詠んだ和歌だと伝えられています。
 機知に富んでいるだけでなく、さわやかな気持ちとその雄大さが感じられる和歌になっていますが、つくりも巧みで、「このたびは」は、「この度」と「この旅」がかかっていて、「手向山」も「手向ける」という言葉をかけています。




★おススメ本★  

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河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「23」

2017年12月14日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「23」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号023 
作者:大江千里
author of waka:CHISATO ŌYE(ŌYE NO CHISATO)

原文
月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど)

現代訳
秋の月を眺めてていると、様々と思い起こされ物悲しいことです。秋はわたしひとりだけにやって来たのではないのですが。

英訳
THIS night the cheerless autumn moon
 Doth all my mind enthrall;
But others also have their griefs,
 For autumn on us all
 Hath cast her gloomy pall.

Chisato Ōye is said to have lived about the end of the ninth century; he was the son of a Councillor, and a very fertile poet. He was also famous as a philosopher, and acted as tutor to the Emperor Sei-wa, who reigned A.D. 859-876.

解説
 大江千里(おおえのちさと/生没年不明)は平安時代初期、宇多天皇の頃の漢学者で、参議・大江音人の子どもです。
 歌人として有名な在原業平、行平は大江千里の叔父にあたるといわれています。

 元慶三年・兵部大丞になっていますが、師の菅原是善と共に「貞観格式」を共撰したりしています。
 また、大江千里の和歌は「古今和歌集」に10首、勅撰和歌集などに25首が伝わっているほか、寛平6年、自分の歌を集めた「句題和歌(大江千里集)」を宇多天皇に献上しています。

 この和歌は自然の情景を詠んだものですが、秋の夜のもの寂しさがとてもよく伝わってきます。
 「月」と「わが身」、「ちぢ(千々)」と「ひとつ」を対比させているつくりも巧みで、秋を代表する和歌として、長く親しまれている歌のひとつです。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「22」

2017年12月13日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「22」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号022 
作者:文屋康秀
author of waka:YASUHIDE BUNYA(BUNYA NO YASUHIDE)

原文
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
(ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ)

現代訳
山風が吹きおろしてくると、たちまち秋の草や木が萎れてしまうので、きっと山風のことを「嵐(荒らし)」いうのだろう。

英訳
THE mountain wind in autumn time
 Is well called 'hurricane';
It hurries canes and twigs along,
 And whirls them o'er the plain
 To scatter them again.

This well-known writer lived in the ninth century, and was the father of Asayasu, who composed verse No. 37; he was also Vice-Director of the Imperial Bureau of Fabrics.

The point of this verse lies in the ideographic characters of the original; yama kaze (mountain wind) being written with two characters, which, when combined, form arashi (hurricane), and this, of course, it is quite impossible to reproduce correctly in the translation. The picture shows the wind blowing down from the mountain behind the poet and waving his sleeves about.

解説
 文屋康秀(ぶんやのやすひで/生没年不明)は平安時代初期の人で、貞観二年(860年)刑部中判事、陽成天皇の時の元慶元年(877年)山城大掾、同三年、縫殿の肋に任ぜられた事などが伝えられていますが、詳しいことは分かっていません。
 しかし、文屋康秀は歌人としては有名で、在原業平や小野小町たちとともに紀貫之が選んだ六歌仙のひとつりに数えられています。

 平安時代には、漢字を分ける言葉遊びの和歌が流行りましたが、この和歌はそういう面白さを詠ったもので、「あらし(嵐)」を「山」と「風」に別けて、詠み込んでいます。
 また、「あらし」に「(風)が荒らし」をかけていて、自然の風情を巧みに表しています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「21」

2017年12月12日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「21」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号021 
作者:素性法師
author of waka:THE PRIEST SOSEI(SOSEI HŌSHI)

原文
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
(いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな)

現代訳
「今すぐに行きましょう」とあなたがおっしゃったので、(その言葉を信じて) 九月の長い夜を待っていましたが、とうとう有明の月が出る頃を迎えてしまいました。

英訳
THE moon that shone the whole night through
 This autumn morn I see,
As here I wait thy well-known step,
 For thou didst promise me—
 'I'll surely come to thee.'

