Wind Letter

移りゆく季節の花の姿を
私の思いを
言葉でつづりお届けします。
そっとあなたの心に添えてください。

6月の詩作品 「鶯のさえずり」

2023-06-16 16:38:55 | 詩作品

                                            

                                                                                                                      高安ミツ子


   

 

 

      日常の図柄を弱くしたコロナの暴走は

      生活様式をがらんと変えてゆきました

      そんな折 孫とのリモート授業が始まりました

      笑って映る孫のパソコン映像には救いがあり

      頼まれた時間は一輪の花をみる楽しさでした

 

      あなたの学校生活でもコロナの影が歩いていましたが

      今日の出来事をあなたは若さの早口で話します

      数学の授業は後回しにして

      ばあばは今日の出来事を聞いています

      育ちゆくあなたとの最後の時を感じますが

      いっぱい いっぱい聞いて

      庭に咲く花と一緒に花瓶に飾ることにしました

 

      少しの間二人で会話遊びしましょうよ

      正二十面体の中に潜り込み転げまわりましょうか

      止まることのない時間を感じますが

      それでも 雨上がりに見つけた木苺を

      二人でつまんだような気持になるのです

      思い出歌を口ずさみ

      紡いだあなたとの三年間は風のようでした

      そして命の重なりを感じ

      ばあばは死ぬことが怖くなくなりました

      ようやくコロナからの出口が見えたころ

      あなたは念願の高校生になりました

 

      川向うの桜並木をあなたが歩いていきます

      川のこちら側では老木の桜が咲き

      心地よかった『あのね おばあちゃん』が蘇り

      春愁の風に吹かれています

      あなたの旅たちを祝うように

      今日のばあばは鶯のさえずりを真似ました



          

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詩「初冬の風」

2022-12-13 15:28:19 | 詩作品

                    高安ミツ子

 


    

        玄関のチャイムが鳴っています

      見知らぬ人が効き目を語り

      人生百年の時代ですからと 

      あおるように品物を勧めてきました

 

      私はためらいがちにいいました

      チャイムを押さないでください

      我が家のチャイムは

      私の思い出を連れてくる風への目印なので

 

      乗り遅れてもいいのです

      私に百歳の生命は畏れ多いのです

      冬木立に見せられたのでしょうか 

      私は白髪を染めることを辞めました

      そして 素数のように

      私の運命を歩こうと思うのです

 

       思い出捜しの私をあざけるように

      玄関チャイムは止みました

 

      確かに思い出は簡素なものだけれど

      蘇る幾つもの風景 幾人もの声は

      後悔や懐かしさで

      時を越えて私の心をめぐっていきます

 

      ふと ひたひたと感じられる今日の風は

      私の人生のどこで会ったのか思い出せないけれど

      情感にあふれた微笑は温かいのです

      鮮やかに色付いたカラマツやハゼの小径で

      すれ違った人なのかもしれません

 

      みやると冬空に皇帝ダリアが咲き

      ネリネも鮮やかに咲いて

      私の悲哀や夢想を包んで

      残り日の感情を染めてゆきました

 

      おや やさしくチャイムが鳴っています

      逝ってしまった花友達でしょうか  

      目印を見つけたのでしょうか

 

      今日も初冬の風が誰かを連れて 

      私を訪れてくれたようです

 

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立葵の別れ

2022-08-28 19:12:52 | 詩作品

                          高安ミツ子


      

 

  弱った蝶が命の厳しい連鎖
  夏の終わりを知らせています
  ふと 逢えないままの
  君の顔が蘇り
  そぞろ心の私を横切っていきます


  まん丸眼の君は幼いながら
  はぐれることへの恐れを感じるのか
  我が家に来てから
  母の姿ばかりを追って泣きました
  自分の運命を感じているのか
  聞き分けがよすぎるからか愛おしむように
  父は胡坐に君を座らせていました


  母の慈しみで元気に育っていった君ですが
  君の父親が迎えに来た時
  母の手を振り切って飛びついていきました
  君の思慕の深さを知り父母の眼は濡れていました


  すでに君の消息は絶えたまま
  成長した姿はわかりません
  幸せであってほしいと願いながら
  君の姿はあの時のままで止まっています


  立葵の前で笑みを浮かべた君の一枚の写真に
  半世紀過ぎても あやうい君の幼い姿を
  何故か夢想してしまうのは
  私がかすかな時の中にいるからでしょうか


  晩夏に鳴くヒグラシに似たこの虚無感は
  私の歩む足音が弱まった証でしょうか
  夏の終わりの夕暮れは                                        
  「カナ カナ カナ カナ」と

