「どうやら時間のムダだってわかったようだな。あれさあ、おまえのクルマ? ニイナナ。あれももらっとこうかな。必要ないだろ。おまえには」
そうなるか。ラストエンペラーは、この男は、給油機のわきにとめてあるおれの、ナガシマさんのクルマをあごでしゃくった。
なにするにも強いヤツが総取りする。それが人間社会の仕組みだとしても、いまはそんな経験をしたくない。おれはなにひとつ手放したくない。自分の手の内にしたものがいずれは興味がなくなるとしても、自分の手にあまるなんて認めるなんてできはしない。
朝比奈が男とクルマのあいだに割って入った。組んだ腕は強い意志を示している。
「勝負はする。時間のムダにはしない。わたしたちにはムダにするような時間はない。そのうえでアナタが勝てば、クルマでもわたしでも好きにすればいい。それがアナタたちの貴重な時間ならば… 」
「オウ、オウ。どうしても悪あがきしたいみたいだな。そうやって腕組むと乳がますます盛り上がってスゲエな。早くじかにお目にかかりたいもんだ。いいだろう前技代わりにつきあってやるぜ。アンタなんて呼ぶな。オレはな観笠土っていうんだ。ミカサド」
そう言って、ヤツらは朝比奈の脇をいやらしい目をしながらすれちがい事務所から出ていった。おれも思っていたことをコイツは、ミカサドは、サラリと言いやがって。やっぱりオトコなら見るよなあ、、、 そこ、、、 朝比奈のイヤミなんか届いてもいないだろうなあ。
朝比奈もそんなことを言われても腕をくんだままだ。一歩もひくつもりはないらしい。もうあともどりできない状況まできたんだから、おれもハラをくくるしかない。
「どういうことなんだ。星野」
オチアイさんはおれを見上げた。声は小さいだけどドスが効いている。不満がありありだ。なにをどう説明したもんか、、、 そんな時間ないけどな、、、
「ホシノくん… 」
久しぶりに会ったキョーコさんにも心配をかけてしまった。ナガシマさんの葬式以来だっていうのにこんなかたちでの再会となり、ナガシマさんのクルマをこんなことにつかっているのを見つかってしまって、なんとおわびすればいいのやら。
「イチエイ。おまえなに朝比奈とつるんでるんだよ。朝帰りたあ、おだやかじゃない。いやうらやましいな」
マサトはほかっとこう。
「…」
女子大生のお姉さんとは接点がない。
アイツ等がお別れ会なる場にズカズカと乗り込んできて、どんな振る舞いをしてきたのか、、、 台無しにしたのはまちがいない、、、
「ホシノ。行くよ。いまは走ることに集中して。わかるでしょ、これまでやってきたんだから」
朝比奈のかけ声に、誰もが言葉をつぐんだ。もとよりおれも、いちいちみんなの問いに答えられるほど余裕はない、、、 オチアイさんを放置するのはちょっとこわい、、、 思い切ってきびすを返して、朝比奈に続いた、、、 逆だな、、、
「あいかわらずだな、あのネエちゃん。星野よ、どうやらそういう状況じゃないみたいだな。オマエがどれほど走れるのか知らんが、戦う以上は勝て。ヤツラにネエちゃん好きにさせるわけにはいかんだろ」
戦う理由。そんなものは向こうから勝手にやってきただけだ。戦う必要なんかなかったはずなのに、いつのまにかその場所に引きずり出されたんだ。
ただ、ほんとうに自分が望んでいなかったのか、言いきれない部分もある。実はおれは戦いたかったのかもしれない。走りたかったのかもしれない。勝負の方法がどうであれ、繰り返し戦うことを、その工程を含めて味わいつづけていたかった。だから誰か彼かのひとづたいでこうなることを、、、 望んでいたんだ。
「ホシノくん。ごめんなさい。わたしがクルマを譲ったりしたからこんなことに」
