private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over22.2

2018-08-26 12:03:57 | 連続小説

「おおっと。やばい、やばい。なるほどな。お嬢さんはかけひきがお上手だった。コイツらもうまいことノセられたみたいだし。アンタに、おっと、アンタって呼ぶのはよくないって、自分で言っておいてそりゃなかった。よかったら名前、教えてくれよ?」
 ミカサドはすぐに落ち着きを取り戻した。どうやらアイツらから事前に情報を仕入れているらしい。
 
小指の先で首を掻く朝比奈は、いかにもつまらなそうだという反応だ。こうして相手をイラつかせていくんだろう。それなのにおれにとってはセクシーなポーズにしか見えない、、、 のはなぜなのか、、、
「なまえ、なんてどうでもいいんじゃない。そんなものはひとつの象徴とか記号でしかないんだし。わたしは貴方みたいに気にしないから。わたしはわたし、何者でもない。好きに呼んでもらえばいい」
 ミカサドは表にはださないけど、怒りで血管が波打っているはずだ。朝比奈に余計なことを言うからそんな目にあう。朝比奈にしてみれば顕微鏡の中の微生物を覗いてるぐらいの感覚で、どこからでも、どんなふうにでも攻撃できるんだ。そいつはおれが少しでも有利に戦えるようにいろんな手をうっているんだ、、、 もしくはそもそもそれが、朝比奈の性分なのか、、、
「好きに、そうか、それもいい。そうだな。じゃあ、マリちゃん、ルリコ、エリィがいいか。いとしの、なっ」
 おしい、、、 くもないか、、、 エリナってのもホントかどうか怪しいもんだし。
「まあ、そんなところでしょ、貴方が思い浮かべられるのは。だから、教えてもしかたないって。生まれや育った環境がどうしても出るんだ、そういうのって。それで貴方の運転技術も戦略も想像がつく、でしょ」
 ありゃー、こうじわじわと男のプライドをキズつけるような言いかされりゃ、たまったもんじゃないだろうな。
 
そしてミカサドは早々に舌戦を終わりにした。
「チッ。お嬢さんにのせられたみたいだな。余計な話しして、読み切ったようにしてプレッシャーをかけて、オレを揺さぶろうったってそうはいかねえ。さあてと、交通量が増えてきてもめんどうだ。早いとこやろうや」
「早いとこケリつけたいのはコッチも同じ。小学生じゃあるまいし、お名前、名乗り合ってる場合じゃなかったんじゃない?」
 ひとついえば、ふたつや、みっつのカウンターを受けるとようやく気づいたらしい。だいたい、そうはいかねえって、すでにそうなってるし。
 
朝比奈は吠えさかる猛犬を手なずけたかのような表情になる。それがまたミカサドのカンにさわるようで目元をヒクつかせている。
「いい、あの歩道橋見えるでしょ。向こうの信号からスタートして、あそこまでがだいたい800メートル。先にゴールした方が勝ち。しごく単純な勝負」
 ミカサドは目線を信号から歩道橋まで動かした。いいだろうと言ってニヤける。昨夜のリーダーと同じように、少しでも余裕のあるところを見せて、陽動作戦にひっかかってないとアピールしているようだ。ほかのヤツラもうなずいて、楽勝だとか、こりゃブッチギリだとか、声をかけあっている。ヤザワのヤツはひとり真剣な顔でおれを見ていた。
 
コイツ本当は自分でやりたいんだろうな。ミカサドの登場で譲らなければならなくなり、はがゆい思いをしているのか。なにしろきっかけを作ったのは自分だ。朝比奈うんぬんより、アイツだって自分の手で決したかったはずだ。ガソリンかけられたまま指くわえてなにもできない。そういうのが下っ端のつらいところだな、、、 と、このなかで一番ヒエラルキー最下層のおれが言う、、、
「ホシノ。クルマに乗って。だいじょうぶ。わたしが勝たせてあげる」
 
はい。最上層の朝比奈がそう言って、天使の微笑みをたずさえた。ヤツらにとっては悪魔の微笑み。ひとの上に立つ者には天使と悪魔が同居しているんだ、、、 そして美しい、、、
 