Sosei is supposed to have been the son of Bishop Henjō, the writer of verse No. 12, born before the latter entered the church, about the year 850. His name as a layman was Hiro-nobu Yoshi-mine, and he became abbot of the Monastery of Riyau-inwin at Isono-kami, in the Province of Yamato.

解説
 素性法師(そせいほうし/生没年不明)は僧正遍昭の子どもで、俗名を良岑玄利(よしみねのはるとし)といいます。
 清和天皇に仕え、左近将監になりましたが、父の勧めによって出家しました。
 京都の雲林院に住んでいましたが、寛平八年(896年) 宇多天皇の雲林院行幸のとき、権律師に任ぜられました。
 素性法師は藤原公任の選んだ三十六歌仙の一人として数えられている素晴らしい歌人ですが、書家としても優れていたと伝えられています。

 この和歌は恋の和歌で、せつない恋心がよく伝わってきますが、素性法師は、女性の立場になってこの歌を詠んでいます。
 「今来むと」とは「すぐに来る」という意味ですが、この頃は男性が女性の元へ通うのが普通でしたから、男性の立場なら「今行く」と詠まれるように思います。
 しかし、当時は女性の立場になって歌を詠むことも、和歌の遊びとして楽しまれていたようで、この歌も、そのような立場で詠まれています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「20」

2017年12月11日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「20」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号020 
作者:元良親王
author of waka:THE HEIR-APPARENT MOTO-YOSHI(MOTO-YOSHI SHINNŌ)

原文
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
(わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ)

現代訳
あなたにお逢いできなくて) このように思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。いっそのこと、あの難波のみおつくしのように、この身を捨ててもお会いしたいと思っています。

英訳
WE met but for a moment, and
 I'm wretched as before;
The tide shall measure out my life,
 Unless I see once more
 The maid, whom I adore.

The composer of this verse was the son of the Emperor Yōzei, who reigned A.D. 877-884; he was noted for his love-affairs, and he died in the year 943.

Mi wo tsukushite mo means 'even though I die in the attempt', but miotsukushi is a graduated stick, set up to measure the rise and fall of the tide; and Naniwa, the modern seaport of Osaka, seems to have been inserted chiefly as the place where this tide-gauge was set up. The poet may have meant, that the river of his tears was so deep as to require a gauge to measure it; or, as Professor MacCauley reads it, he was hinting, that if he could not attain his ends his body would be found at the tide-gauge in Naniwa Bay. The picture seems to show the poet on the verandah and his lady-love looking through the screen.

解説
 元良親王(もとよししんのう・寛平2年~天慶6年 / 890~943年)は陽成天皇の第一皇子で、和歌の才能にすぐれ、情熱的な和歌を詠む歌人として知られています。
 「後撰和歌集」に多くの和歌が伝えられている他、「今昔物語集」や「徒然草」などにも元良親王の逸話が残されています。
 天慶六年に五十四歳で歿、兵部郷であったので三品兵部郷とも呼ばれました。

 元良親王は宇多上皇の后・京極御息所と愛し合っていましたが、ふたりの間は宇多上皇の知るところとなり引き裂かれてしまいます。
 この和歌は、元良親王が「もう一度お会いしたい」と思って、自らの恋心を詠んだ和歌だと言われていますが、後半部では、激しい決意が表されています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「19」

2017年12月10日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「19」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
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和歌番号019 
作者:伊勢
author of waka:THE PRINCESS ISE(ISE)

原文
難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
(なにはがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや)

現代訳
難波潟の入り江に茂っている芦の、短い節と節の間のような短い時間でさえお会いしたいのに、それも叶わず、この世を過していけとおっしゃるのでしょうか。

英訳
SHORT as the joints of bamboo reeds
 That grow beside the sea
On pebble beach at Naniwa,
 I hope the time may be,
 When thou ’rt away from me.

