今日はちょっと辛口です。
道は自分で拓くもの、
とつくづく思うのですが、
~できるでしょうか?とか、
自信が無いんです、という言葉を聞くたびに、
そもそも本人はそれをやろうとしている
だろうか?といつも思います。
やる、と決めているのなら、
自信がない今の状態から、いかにして
自信がつくようになるのかを考えて、
苦手を克服するような行動を既に
起こしているんじゃないでしょうか。
今できないことがあるのなら、
それに対して自分がどうしたいと
思っているのか、まずはそこですよね。
上記のような言葉を言う人は大抵、
頭ではできるようになりたいとか、
そうしたいです、と言います。
けれど、その言葉とは裏腹に、
意識は明後日の方を向いていることが
多いです。というか、私の経験上、
ほぼそうですね。
つまり、そもそもやろうとしていない。
そういう状態でも、顕在意識では
自分はやろうとしているのだという
認識なので、本当はやろうとも思っていない
と言うことには気づいていないんですね。
そこが大きな問題で、
本人は、自分はやろうとしているのに
できない、という認識になってしまっています。
この自分の本音に気づき、認められるかどうか
というところが一つのチェックポイントで、
全然ピンと来ない、ということであれば、
これはなかなかに難しいでしょう。
けれどこの状態は、あるレベルの自分にとっては
非常に都合が良いのです。
なぜなら、自分は努力しているのに、
どうしようもないのだ、という行き止まりを
演出することが出来て、「進まないで済む」
からです。
自分はやりたくないのだ、ということを
あからさまに表明してしまえば、
とてもシンプルで良いように思うのですが、
そうなると、
自分自身に全責任が被さってくるので
世間体が悪かったり、
自分のプライドが許さなかったりして
嫌なんでしょうね。
だから、自分の在り様に責任を持つことから
逃げるのです。
わからない、と言う状態にしてしまえば、
そういう責任から問答無用で逃げることが
できます。
わからない、とひとこと言ってしまえば、
それ以上、どうしようもなくなりますから。
自分の意識が、自分の内面的な領域のこと
に関して、わからない状態になった時は、
わからないでいた方が都合が良いかどうか、
ハートに聞いてみると良いと思います。
頭では、正しい答えは出てこないので、
必ずハートに聞いてくださいね。
それから、
上記の言葉を言う人に共通してみられる
ある特徴があるな、と以前から思うことが
あるのですが、自分で創意工夫をしないで
依存するんですね。
これも、考えてみれば当たり前の話。
自信がないということは、
自分のことを信じてないわけで、
自分ではできないと思っているので、
自動的に、誰かや何かを頼ることになります。
人間、誰しも万能ではないのだし、
あらゆることはできなければならない
というわけではないので、頼るべきところは
頼って良いと思いますが、
少なくとも、自分ができるようになりたい
と思っているのであれば、そこは自分で
道を切り拓く意識があってしかるべきだと
私は思います。
その上で、試行錯誤しても
どうしても壁が越えられないのなら、
その道で上を行くと思われる人の意見を
聞いてみる、と言うのなら話は分かります。
けれど、そういう場合の質問の仕方は、
私は~できるでしょうか?とは
聞かないのではないでしょうか。
できるかどうかは、自分次第です、
としか言いようがありません。
どうしたらいいですか?と聞かれても、
私なら、今まで何をどれだけやってみて、
何に行き詰っているのか?と言うところは
問いますけれどね。
~できるようになるには、
今の自分に何かヒントになるものは
ありますか?とか聞いてみて、
ヒントがいただけたなら、
それを持ち帰って自分なりにまた工夫してみる。
最初から答えをもらいたい、と言うその態度こそ、
今のそのできない状況を作り出している
元ではないでしょうかね。
と私は考えるのですが、
みなさま、どう思われますか?
道は自分で拓くもの、
とつくづく思うのですが、
~できるでしょうか?とか、
自信が無いんです、という言葉を聞くたびに、
そもそも本人はそれをやろうとしている
だろうか?といつも思います。
やる、と決めているのなら、
自信がない今の状態から、いかにして
自信がつくようになるのかを考えて、
苦手を克服するような行動を既に
起こしているんじゃないでしょうか。
今できないことがあるのなら、
それに対して自分がどうしたいと
思っているのか、まずはそこですよね。
上記のような言葉を言う人は大抵、
頭ではできるようになりたいとか、
そうしたいです、と言います。
けれど、その言葉とは裏腹に、
意識は明後日の方を向いていることが
多いです。というか、私の経験上、
ほぼそうですね。
つまり、そもそもやろうとしていない。
そういう状態でも、顕在意識では
自分はやろうとしているのだという
認識なので、本当はやろうとも思っていない
と言うことには気づいていないんですね。
そこが大きな問題で、
本人は、自分はやろうとしているのに
できない、という認識になってしまっています。
この自分の本音に気づき、認められるかどうか
というところが一つのチェックポイントで、
全然ピンと来ない、ということであれば、
これはなかなかに難しいでしょう。
けれどこの状態は、あるレベルの自分にとっては
非常に都合が良いのです。
なぜなら、自分は努力しているのに、
どうしようもないのだ、という行き止まりを
演出することが出来て、「進まないで済む」
からです。
自分はやりたくないのだ、ということを
あからさまに表明してしまえば、
とてもシンプルで良いように思うのですが、
そうなると、
自分自身に全責任が被さってくるので
世間体が悪かったり、
自分のプライドが許さなかったりして
嫌なんでしょうね。
だから、自分の在り様に責任を持つことから
逃げるのです。
わからない、と言う状態にしてしまえば、
そういう責任から問答無用で逃げることが
できます。
わからない、とひとこと言ってしまえば、
それ以上、どうしようもなくなりますから。
自分の意識が、自分の内面的な領域のこと
に関して、わからない状態になった時は、
わからないでいた方が都合が良いかどうか、
ハートに聞いてみると良いと思います。
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あるのですが、自分で創意工夫をしないで
依存するんですね。
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自分のことを信じてないわけで、
自分ではできないと思っているので、
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というわけではないので、頼るべきところは
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12月8日(木) 19:00~22:00
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