今日、二度目の北山耕平さんの見舞いに行った。見舞い、というより話しに行った、と言う方がより正確だろう。2時間ばかり、ゆっくり話した。作業療法の時間になって、30分余り、彼がリハビリに励むところに付き合った。
仰向けになって、手の平大の軽いボールを両掌で挟み、顔の上方に持ち上げる。また、お手玉を数メートル先の籠に投げ入れる。腕の麻痺を回復する訓練だ。右側の麻痺が酷く、思うように腕を持ち上げられなくて、ボールがうまく投げれないという。
次に、痺れて動かしにくい指の回復のため、籐を編んで小さな籠を作る作業だ。もう大分進んでいて、あと数回で籠が完成するという。これは北山さんの闘病の記念作品になる。
人はいつ何時どんな病気にかかるか分からない。北山さんもまさか自分が脳卒中で倒れるなど、思いもよらなかっただろう。ましてや家族の方の驚きは想像も付かない。病気は、現実となって初めてリアリティを持って迫ってくる。そう言う私は、毎日数錠の薬を飲むようになった今も、病気に対するリアリティとはほど遠い毎日だ。
この病院では、多くの患者さんがリハビリに励み、多くの療法士の方たちがリハビリの援助をしている。もちろん医師や看護師の方たちもそれぞれの役割を担って立ち働いている。こうしてリハビリに励む人たちを見ていると、病気は一人でなっても、一人では治らないという思いが強くする。それに、北山さんが、すれ違う人に気軽に声を掛ける様子を見て、癒しの力は、人から協力を得、自分から作り出し、関係性の中で大きくなるのだなという思いを強く持った。
その北山さんの退院が来週の28日に決まったという。今度は、病院から家庭に拠点を移して、リハビリを生活の中に組み入れた新しい一歩が始まる。彼はこれらの体験を、いずれ彼の言葉で語ってくれるだろう。
仰向けになって、手の平大の軽いボールを両掌で挟み、顔の上方に持ち上げる。また、お手玉を数メートル先の籠に投げ入れる。腕の麻痺を回復する訓練だ。右側の麻痺が酷く、思うように腕を持ち上げられなくて、ボールがうまく投げれないという。
次に、痺れて動かしにくい指の回復のため、籐を編んで小さな籠を作る作業だ。もう大分進んでいて、あと数回で籠が完成するという。これは北山さんの闘病の記念作品になる。
人はいつ何時どんな病気にかかるか分からない。北山さんもまさか自分が脳卒中で倒れるなど、思いもよらなかっただろう。ましてや家族の方の驚きは想像も付かない。病気は、現実となって初めてリアリティを持って迫ってくる。そう言う私は、毎日数錠の薬を飲むようになった今も、病気に対するリアリティとはほど遠い毎日だ。
この病院では、多くの患者さんがリハビリに励み、多くの療法士の方たちがリハビリの援助をしている。もちろん医師や看護師の方たちもそれぞれの役割を担って立ち働いている。こうしてリハビリに励む人たちを見ていると、病気は一人でなっても、一人では治らないという思いが強くする。それに、北山さんが、すれ違う人に気軽に声を掛ける様子を見て、癒しの力は、人から協力を得、自分から作り出し、関係性の中で大きくなるのだなという思いを強く持った。
その北山さんの退院が来週の28日に決まったという。今度は、病院から家庭に拠点を移して、リハビリを生活の中に組み入れた新しい一歩が始まる。彼はこれらの体験を、いずれ彼の言葉で語ってくれるだろう。