おれはそのまま運転席に押し込められて、かわいいおしりでドアを閉められ、朝比奈は再び挑発的に腕を組んだ。そしておれには小声で、、、 ヤツらには気づかれないようにほとんど口を動かさずに、、、 次の指令を出した。
「いい、スタートラインにはゆっくりと向かって。アイドリングで進むぐらいのスピードで。ただし… 」
 それってかなり難易度高いんじゃないのか。おれはそんな芸当ができるほど手馴れてない。もし、、、
「いい? 間違ってもエンストしないで、ねっ」
 ねっ、って。それ言わないでくれる? そこ一番心配しているのに。そんな醜態を見せればあっという間に化けの皮が剥がれて、そこで勝負あったとなってしまうでしょうが。
 そりゃおれもその方が効果的なのはわかるよ。あわててスタートラインにつけば余裕がないように見られるだろうから。とはいえ、そいつを実践するのは簡単ではない。クラッチをつないで、低速で進むためにすぐにアクセルを戻せば、たちまち回転数が急降下してエンスト、、、 エンジン・ストールね、、、 してしまう。足元で適度な回転数をキープしつつ顔は平静をたもつって、水面を優雅に進む白鳥じゃないんだから。
「そうねえ、クラッチ盤がいい感じで磨り減ってアタリがついてるから、少々粗っぽくつないでもストールする心配はないでしょ。あとはその状態をキープしてクルマを進める… 」
 
その状態をキープって、簡単に言ってくれちゃって。
 
どうやらそれはナガシマさんが長いあいだ使い込んだために、うまいぐあいスムーズに連動するようになっているってことらしい。きっとちょうどいいってナガシマさんが気に入っていたんだろう、、、 感謝しなきゃいけないのかもしれない、、、 ひとがしてきたことの、なにが、どこで、誰とつながっていくかなんて誰にもわかんないんだから。
 
おれはエンジンをかけ、、、 これも一発でかからないと、とんでもないことになるプレッシャーのなか、、、 ようとキーをひねる。ブスッといういやな音がしてケツがキュッとしぼんだけど、なんとかエンジンはかかり、おれはなんでもないようにすまし顔をつづけた、、、 ほんとは少しチビった、、、 
「いい、ホシノ。わたしの歩幅にあわせてね」
 
なんて、勝手なこと言って朝比奈は歩きだそうとする。軽くエンジンをあおると回転数がレスポンスよくあがり、そして急降下する。そこをとらまえてクラッチをつなぐ、車体の鼻先が少し持ち上がり、クルマは低速のまま前に進んだ。
 朝比奈はドアに手をたずさえたまま、馬の手綱を引く調教師よろしく、おれをスタートラインまで導いた、、、 イヌから、ウマへ昇格したか、、、 調教ってなんかエロいな。
 
おれは回転数をキープしたまま、、、 足の親指で細かく調整するから、あしが攣りそうになるのをこらえるのにも必死、、、 左足でクラッチをつないだり、切ったりしてトロトロとスタートラインへ向かった。左足もまた緊張して、試合前にこれだけあしを酷使して、これでホントに勝てるのかって文句のひとつも言いたくなる。
 
ミカサドはそれを見て案の定あせったみたいで、急発進しておれたちの外側を通り、先にスタートラインに着いた。そしてニヤニヤとこっちを向いている。それがアイツの精いっぱいの主導権の取り方なんだろう。
 
おれはその後も焦る気持ちをオモテに出さないようにして、止まりそうなスピードを、心臓が止まりそうになりながら保ったまま、ゆっくりとスタートラインへ並んだ。
 
ほんの十数メートルの冷や汗ものの道のりだったけど、タイヤがアスファルトを噛む音がなんだかだんだんと心地良く感じられるようになった。
 
そして二台が並んだクルマの真ん中に朝比奈は立った。
「そこのアナタ、クルマの前に立って」
 
朝比奈がヤザワを指差した。やっぱりこの場を仕切るのは、、、 朝比奈なんだ、、、