The Princess Ise was the daughter of Tsugukage Fujiwara, the Governor of the Province of Ise; hence her name. She lived at the Imperial Court, and was the favourite maid of honour of the Emperor Uda, who reigned A.D. 888-897. She was noted for her talents and gentle disposition, and was the mother of Prince Katsura. Naniwa is the old name of Osaka. The picture shows the Princess on the pebble beach at Naniwa, and to the left are the bamboo reeds.

解説
 伊勢(いせ・貞観17年頃~天慶元年頃 / 875?~938年?)は平安時代初期の人で、伊勢守・藤原継蔭の娘で、宇多天皇の后・温子様に女官として仕えていました。
 後に天皇の寵愛をうけて御息所(みやすんどころ)とも呼ばれました。

 伊勢は皇子を出産しましたが、敦慶親王や后の弟である藤原仲平にも愛されるなど、伊勢は容貌や心情の美しい女性だと伝えられているだけでなく、和歌にも優れ、藤原公任が選んだ三十六歌仙の一人にも数えられています
 小野小町に次ぐ女流歌人として、「古今集」などの勅撰集にその和歌が伝えられていますが、娘の中務も伊勢の才能を受け継ぎ、三十六歌仙に名を残しています。

 伊勢は仲平と愛し合っていましたが、仲平は心を移していて「忙しくてお会いすることができません」というような手紙を出しました。
 この和歌は、その手紙に対して詠まれたものだと言われていますが、伊勢の素直な胸の内がよく伝わってきます。
 自然の情景を詠んだ前半部と、自分の気持ちを詠んだ後半部とを、「節の間」で巧みにつなぎ合わせていて、激しい恋心を詠んでいるにもかかわらず、その切なさが感じられる和歌になっています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「18」

2017年12月09日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「18」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
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和歌番号018 
作者:藤原敏行朝臣
author of waka:THE MINISTER TOSHI-YUKI FUJIWARA(FUJIWARA NO TOSHI-YUKI ASON)

原文
住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ
(すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ)

現代訳
住の江の岸に打ち寄せる波のように (いつもあなたに会いたいのだが)、 どうして夜の夢の中でさえ、あなたは人目をはばかって会ってはくれないのだろう。

英訳
TO-NIGHT on Sumi-no-ye beach
 The waves alone draw near;
And, as we wander by the cliffs,
 No prying eyes shall peer,
 No one shall dream we're here.

Toshi-yuki, who lived A.D. 880-907, was an officer of the Imperial Guard, and a member of the great and influential Fujiwara family. This family rose into power in the reign of the Emperor Tenchi, and became almost hereditary ministers-of-state. For a long period the Emperors chose their wives from this family only, and to this day a large number of the Japanese nobility are sprung from the same stock. Sumi-no-ye, or Sumi-yoshi, is in the Province of Settsu, near Kobe.

Note the word yoru used twice in the first instance as a verb, meaning 'to approach' and in the next line meaning 'night'. The illustration shows Toshi-yuki walking on the beach, and evidently waiting for the lady to join him.

解説
 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん・? ~902,907?)は、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の五朝に仕えていますが、陸奥出羽の按察使・富士麻呂の子とも言われています。

 藤原敏行は藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりに名前が挙げられていて、平安時代の優れた歌人で、『古今集』にある「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」もよく知られている和歌のひとつです。

 また、藤原敏行は歌人であると同時に書道にも優れ、空海に並ぶと言われるほどの書道の大家でもありました。
 世俗の身でありましたが、(書をよくしたので)「請われるままに写経をしたので地獄に送られた」などという話も、「今昔物語」や「宇治拾遺集」に残されています。

 この和歌は敏行の恋心を詠ったものですが、御所で開かれた歌会の折、思いを寄せる女性を思い出して詠まれたと言われています。
 「人目よくらむ」は「人目を避けようとしている」というような意味ですが、この主語は明記されていないので、「私」とも「あなた」とも取れるつくりになっています。
 「私」を主語としたなら、「夢の中でさえ、人目をはばかってしまう(気の弱い)わたし」というようにも解釈できます。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「17」

