「赤字国債」の言葉のイメージにダマされるな
「〇年度の補正予算が成立、赤字国債△兆円追加発行」
こんな報道を目にしたこともあるだろう。
おそらく気になるのは「赤字国債」という言葉ではないだろうか。たしかに「赤字」
という字面からして、縁起が悪い。
国債は国債でも、「赤字国債」とはなんなのか。
結論からいえば、「お金に色はついていない」。つまり「赤字」とついていようと
いまいと、国債は国債である。
そもそも財政法では、「公債または借入金以外の歳入をもって歳出の財源とする」と
定められている。借金をせずに、歳入(国の収入)だけで予算をまかないなさい、とい
う意味だ。
ただ、さすがに歳入だけでは財政運営ができないから、借入については「建設国債」
の発行が認められてきた。読んで字のごとく、インフラ整備や建設など建設に関する
予算については、借金をしてもいい、というわけだ。これを、「建設国債の原則」とい
う。一方で、これでも財政運営ができなくなったので、さらに各年度に特例公債法を適
用して、例外的に「特例国債」の発行も認められるようになった。
それが、いわゆる「赤字国債」と呼ばれる国債である。
「特例」というと、それだけでも「平時ではありえないもの」という印象をもっても
不思議ではない。そのうえ「赤字」とまでいい換えられたら、ますます「本当はいけな
いもの」という悪いイメージがついてしまう。「また借金がかさんで、財政は苦しくな
る一方だ」というわけだ。
しかし、建設国債も特例国債(赤字国債)も、その年の予算のうち、税収でまかない
きれない分を補うために発行される、という点において、何も違いはないと考えていい。
政府は予算を出して、足りない額の国債を発行する。そこで、まず毎年の国債発行額
が決まる。そのうち建設国債発行対象経費分を建設国債と呼び、残りを赤字国債と呼ぶ
だけだ。
あくまで発行する国債について建設国債と赤字国債を分けるだけであって、それぞれ
の国債で調達した資金では、カネに色はついていない。
本章の冒頭で述べた「お金に色はついていない」とはこういうことだ。
いってしまえば、建設国債も赤字国債も「ただの国債」なのだ。国債を発行して得た
資金は必要な用途に割かれるだけである。だから、もちろん、金融市場の現場では、建
設国債と赤字国債は同じ国債として扱われており、区別されていない。
その証拠に、もし金融機関で国債を買ったら、自分が買った国債は建設国債なのか、
赤字国債なのか聞いてみたらいい。どっちであるとは答えられないはずだ。
建設国債と赤字国債を区分しているのは、政府の予算の中だけである。
それも、先進国で予算において国債を建設国債と赤字国債とに区別しているのは、基
本的に日本だけだ。
要するに、何のための借金なのか、何となく大義名分を立てておきたい・・その気持
ちの裏には、「投資的な経費のための借金はいい」という考えがあるのだろう。
そうであれば、海外にも適用する考え方であるが、日本では後で述べる「教育投資国
債」ですら認めておらず、この区別は結局「借金は悪」というイメージを広めているだ
けという感じがする。
「赤字国債」という言葉が新聞の見出しで躍っていても、過度に騒ぐ必要はない。
建設国債が少なすぎる結果でしかない場合もあるのだ。
外国人に借金をしても、国は乗っ取られない
たとえば日本の株式会社が、株の大半を外国人に買われてしまったら、いいかたは
悪いが、それは会社を乗っ取られたも同然といえる。
あるいは、外国人が日本の国会議員になるのも問題である。日本の国会は、日本の
国益を最大限にするために国政を議論する場であり、他国の利益を考える人とは相容れ
ない。だから日本の法律では、国会議員も一部の政府職員も、日本国籍を有する者だけ
と定められている。
これは国会議員に投票する側も同様で、外国人には国政参政権が認められていない。
すべて当たり前の話であり、世界の常識だ。
しかし国債は、誰がどれほどもっていても、国を動かす権利をもてるわけではない。
要するに、日本の国が外国人からたくさんお金を借りたところで、それがどうした。
という話なのである。単にお金を貸し借りしているだけだ。
むしろ、外国人が日本の国債に群がるような状態があるとしたら、それは日本の国債
の信用度が高いことを意味する。言い換えれば、日本国内だけでなく、国外からも低い
金利で(欲しい人が多ければ、それだけ金利は低くなる)資金を調達できるというこ
となのだから、喜ばしいといってもいいくらいなのだ。
さらに、国債の外国人保有比率が高いと国がデフォルトになる確率は、これまで世界
各国の200年以上のデータ分析によれば、決して高くなるわけではない。
要するに、外国人保有率とデフォルトとの間には、何の相関もないということだ。
つまり、多かろうと、少なかろうと、外国人保有率を気にする必要はない。