キョーコさんにそれを言われるのは心苦しかった。過去にとらわれて生きていちゃいけない。なにでもかんでも過去のしがらみとか、誰かのせいにして生きていくのは無益なんだ。それが動機となるのは往々にしてあるけれど、自分自身のためじゃなくなる。まわりに依存している人生では意味がない。
朝比奈はうっすらと笑った。それでいいと言わんばかりに。そういう意味じゃないのかもしれないけど、そう取っておけばいいさ、このタイミングであえて悪いように取る必要もない。
ヤツラは待っている。ヤザワたちが乗っていたクルマと、そしてもう一台。フロントボディの長い、見るからにスポーツカーとしたクルマが止まっている。
必要以上に相手を大きく見ることはない。勝つことを考えるんだ。勝つための方法を。
ミカサドはクルマに乗り込んで、すかさずエンジンをかける。低く重たい音が腹に響いてきた。威圧するつもりなんだ。スキっ腹にはなお堪える。そういえば腹へったな。ジャバさんのところでコーラ飲んで、夜中にコーヒー飲んだぐらいで固形物を口にしていない、、、 威圧されたのか、、、
つまりおれは、その音にビビることもなく、冷静にヤツラの動向を見据えていた。
それでも余裕を見せつけるつもりらしく、エンジンをあおって大きな音をたてることもなく、低いエンジン音をキープしている。ドッ、ドッ、ドッとバスドラがリズムを刻むのに近く、それはオープニングソングが始まるライブ会場を思わせる。そう、着実に始まりを迎えているんだ。
「星野。心配するな。イジってはあるが、ナガシマのクルマと遜色ない。勝負にはなる」
オチアイさんが耳元でそう言ってくれた。たぶんなんの根拠もないはずだ。だってオチアイさんはおれたちがどうゆう勝負をするか知らないんだから。おれを落ち着かせようとして言っているに過ぎない。それでもうれしかったけどさ。
運転席から顔を出してミカサジが口であおってきた。ボクシングの調停式とか、計量会場で相手をコケにしたり、怒らせるようなこと言って、心理的に揺さぶろうってやつだ。アリが大口たたいてはなにかと話題になる。でもさ、おれなんかにそんなことする必要があるのか? なんだかんだいって、朝比奈のかけひきが効いているのかもしれない。
「ナニもたもたしてるんだ。はやくクルマに乗れよ。それとも、いまからワビでも入れるってのか? もう聞くつもりはないけどな。怖くてビビってんならネーちゃん置いて、逃げたっていいんだぜ」
窓から突き出された顔はにじみ出るイヤラしさを隠そうともせず、どうやらこの連中はいずれも頭脳派ではなさそうで、それで朝比奈の戦術にはまりやすいんだろうか。少し安心した、、、 肉体派だから楽ってわけじゃないけど、、、 かえってやっかいだろ。
朝比奈は、またまた一歩前に出てあいだに割って入る。
「せっかちだな。さっそくクルマに乗り込んで。それともいまから逃げ出す準備なのか? なんにしろ、怖くてビビってんなら仲間見捨てて、逃げたっていいんだぜ」
「てめえっ!!」
絶妙な切り返し。ミカサドの顔が見る見る赤黒くなって額に血管が浮き出てきた。怒りからはなにも生まれないと朝比奈は言った。つまりは怒らせて冷静さを欠かせればそれだけこちらが有利になるということだ。
平静を保つに限らず、こころの持ちようは大切だ。どれだけ素晴らしい技術を持っていても、必要なときにその能力が使えなければ意味をなさない。自分を含めてそんなやつらを幾人も見てきた。どうして本番で練習のタイムがでないのか。意気込んでからまわりしだり、プレッシャーに押しつぶされてからだがすくんだりするヤツらがいる一方、レースになるとがぜん眠っていてい力を発揮するヤツもいるから驚くんだけど。
必死になって練習して成果をだしてきたヤツらを嘲笑うかのように先頭でゴールする。理不尽なのかもしれないけどそれが現実だ。
一夜漬けのおれは、それにすがりたい、、、 ぜひとも、、、