2017年12月08日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「17」

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和歌番号017 
作者:在原業平朝臣
author of waka:THE MINISTER NARI-HIRA ARIWARA(ARIWARA NO NARI-HIRA ASON)

原文
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
(ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは)

現代訳
(川面に紅葉が流れていますが)神代の時代にさえこんなことは聞いたことがありません。竜田川一面に紅葉が散りしいて、流れる水を鮮やかな紅の色に染めあげるなどということは。

英訳
ALL red with leaves Tatsuta's stream
 So softly purls along,
The everlasting Gods themselves,
 Who judge 'twixt right and wrong,
 Ne'er heard so sweet a song.

The writer, who lived A.D. 825-880, was the grandson of the Emperor Saga, and was the Don Juan of Old Japan; he was banished because of an intrigue he had with the Empress, and his adventures are fully related in the Ise-Monogatari. The Tatsuta stream is not far from Nara, and is famous for its maples in autumn. Chi haya furu, literally 'thousand quick brandishing (swords)', is a 'pillow-word', or recognized epithet, for the Gods, and almost corresponds to Virgil's Pious Æneas, and Homer's 'Odysseus, the son of Zeus, Odysseus of many devices'. It may be noted that these 'pillow-words' only occur in the five-syllable lines, never in the longer lines.

In the picture we see the poet looking at a screen, on which is depicted the river with the red maple leaves floating on it.

解説
 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん・天長2年~元慶4年 / 825~880年)は「在五中将」などともよばれ、兄の行平と共に平安時代を代表する歌人です。
 紀貫之が選んだ六歌仙のひとりとして、また、藤原公任の選んだ三十六歌仙のひとりとしても名前が挙げられている素晴らしい歌人です

 平城天皇の皇子、阿保親王の第五子で、『伊勢物語』の主人公のモデルだとも言われています。
 藤原氏の権力のため生涯不遇でしたが、「古今」、「後撰」、「拾遺」、「新古今」など、多くの勅撰集に和歌が残されています。

 ある時、業平は清和天皇の女御の高子様に招かれてお屋敷を訪ねましたが、(高子様は天皇にお仕えする前に業平と愛し合っていたので) 「屏風にわたしたちの恋を和歌にして書いてください」と願われて、この和歌をつくったと伝えられています。

 在原業平の心内が見えるような見事な和歌ですが、「古今集」では、屏風に描かれた竜田川の秋の情景を見ながら、この歌を詠んだとされています。
 「水くくる」の「くくる」は「くくり染め」のことで、紅葉が、水面に鮮やかな模様を描いている様が目に見えるようです。



★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「16」

2017年12月07日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「16」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号016 
作者:中納言行平
author of waka:THE IMPERIAL ADVISER YUKI-HIRA ARIWARA(CHŪ-NAGON ARIWARA NO YUKI-HIRA)

原文
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む
(たちわかれ いなぱのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ)

現代訳
あなたと別れて(因幡の国へ)行くけれども、稲葉の山の峰に生えている松のように、あなたが待っていると聞いたなら、すぐにも都に帰ってまいりましょう。

英訳
IF breezes on Inaba's peak
 Sigh through the old pine tree,
To whisper in my lonely ears
 That thou dost pine for me,—
 Swiftly I'll fly to thee.

Yuki-hira was the Governor of the Province of Inaba, and half-brother of the writer of the next verse (17); he died in the year 893, aged 75.

The word matsu in the original may mean 'a pine tree', but it may also mean 'waiting and longing for'. This is an instance of a 'pivot-word', imitated to a certain extent in the translation, although in English we have to employ the word twice over, while it only appears once in the Japanese.

The illustration shows the pine tree on the mountain, and the poet standing under it with two attendants.

