private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over24.21

2020-02-15 08:45:37 | 連続小説

「そういうところに差を感じたりするし、悔しいと思ってる姿をみられるのも意にそぐわない。そうなんだけどね。そう。いいわ、簡単なコード進行で弾ける曲があるからやってみて。最初はAで2小節」
 なんだか報復されるような気がする。Aか。これはオープンコードで押さえやすいヤツだ、、、 やっぱりAからはじまるのは安心感があるな、、、 ということは、次はBかな。
「夢の後始末は自分ですることね。残念ながらそれはF。ネックを握る方じゃなくて指を立てて。それで中指ははずす。そうそんなタッチで。これでFmになる。さらにひとつフレットをずらしたのがFm#。このまま2小節」
 マイナーっていうだけあって暗い音調になる。すこし切ない感じ。ああいいな、こんな曲調。楽器弾いてるって気になるし、聴いてる人が物悲しさを感じてくれてそうで、それをおれの演奏でそう思ってくれるってのがまた、、、 楽器を弾くとひとは独善的になるだろうか、、、
「クルマを運転するのも、楽器を弾くのも大人になる扉を開けていくひとつひとつの儀式なんだよ。人によってそんな目標は他にもそれぞれあるだろうし、そうして王子は王様になることができる。自分の人生への支配はそうやってはじまっていく。うまく儀式を通過できない者は、過去に後悔を残して、その回収にひと苦労する」
 そうして夢の世界に生きていくしかなくなるんだ。朝比奈はおれが大人になるための儀式を手伝ってくれているのだろうか、、、 なんのために、、、 そんなやわいことを考えてると、朝比奈の目が流れるように動いてさげずむような表情をみせる。
 なんにしろこれはFの押さえかたなんで、気を抜くと音がこもるから、返した手首がつりそうになるけどしっかりと力をこめる。力の分配ができるうちはまだ大丈夫だ、、、 いろいろとね。
「いろいろとね。そう、それでつぎがD。したから弦を3本。一番細いのを中指、それから薬指、人差し指の順にこう押さえていく。とはいえね、べつに握り方はどうだっていいんだ。自分が握りいいようにすれば。それがだいたいスタンダードな握り方になる。普遍なものはそうやって浸透していく。ホシノもさっき言ってたでしょ。キスして、愛撫して、そして性交に至る。有名人がフルネームで呼ばれるように。そうやってこの世界はできてきた」
 そこでさっきの掘り起こしてくるか。ありきたりなおとこなんでスイマセン。それが世間の常識の中で生きていると、愚にも付かないおれができあがる。いまの世界で幸せかと訊かれや、そうだと答えるし、だからってこの世界に不満はないわけじゃない。
 どうしたっておれたちは、ひととおりあたりさわりのない行動をして、それにあきれば違うやり方を試してみる。ひとに変人と呼ばれる奇行が、いつしかスタンダードになっていくことだってあり、偶然の産物で世の中は変わってきた。進化も退化も数の原理が決めただけだ。
 Dは細い弦を押さえるから高い明るい音がした。マイナーではないからってのもある。
「そしてE。DとEはワンフレーズずつ。またAに戻って2小節。これを繰り返す。よし、やろう。レッツプレイ」
 えっ、もう。しかたなくおれはコードを押さえて、右手でストロークをする。押さえるタイミングと弦を鳴らすタイミングがズレて音がこもるし、コードを変えるときの指の動きが遅くて、しっかりと押さえられないまま音を出してしまい曲が乱れる、、、 曲ってほどたいした演奏ではない、、、
 朝比奈はそうなることを予測していたかのように、鼻から息を漏らしていた。おれは悪あがきのようにうまくまとめようとする。心臓が爆音するぐらいに高鳴ってくる。はじめてやるんだからうまくいくはずもないのに、こんな状態であればさらにカラダが思うように動かない。
 それでもすぐにできるところを見せないとおとこがすたるとか、だれもそんなこと期待してないし、実際できもしないのにあらがってしまう。練習しなきゃうまくはならないのはなんだっておんなじで、これはまだ序の口でしかない。
