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静岡駅の目の目の前に建つ銅像は
家康幼少期である竹千代で
そしてその先の広場に建つのは
晩年を迎えた家康公の像で御座い…
とても同一人物に見えないけど…
本来元来今川氏族の本拠地として
京風文化に花開いた戦国期
その後は家康により
尚更々に造って替えられ、やがて
江戸大坂に次ぐ大都市へと相成る…
とは申しましても
実際やったのは
黙る子も泣くと言われる天下普請…
川の流れを変え道や建物を造り
特に外様で力のある薩摩などは
かなり働かされたと想像が出来る…
今の静岡の繁栄はその辺りにある…
因みの余談ながら
あたかも家康が
街の基礎を造ったかの様相なれど
この街は
家康が人質として過ごした幼少期
既に荒廃していた京の都よりも
水準の高い都市であり
この時代の先進地の一つでもあり
更には
今川家は政治手腕にも優れた事が
伝えられている…
その中で当時の一流の教育を受け
卓越した政治を目にした家康が
後々江戸幕府で
それらを生かした事は間違い無く
ただ信長を軽んじた今川義元が
田楽狭間にて討ち取られた史実が
京かぶれの愚暗な将であった
そんなイメージだけを植え付ける…
それが
天下に最も近いとされた武将への
後の世の評価である…
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