解説
 中納言行平とは平安初期の貴族・在原行平(ありわらのゆきひら・弘仁9年~寛平5年 / 818~893年)のことで、阿保親王(平城天皇の皇子)の第二子で、在原業平の兄にあたります。

 勅撰歌人として「古今和歌集」に優れた和歌を残し、業平と共に文学に優れた才能を示しました。
 また、太宰権師となって官僚としても功績をあげ、 中納言から正三位民部卿にまで上りましたが、藤原氏の勧学院にならって、一門の学問所・奨学院なども創設しています。

 一方、行平は後年、須磨に流されたとも言われていて、「源氏物語」の「須磨」のモデルだとも言われています。
 謡曲「松風」では、須磨にある行平は松風と村雨という姉妹を愛するという物語になっています。

 行平は、三十八歳のとき因幡の国(鳥取県)の国司に任命されましたが、この和歌は、その時に別れを惜しんで恋人に贈った和歌だと言われています。
 「まつとし聞かば」の「まつ」は、「松」と「待つ」のふたつの意味をかけていて、自然の情景と出立する素直な心内を、機知のある表現で詠んでいます。




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河出書房新社


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そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「15」

2017年12月06日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「15」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号015 
作者:光孝天皇
author of waka:THE EMPEROR KWŌKŌ(KWŌKŌ TENNŌ)

原文
君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
(きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ)

現代訳
あなたのために春の野に出て若菜を摘んでいましたが、春だというのにちらちらと雪が降ってきて、私の着物の袖にも雪が降りかかっています。 (それでも、あなたのことを思いながら、こうして若菜を摘んでいるのです)

英訳
MOTHER, for thy sake I have been
 Where the wakana grow,
To bring thee back some fresh green leaves
 And see—my koromo
 Is sprinkled with the snow!

Kwōkō was raised to the throne by the Fujiwara family, when the mad Emperor Yōzei was deposed; he reigned A.D. 885-887, and is said to have composed this verse in honour of his grandmother.

Wakana, literally 'young leaves', is a vegetable in season at the New Year; a koromo is really a priest's garment, but is used here for the Emperor's robe.

In the picture we see the Emperor gathering the fresh green leaves, and the snow falling from the sky.

解説
 光孝天皇(こうこうてんのう・天長7年~仁和3年 / 830~887年)は、五十五歳のとき陽成天皇にかわり、第58代天皇として即位されましたが、わずか在位四年で崩御なされました。
 仁明天皇の第三皇子で、「仁和の帝」、「小松の帝」とも呼ばれ、幼き頃より学問好きで聡明であったことは『大鏡』にも記されています。
 優れた文化人であると共に、和歌や和琴などにもよく通じておられました。

 光孝天皇は、即位後も野草を摘みに出かけるように気さくなお人柄でした。
 この和歌はその時に詠まれた和歌だと伝えられていますが、まだ皇子だった頃、人に若菜を贈る時に添えた歌だとも言われています。
 しかし、いずれにしても情景が素直に詠まれていて、光孝天皇の心の優しさも伝わってくる歌になっています。

 ところで、「若菜」は春に採れる食用の草のことで、この時期の七草の初芽を食べると万病によいとされていて、今の七草粥の起源になっています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「14」

2017年12月05日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「14」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号014 
作者:河原左大臣
author of waka:THE MINISTER-OF-THE-LEFT OF THE KAWARA【DISTRICT OF KYŌTO】(KAWARA NO SADAIJIN)

原文
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに
(みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに)

現代訳
奥州のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心も(恋のために)乱れていますが、いったい誰のためにこのように思い乱れているのでしょう。 (きっとあなたの所為に違いありません)

英訳
AH! why does love distract my thoughts,
 Disordering my will!
I'm like the pattern on the cloth
 Of Michinoku hill,—
 All in confusion still.