「そうやって、もがいてる姿って嫌いじゃない。おとこってカッコつけだから、はじめかっらイイとこみせないと気が済まないみたいだけど、そんなことありえないのにね。それを目の当たりにすると、そのまんまでなんか笑える」
 笑われてしまっていいのだろうか、、、 おれの脳が警告を発している、、、 
 楽器を演奏するための動作には理由がある。何にだってひとつひとつに理由があり、それによって起因する行為を理解して、かつ連続的におこなっていくことで行為としてなりたつわけで、前進するにはこれぐらいの難易度があったって当然なんだと思う。
「なににしてもね。そこに至る理由と長い間に構築された手順というものがあるのはさっき言ったとおりで、わたしたちはそれを最善と信じて模倣していくだけでしょ。そのさきに自分だけの表現ができると信じているか、そうでないか」
 おれがなんとか曲の流れに乗るまでに、演奏は4回ストップして、朝比奈は3回鼻から息を漏らし、2回首を振り、1回口角を上げた。おれはそのたびギターを落としそうになる、、、 それを楽しんでいる、、、 その先を信じるために。
 なんども繰り返していれば、いつか指も腕も自分から離れて勝手に動きはじめるようになる。それをいま実践する時だ。おれはAFm#CDEAの世界に浸っていった。世の中はわからないことだらけでも、勝手に浸っていればいい。そこに理屈があって誰かがわかってりゃいいことで、あとは深く考えてもしかたない何万もの人間がいればいい。
 おれが四苦八苦しながらもなんとかギターを弾いていても、もう朝比奈はさして心配もしていないようで、目を閉じてカラダを揺らしてリズムを取っていた。こんな曲でリズムがとれるのか、朝比奈の耳にはどう響き、そこからなにを考えているのか。そうやっておれを安心させようとしているだけかもしれないし、なんたっておれがひとつ考えてるうちに、10ぐらいの結論を出しているあたまで、先の先まで読んで今を生きているんだから。
「ずいぶんサマになってきた。それでね… 」
 それでなんだっていうんだ。おれにまだこれ以上の何かを望もうとしているような口ぶりじゃないか。
「ストロークをするとき、上からのときは手で弦を押さえてミュートする。したから弾きあげるときは弦をオープンにして音を残す。そうすると音に幅がでて、リズムもとりやすくなる」
 それはずいぶんと大掛かりな作業にも思えた。あたまが回りすぎるってことはそのぶん、多くのことを考え判断していくことで、知らなきゃすんだものまでもかかえこまなくならないなら、さして良いことだとも思えないなんて、その世界をみたこともないおれが言うことでもなく、大きなお世話ともいえる同情が、回りの悪いおれのあたまをよぎっていった。
「いいよ、できてる。ちゃんと」
 そう言ってから朝比奈はいつものアレをやった。鼻で息を大きく吸う。胸がふくらむ。
https://youtu.be/T44ZC7OAXV0「ヘンダナイッ♪」
 つきぬけるような声音が室内にこだます。おれはもうそれだけで背筋に悪寒が走る。朝比奈の歌に引き寄せられるように、テンポの悪いおれのギターが安定したリズムを刻みだす。吸い込まれていくんだ、、、 こうやって。
 もしかしたらバンドのひとたちもこれを感じていたのかもしれない。自分たちがそれぞれリードしていたのをやめたわけじゃなく、朝比奈の歌によってもたらされた結界のなかに吸い込まれていき、演奏をコントロールされていくような。
 それは不快なものではなくむしろゆりかごのなかに揺らされている感じ。朝比奈の、女性のふところの深さにおとこなんてものは赤子と変わらないんだ。
「ダーリンッ。ダーリンッ♪」
 そして声域がまた広がった。音速のなかで思考するようになる。聴くものもワンランクうえのステージに引き連れていくのか。



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