ホップ ステップ エイジング

車の免許を取ったのもパソコンを始めたのも55歳過ぎ。
興味を持ち楽しみながらゆっくりゆっくり年を重ねていきたい。

東日本大震災発生から14年目

2025-03-11 17:14:16 | 雑記

今日地震が発生した午後2時46分に、各地で黙とうが捧げられました。

 東日本大震災発生から14年目を迎える今年、消防庁は「関連死」を含めた死者数が1万9782人に上ると発表しました。

 いずれも去年から人数は変わらず、新たに遺体や行方不明者が見つかることはなかったようです。

 現在も岩手、宮城、福島を中心に2520人が行方不明のままとなっています。

 現在、被災地では復興が着実に進んでいる一方で、福島原発の影響による帰還困難区域」が今も残っています。

気象庁は「いまだ地震活動は継続していて、今後もしばらく続くと考えられる」として注意を呼びかけていますが不安はいっぱいですね。

移転先で新しい生活を始める人たちがいる一方で、14年という歳月は東日本大震災そのものを風化させつつあると言われます。

私たちもその日だけ意識するのではないようにしないといけないと思います。

佐々木朗希選手は、生まれ育った岩手・陸前高田市で小学3年生の時に被災。

自宅は津波で流され、父・功太さん(享年37)と祖父母を亡くしました。

初めて米国で迎える「3・11」。

人生を一変させた東日本大震災から14年―。

遠く離れた異国の地でも故郷を忘れることはないでしょう。

23歳になった朗希選手が節目で改めて心境を明かしました。

「今年は日本以外で迎える初めての3月11日ですが、自分にとって特別な日であることに変わりはありません。

自分が小学生だったあの日から14年という月日が経ち、今こうしてアメリカで新しい挑戦をさせてもらえていることに、これまで支えてもらったたくさんの人たちに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

大好きな父が教えてくれた野球に夢中になったからこそ、張り裂けそうな気持ちを乗り越え、今の自分がいます」

被災後母・陽子さんの親族がいる大船渡市に移住しました。

そんな中、2月には大船渡市での大規模な山林火災で母校・猪川小の体育館も避難所となりました。

「故郷では新たな自然災害が発生し、多くの方が被災されたことに胸を痛めています。

一野球選手の自分にできる事は本当に限られていますが、これからも変わらず故郷とつながっていたいと思います。」

見舞金1000万円と寝具500組を寄付したという事です。

石破茂首相は11日、東日本大震災の追悼式に出席し、「震災経験を、事前防災の徹底や災害対処体制強化などの取り組みに生かす。そして防災庁を設置し、世界一の防災大国にすべく力を尽くす」と述べました。

難題山積ではありますが、是非是非早急な取り組みをお願いしたいものです。

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