私たちはよく、怒りや悲しみなどを抑圧し、表面的に取りつくろって友達とふざけ合ったり、恋人と仲の良いふりをしたりします。一見それでうまく行っているように見えますが、実は抑圧した感情のエネルギーは、しっかりと相手に飛んで行って、相手もそれを無意識に感じ取っています。このことを知っても、あなたはまだ表面的に取りつくろうでしょうか。
先日、ある人が何かとても腹の立つことがあったらしく、「まったく、本当にひどいのよ!」と、私の顔を見るなり一気に事の顛末をまくし立てました。
私は「ふんふん」と話を聞いていましたが、確かにそれはひどいし相手に非があると、常識的には思えました。一方で、「はは~ん、これはまさしくこの人自身の鏡だな」と考えていました。職業病ですね。(^^;
そして彼女は一気に話し終えると、「もうやめた!自分で自分をこんなに傷付けることは無いわ。腹を立てるのをやめる!」と言って怒るのをやめました。私は「それは賢明なことだ」と内心思いながら、少し離れたところから様子を見ていました。
すると、確かに表面的には怒るのをやめていますが、彼女の周囲には怒りのバイブレーションがピリピリと張りつめています。その様子に私は思わず笑ってしまったのですが、本人はそれどころではありません。怒りのやり場が無くて、はらわたが煮えくり返っているわけですから。
この次に彼女がその相手に会ったとき、彼女はそこそこ抑えた声音で話をするでしょう。けれど、ふとした拍子に怒りが爆発してしまったり、言葉の端々に怒りのトゲが含まれてしまうのを避けることはできないでしょう。
言葉は容易く真実とは違うことを表現できますし、態度も取り繕うことはできますが、バイブレーションは偽ることができません。このバイブレーションが、同じ質のバイブレーションの出来事を引き寄せてくるのです。
つまり、彼女はその出来事が起こる前から怒りを抱えていて、その怒りのバイブレーションが彼女を怒らせる出来事を引き寄せてきた、と感情解放ワークでは解釈します。
実際、彼女は同じような出来事をこれまでも長年にわたって繰り返してきています。その度に腹に仕舞い、堪えてきたわけですが、それが彼女の怒りへの反応パターンでした。彼女の忍耐強さは人一倍なので、既に相当な怒りのエネルギー量を抱えていると思います。
私から見ると、それは健全な在り様には見えません。エネルギーは実際に肉体にも影響を及ぼしますから、病気になってしまいかねないですし、何より表現しているものと真実が違うというのは分離であり、相当に辛いはずです。けれど、彼女はそうすると選択していますから、私は尊重します。
自身の内なる真実と違うものを表現するには、心と身体と魂を分離させなければ不可能です。自分を切り刻み、捻じ曲げてそのようにするしか、そんなことができようはずもありません。だから、分離した状態は辛いし、自分を偽ることは苦しいのです。
そんなにまでして偽った自分を表現し、一体何を得ようというのでしょうか?
自分ではないものを生きることで得たものが、自分を本当に幸せにできるでしょうか?
歪んだ弱い土台の上に築いた楼閣に住んで、安心して過ごせるはずはありません。
心のどこかでは感じていても、それでも多くの人は表面的な平穏を手放したくはないのです。手放してしまったら、そのことで自分の中で湧き起こる諸々の感情に対処できないと恐れているからです。
けれど、いずれ私たちは人生のどこかでこの学びをするようにと促されて行きます。今世ではやらない人もあるかもしれませんが。
それでも、この法則やワークを知ったなら、あなたにぜひチャレンジしてみてほしいのです。人生はもっと楽になるし、愛に溢れたものになるのですから。
どれほど自分を偽って愛を囁いてみても、あなたの内にある怒りや憎しみ、悲しみは相手に飛んでいます。そしてあなたのその在り様と同じ姿を、相手を通して鏡の法則によって、見せられるでしょう。すなわち、相手も本当の自分を偽って、あなたを自分の望むようにコントロールしようとするのです。
そんな関係性が嫌なら、自身の真実を受け入れ、適切に対処できる力を身に付けることです。そうすれば、在るがままの自分を愛をもって適切に表現することができます。そして、その結果が自分の望むものでなかったとしても、その痛みもまた在るがままに受け入れられるでしょう。このとき、あなたは自由なのです。
結果を恐れることなく自分を表現できるので、相手をコントロールする必要がなくなるからです。あなたは、誰かに幸せにしてもらわなくても、自分で自分を幸せにできます。これが真の自立です。
自分を偽ることで得ているメリットを手放し、自身の真実を生きる最高のメリットを享受しましょう。
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