The old capital of Kyōto was divided into right and left districts, and the above is only an official title; the poet's name was Tōru Minamoto, and he died in the year 949. At Michinoku, in the Province of Iwashiro, in old times a kind of figured silk fabric was made, called moji-zuri, embroidered with an intricate pattern, which was formed by placing vine leaves on the material, and rubbing or beating them with a stone until the impression was left on the silk. There is a hill close by, called Mount Shinobu, and a small temple, called Shinobu Moji-zuri Kwannon. Shinobu can also mean 'a vine', 'to love', or to 'conceal (my love)'. The meaning of this very involved verse appears to be, that his thoughts are as confused with love as the vine pattern on the embroidered fabric made at Mount Michinoku. The picture seems to show the lady with whom the poet was in love.

解説
 河原左大臣(かわらのさだいじん・弘仁13年~寛平7年 / 822~895年)は源 融(みなもとのとおる)のことで、元は嵯峨天皇の皇子でしたが、皇族をはなれて源の姓を名乗りました。
 貞観十四年(872)に左大臣となり、京都六条の河原院に住んだことから、河原左大臣と呼ばれるようになりました。
 融は宇治と嵯峨に別荘を持っていましたが、宇治の邸は融がなくなった後、藤原道長の別荘となり、その子の関白・藤原頼通が寺に改めたのが平等院です。

 河原左大臣はある日恋人から届いた手紙の返事として、この和歌をつくったと言われていますが、恋に悩む心のうちが目に見えるようです。
 「しのぶもぢずり」は忍び草を用いた乱れ模様の布のことですが、これによって、心の乱れが目に見える形で詠まれていますが、結句の「我ならなくに(私のせいではなく)」によって、和歌に余情をもたせています。


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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「13」

2017年12月04日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「13」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号013 
作者:陽成院
author of waka:THE RETIRED EMPEROR YŌZEI(YŌZEI IN)

原文
筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
(つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる)

現代訳
筑波山の峯から流れてくるみなの川も、(最初は小さなせせらぎほどだが)やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。

英訳
THE Mina stream comes tumbling down
 From Mount Tsukuba's height;
Strong as my love, it leaps into
 A pool as black as night
 With overwhelming might.

It was a frequent custom in the old days for the Emperors of Japan to retire into the church or private life, when circumstances demanded it. The Emperor Yōzei, who was only nine years of age when he came to the throne, went out of his mind, and was forced by Mototsune Fujiwara to retire; he reigned A.D. 877-884, and did not die till the year 949. The verse was addressed to the Princess Tsuridono-no-Miko. Mount Tsukuba (2,925 feet high) and the River Mina are in the Province of Hitachi.

Koi here means the dark colour of the water from its depth, but it also means his love, and is to be understood both ways. Note also mine, a mountain peak, and Mina, the name of the river.

解説
 陽成院(ようぜいいん・貞観10年~天暦3年 / 868~949年)は清和天皇の第一皇子で、貞観十九年(877年)、十歳のときに第五十七代天皇として即位されましたが、病気などのため、わずか十五才(或いは十七才)で廃位され、皇位を孝徳天皇に譲られました。

 また、百人一首・第20番を詠まれた元良親王(もとよししんのう)は陽成天皇の第一皇子ですが、退位して上皇となられた陽成院は、孝徳天皇の内親王に恋をしていたと言われていて、この和歌はその恋心を詠ったものと伝えられています。

 筑波山は恋の歌に取り上げられることの多い題材ですが、この和歌では、そこから流れ出るみなの川を取り上げています。
 その様子は、小さな恋心が、やがては大きく育っていく様のようで、自然の姿をうまく重ねた、作者の深い思いが伝わってきます。




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河出書房新社


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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「12」

2017年12月03日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「12」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号012 
作者:僧正遍昭
author of waka:BISHOP HENJŌ(SŌJŌ HENJŌ)

原文
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
(あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ)

現代訳
空吹く風よ、雲の中にあるという(天に通じる)道を吹いて閉じてくれないか。(天に帰っていく)乙女たちの姿を、しばらくここに引き留めておきたいから。

英訳
OH stormy winds, bring up the clouds,
 And paint the heavens grey;
Lest these fair maids of form divine
 Should angel wings display,
 And fly far far away.

