Wind Letter

移りゆく季節の花の姿を
私の思いを
言葉でつづりお届けします。
そっとあなたの心に添えてください。

「私の四季 」木瓜(ぼけ)が咲きました

2023-03-28 15:52:20 | 花物語

             

 春が忙しくやってくる3月ですが、 その3月も終わろうとしています。
まるで春風がそれぞれの花々の頭をなでて走り回っているかのように思われます。
我が家の庭の花は次々に咲きだし色鮮やかな庭になりました。
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と言われます。世の変化も早いのでしょうが、
桜と同様に毎朝眺める庭の花々の変化には驚かされます。
木瓜の花が2,3輪咲きだしたかと思うと瞬く間に、満開になり、気づくと木瓜の
花にメジロが来て蜜を吸っています。その景色は平和な安らかなひと時を味わわ
せてくれます。
 万葉集にも野の草花や花木をうたったものがたくさんあるようですが人の心に
寄り添ってくれる草花の癒しは時代を越えて日本人の中には流れていることを感じます。
昨年花友達が若くして逝ってしまいましたが、花を見るたびに友と語った思い出がよみ
がえります。
人の命ははかないものですが、花々は小さな人の命の生き方をやさしく包んでくれる
ように思えるのです。
 花を育てながら、いつまでできるだろうかと思う日もありますが、このように咲いて
いる花々を見るとそんな心配さえも忘れさせてくれます。
 今年もミモザアカシアが見事に咲きました。もう何十年前になるでしょうか。
 名古屋の洋菓子屋さんの2階で洋画家「三岸節子」の絵画の常設展がありました。
私はそこでミモザの絵を見たのです。入院の多い子供の体調の悪さに心が落ち込んで
いた時にその力強く表現されたミモザの絵に心が動き力を得たような思いになったの
です。その印象が余韻のように私の中で残っていました。そこでミモザの苗を購入し
育てようと思ったわけです。ミモザは大木になり、強風に倒れやすいようですので鉢
植えにして育てています。咲き終わったら毎年植え替えなければなりません。
根は細いため植え替え後、根が育つように気遣ってあげなければなりません。
根が土になじみ育ちだすと夏頃には蕾が付き、蕾の時期が長いのが特徴です。
 今は亡き義母が植えた木瓜の花もきれいに咲きました。義母の自慢の木瓜 
「日 月 星」(じつげつせい)は1本の木から一重の花がたくさん咲きます。
その花の色が白色、赤色、桃色、絞りと見られ、花の不思議さは物語のようです。
 昨年、利休梅を植えました。純白で品がある花です。初夏まで咲くそうですから
長く楽しめそうです。花は地味ですが清々しさがあります。茶花として好まれている
ことや、利休の命日の頃に咲きはじめることから別名「リキュウバイ」と呼ばれて
いるそうです。
 3月も終わりになりましたが我が家の庭に咲く花々をご覧ください。



 

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随筆「よもぎ摘み」

2023-03-03 11:16:34 | 随筆

             

                         高安ミツ子


     

 

    寒さの中でも、少し暖かい日があって、紅梅が一二輪咲きだし、庭に萌黄色のふきのとう

   を見つけると春の前触れを感じます。

   「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」と百人一首の歌が思い出され

   ます。 


    我が家(夫と二人)の春を呼ぶイベントによもぎ摘みがあります。摘む場所は義母の生家

   の方が教えてくれました。犬も人も入らないよもぎ摘みに最適な場所でした。摘んだよもぎ

   のごみを取り,茹で、蒸したもち米と混ぜ餅つき機に入れます。つきあがると草餅が出来上

   がります。草餅を丸めますが、形は一定にはいきません。それでも、草餅は春の色合いと香

   りをもたらせ華やいだ気分にさせてくれます。出来上がった草餅は春便りと称し子供や兄弟

   に送っています。終わるたびに、来年は無理かもしれないと言いつつ新しい春を何回か迎え

   てきました。しかし、体力の限界が近づいていることは間違いないでしょう。 

   よもぎ摘みの楽しさは、枯れた草木の中で陽に当たったよもぎが、両手を広げたようにや

   わらかく育っているのを見る時です。辺りを鶯の囀りが響き渡り、太陽とよもぎと鶯と私は

   空間でなじんで、のどかな時間になります。

    しかしながら不思議なことに、よもぎ摘みの場所の鶯は「ホーホケ」と鳴くのです。最初

   は力を抜いているのか、面倒なのかと思いその省略した囀りに笑ってしまいましたが、どう

   も鶯は場所により囀りが違うことがあることに気づきました。子供が住んでいる成田市の鶯

   は「ホーホケキ・ヨ」とキ・ヨを強く鳴くのです。我が家に聞こえる鶯の鳴き声は一般的に

   言われる「ホーホケキョ」です。ある時叔父にその話をすると「京都から江戸に嫁いだお姫

   様が江戸の鶯は訛っているからと京都から鶯を運ばせて江戸で放したところ鶯はきれいに囀

   るようになり鶯の名所になった」という話を叔父から聞き囀りの違いあることを認識したわ

   けです。刷り込みという話を聞いたことはあります。鳥類のヒナが孵化直後に初めて見た動

   くものを追いかける現象だそうです。鶯も親鳥の囀りを聞いて育つのですから囀りの刷り込

   みがあることは当然でしょう。寧ろ囀りの違いがあるからこそ、それぞれの親鳥が示す子供

   への慈しみの証のようにも思え温かい心持なります.

   私は時代の恩恵を受けながら、便利さ包まれて日常生活を過ごしています。ですから生活

   のうえでの必然性からよもぎ摘みをしている訳ではありませので、他者から見たらお遊びだ

   と思われるかもしれません。確かに仕事ではないので遊びといえなくはないのです。それで

   も、実生活の中でのどかさを感じる時間は少ないかと思えるのです。のどかさとは便利さで

   も不便さでもなくほのかな命の明かりをゆったり灯せる瞬間ではないかと思えるのです。

   よもぎ摘みは私にとってのどかさとの出会いかもしれません。

   子供のころは意識することなく移り変わる四季に包まれ遊んでいました。自然には無言の

   優しさと荒々しさが共存していることを遊びを通し子供心に感じたからでしょうか。四季の

   移ろいをできるだけ受け取りたいという願望が私の根底にあることは否めません。よもぎ摘

   みもその願いの一端であるといえましょうか。確かに年とともに記憶の曖昧さは増えていき

   ますが、それでも私の中に潜む感情を喜びに変え、はかなさも含めた情感を受け止めてく

   れる自然は鶯の親鳥の慈しみに似ているように思えてくるのです。

   まもなく黄金色にミモザが庭に咲き春到来となりましょう。

   今年のよもぎ摘みが始まることでしょう。

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