「〇年度の補正予算が成立、赤字国債△兆円追加発行」
こんな報道を目にしたこともあるだろう。
おそらく気になるのは「赤字国債」という言葉ではないだろうか。たしかに「赤字」
という字面からして、縁起が悪い。
国債は国債でも、「赤字国債」とはなんなのか。
結論からいえば、「お金に色はついていない」。つまり「赤字」とついていようと
いまいと、国債は国債である。
そもそも財政法では、「公債または借入金以外の歳入をもって歳出の財源とする」と
定められている。借金をせずに、歳入(国の収入)だけで予算をまかないなさい、とい
う意味だ。
ただ、さすがに歳入だけでは財政運営ができないから、借入については「建設国債」
の発行が認められてきた。読んで字のごとく、インフラ整備や建設など建設に関する
予算については、借金をしてもいい、というわけだ。これを、「建設国債の原則」とい
う。一方で、これでも財政運営ができなくなったので、さらに各年度に特例公債法を適
用して、例外的に「特例国債」の発行も認められるようになった。
それが、いわゆる「赤字国債」と呼ばれる国債である。
「特例」というと、それだけでも「平時ではありえないもの」という印象をもっても
不思議ではない。そのうえ「赤字」とまでいい換えられたら、ますます「本当はいけな
いもの」という悪いイメージがついてしまう。「また借金がかさんで、財政は苦しくな
る一方だ」というわけだ。
しかし、建設国債も特例国債(赤字国債)も、その年の予算のうち、税収でまかない
きれない分を補うために発行される、という点において、何も違いはないと考えていい。
政府は予算を出して、足りない額の国債を発行する。そこで、まず毎年の国債発行額
が決まる。そのうち建設国債発行対象経費分を建設国債と呼び、残りを赤字国債と呼ぶ
だけだ。
あくまで発行する国債について建設国債と赤字国債を分けるだけであって、それぞれ
の国債で調達した資金では、カネに色はついていない。
本章の冒頭で述べた「お金に色はついていない」とはこういうことだ。
いってしまえば、建設国債も赤字国債も「ただの国債」なのだ。国債を発行して得た
資金は必要な用途に割かれるだけである。だから、もちろん、金融市場の現場では、建
設国債と赤字国債は同じ国債として扱われており、区別されていない。
その証拠に、もし金融機関で国債を買ったら、自分が買った国債は建設国債なのか、
赤字国債なのか聞いてみたらいい。どっちであるとは答えられないはずだ。
建設国債と赤字国債を区分しているのは、政府の予算の中だけである。
それも、先進国で予算において国債を建設国債と赤字国債とに区別しているのは、基
本的に日本だけだ。
要するに、何のための借金なのか、何となく大義名分を立てておきたい・・その気持
ちの裏には、「投資的な経費のための借金はいい」という考えがあるのだろう。
そうであれば、海外にも適用する考え方であるが、日本では後で述べる「教育投資国
債」ですら認めておらず、この区別は結局「借金は悪」というイメージを広めているだ
けという感じがする。
「赤字国債」という言葉が新聞の見出しで躍っていても、過度に騒ぐ必要はない。
建設国債が少なすぎる結果でしかない場合もあるのだ。
外国人に借金をしても、国は乗っ取られない
たとえば日本の株式会社が、株の大半を外国人に買われてしまったら、いいかたは
悪いが、それは会社を乗っ取られたも同然といえる。
あるいは、外国人が日本の国会議員になるのも問題である。日本の国会は、日本の
国益を最大限にするために国政を議論する場であり、他国の利益を考える人とは相容れ
ない。だから日本の法律では、国会議員も一部の政府職員も、日本国籍を有する者だけ
と定められている。
これは国会議員に投票する側も同様で、外国人には国政参政権が認められていない。
すべて当たり前の話であり、世界の常識だ。
しかし国債は、誰がどれほどもっていても、国を動かす権利をもてるわけではない。
要するに、日本の国が外国人からたくさんお金を借りたところで、それがどうした。
という話なのである。単にお金を貸し借りしているだけだ。
むしろ、外国人が日本の国債に群がるような状態があるとしたら、それは日本の国債
の信用度が高いことを意味する。言い換えれば、日本国内だけでなく、国外からも低い
金利で(欲しい人が多ければ、それだけ金利は低くなる)資金を調達できるというこ
となのだから、喜ばしいといってもいいくらいなのだ。
さらに、国債の外国人保有比率が高いと国がデフォルトになる確率は、これまで世界
各国の200年以上のデータ分析によれば、決して高くなるわけではない。
要するに、外国人保有率とデフォルトとの間には、何の相関もないということだ。
つまり、多かろうと、少なかろうと、外国人保有率を気にする必要はない。