The poet's real name was Munesada Yoshimune, and he was the great-grandson of the Emperor Kwammu. On the death of the Emperor Nimmyō, to whom he was much devoted (A.D. 850), he took holy orders, and in the year 866 was made a bishop. He died in the year 890, at the age of seventy, from being buried, by his own wish, in a small stone tomb covered with soil, with only a small pipe leading from his mouth to the open air; he remained thus, until hunger and exhaustion put an end to his life. He is said to have composed the above verse, before he entered the priesthood, on seeing a dance of some maidens at a Court entertainment; he pretends that the ladies are so beautiful that they can be nothing less than angels, and he is afraid they will fly away, unless the wind will bring up the clouds to bar their passage. In the picture he is shown with two acolytes, apparently addressing the wind.

解説
 僧正遍昭(そうじょうへんじょう・弘仁7年~寛平2年 / /816~890年)は、俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、紀貫之が選んだ六歌仙のひとりに挙げられているだけでなく、藤原公任が選んだ三十六歌仙にも名前がある優れた歌人でもありました。
 桓武天皇の子どもである大納言・良岑安世の八男で、百人一首21番・素性法師は僧正遍昭の子どもでもあります。

 仁明天皇に仕え、蔵人頭、左近衛少将となりましたが、宗貞三十五歳のとき、天皇が崩御なされた時、世をはかなんで、叡山にのぼり出家しました。

 この和歌は、遍照がまだ仁明天皇に仕えていた頃、宮中で「五節の舞(毎年十一月に行われる儀式での踊り)」を見て作られたものと言われています。
 五節の舞は、かつて天武天皇が吉野に行幸していたとき、夕暮れ時に、天皇が奏でる琴の調べを聞いた天女たちが、天から舞い降り、その調べに合わせて舞を舞ったというのが起源とされています。
 この五節の舞に合わせて詠まれた歌は、美しい乙女たちが舞う姿を天女に例え、とても趣のある和歌になっています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「11」

2017年12月02日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「11」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号011 
作者:参議篁
author of waka:THE PRIVY COUNCILLOR TAKAMURA(SANGI TAKAMURA)

原文
わたの原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね
(わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね)

現代訳
(篁は)はるか大海原を多くの島々目指して漕ぎ出して行ったと、都にいる親しい人に告げてくれないか、そこの釣舟の漁夫よ。

英訳
OH! Fishers in your little boats,
 Quick! tell my men, I pray,
They'll find me at Yasoshima,
 I'm being rowed away
 Far off across the bay.

Takamura, a well-known scholar, rose from poverty to riches on being appointed a Custom-house officer for the ships trading to and from China. His enemies reported him to the Emperor as an extortioner and a thief, and he was deported to Yasoshima, a group of small islands off the coast; he is said to have composed this song and sung it to the fishing-boats, as he was being carried off. He was afterwards pardoned and reinstated, dying in the year 852.

解説
 参議篁(さんぎたかむら・延暦21年~仁寿2年 / 802~852年)は参議・小野岑守の子どもで、小野篁といいます。
 子どもの頃は弓馬を好んでいましたが、後に学問転じて、漢詩文などで名を上げました。
 和歌にも優れた平安初期の学者で、同時代の在原業平と共に、参議篁は高い評価を受けています。

 また、承和三年、篁は遣唐副使に任ぜられましたが、訳あって、大使・藤原常嗣と争って乗船しなかったため、隠岐の島に流罪になりました。
 その後許されて参議にすすみましたが、参議は、太政官の大納言、中納言に次ぐ役職で、「宰相」などとも呼ばれていました。

 この和歌は、隠岐に流罪になって送られていく途中、出会った漁夫の釣り舟を見てつくった和歌だと言われています。
 結句の「あま(海人)のつりぶね」では、人にではなく、釣り船に語りかけていますが、これによって、歌全体に哀しい孤独感が漂っていて、これからの暮らしや境遇に対しての篁の決意が、よく伝わってくる和歌となっています。




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厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
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