  立葵の別れを蘇らせていま

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詩 こむぎの日記「僕は90歳」

2022-06-11 11:29:36 | 詩作品

 

                          高安ミツ子


       

 

    僕は90歳のなりました

    目覚めると

    お父さんと家の周りを散歩します

    遠くには行きません

    だって無理なのです。

    後ろ脚の筋肉がなくなり

    氷の上を歩いているように滑ってしまうからです

 

    鶯が朝のグラデーションを描くように鳴いています

    四十雀が体を揺らして囀っています

    朝の空気は格別なのに

    僕は僕の命を何故か悲しく感じます

    毛並みも落ちて

    自慢だった尻尾も今は古びた箒のようで

    自慢するものは何もありません

 

    この頃は目が悪く

    時々外の塀にぶつかります

    散歩の後は眠るだけなのです

 

    お父さんとお母さんは

    「こむぎはりっぱだね」とほめてくれます

    僕が家で粗相をしても叱りません

    90歳だから許してくれるのです

    僕が食べられるように餌も考えてくれます

 

    お母さんは僕を抱っこして

    庭の風景を見せてくれます

    僕は弱ってしまったけれど

    深い青と純白に咲いている

    今日の紫陽花をみながら

    お母さんの顎をチョッピとなめました

    ささやかな親愛の気持ちなのです

    もう僕は懐かしむ記憶も気力もありません

    ただ今を生きています

 

    来年の桜は見られないかもしれません

    はかないけれど僕の灯を

    お父さんとお母さんが覚えてくれていたら

    僕はただ嬉しいのです

 

    人と犬の僕がこんなに近しく思えるのは-

    太古からの歴史でしょうか

 

    僕とお父さんお母さんをつないでいる愛おしい気持ちが

    谷川のような心地よい瀬音になり

    僕の耳元に聞こえています

    そんな時

    僕は雲の数を 風の種類を 花の香りを

    ひい ふう みい よお と数えながら

    くうん くうん と心の中で鳴いてます

 

    僕は90歳になりました

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郷愁の秋

2021-11-09 14:22:43 | 詩作品

詩集「今日の風」第4章 春夏秋冬より 

                 

                           高安ミツ子


 

      

 


       父母が亡くなり
     伯父が
     そして叔母が亡くなり
     車窓に映る故郷への道は細くなるばかりです

     故郷への思いは
     秋の風が吹くたびに
     私の心の深い吹き溜まりに
     懐かしさと置き忘れたものが混じり合い
     ハゼの葉が赤く色づくように蘇ります

     車窓に映る信州の山々は
     龍の小太郎伝説があるように
     天に昇っていく山霧に
     龍が隠れているように思えます
     龍は尾をゆすり全山の木々を撫(な)で
     カラマツを 桜を
     もみじを 銀杏を
     そして野草をも全ての物に息をかけて
     秋色に染めています

     赤く熟した柿は
     山霧に巻かれるたびに甘さを増し
     深まりゆく秋を私に知らせています

     私の楯になってくれた人の声が
     故郷では聞こえなくなり
     山霧の向こう側に
     消えてしまったかもしれないが
     この空気とこの風と山並みは
     あの時のままです

     突然 車窓の秋の紅葉は
     グラデーションをもった旋律のように
     押し寄せてきて
     何も語らなくてよいと
     一気に私を飲み込んでいきました

     この素早さはやはり龍が
     生きる悲しさをぬぐってくれるのでしょうか
     故郷の秋雨はしめやかです


     



 

     
 詩集「今日の風」を出版してから詩集に関しての
お手紙をいただきました。
発行してからの1か月は戴いたお手紙に返事を書く
時間に費やされた日々でした。
人の作品を読み心のこもったお手紙をお書きになることは
労力がいることで、なかなかできることではありません。
読んでいただくだけでもうれしいのですが、
いただいたお手紙を拝読するたびに感謝の気持ちが沸いて
まいりました。小さな世界ですが書き続けて
きたことに私なりの喜びを感じています。
この11月で76歳になります。体力の衰えを感じながらも
今まで通りの生活をゆっくり歩もうと思っています。

新型コロナの感染者の数が減りつつある現状です。、
このまま新しい年を迎えることができたらと願うのみです。
コロナ禍の影響でしょうか、登校拒否の子供たちが増えて
いることを聞きました。人の心までに巣食ってしまう
ウイルスに人はどんな知恵で人を救えるのでしょうか。
新型コロナの功罪の大きさはその症状だけで済まされない
深さを感じます。弱い子供たちの心まで壊してしまう
ことに胸の痛さを感じています。
一刻も早く子供たちに手を差し伸べてほしいと願うばかりです。

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