高安ミツ子
冬の森の道には人影がありません
スギ林は陽ざしを遮(さえぎ)り
アオキが
冬の命をまばたいています
仙人草が木にからみつき
ススキも寒さに枯れて
樹木は静かに耐えていますが
森の命は根っこで繋がっているのです
息切れしながら上り坂を歩くたびに
森は私をむかし話の中の
わらしにしてくれるので
赤い実をつけたアオキまで
手招きしているように思えるのです
冬の森は
倒れた裸木が幾つもあり
春の入り口への遠さを示しています
ふと立ち止まると忘れ去られたように
庚申塔(こうしんとう)が
今も人の願い背負ったまま立っています
昔
人の体内にいる三尸(さんし)を天に昇らせないため
人々は庚申の夜を
眠ることなく祈りの祭事を行ったといわれています
風雨にさらされた塔に触れてみると
石の冷たさの奥から
うっすらとした素朴な願いが伝わってきます
積もった木の葉に包まれた庚申塔は
人への淋しさを払うように
森の空気に溶けこんでいました
そして私は歩くたびに
七十三年の貧しい生を
私の悔やんだ落し物を
取り出しては
森の懐の深さに重ねていきました
すると野の花を摘みに行くような
山の湧水を口にしたような気持ちになり
森の優しさを感じたまま
振り返ってみました
しかし冬の風が杉林やアオキを揺らし
森の道はただ細く続くばかりでした
微かにジョウビタキのさえずりが聞こえます
私の心は澄んだ今日の風景を歩いていました