私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

感覚が鋭敏だということ

2009-10-10 | 15雑観
最近、妙に鼻がきくようになった。

もともと、臭いには敏感で「犬のような奴だ」といわれたこともあるのだが、車に乗ってエアコンのスイッチを入れると、少し前まで何ともなかったのに、しばらく異様な臭いを感じて顔をゆがめることになる。
同乗者は、決まって何も感じていない。

バルコニーに出ると、お隣さんの小型犬の小物を消毒するクレゾールの臭いに出くわすことはあったのだが、おそらく階下のバルコニーからたちのぼる猫のトイレ臭に出くわすようになった。

そういえば、最近、子猫の鳴き声が聞こえているような。

子供たちのピアノのレッスンの音も、赤ん坊の泣き声もほとんど気にならないのだが、猫のトイレ臭にはげんなりする。

私自身も猫好きで、猫を飼った経験もあるのだが、姿を見たこともない猫のトイレ臭は許容し難い。
さわやかな秋風にのってやってくるその臭いに出くわすと、消臭スプレーを無闇やたらと噴射せずにはいられない自分がいる。

感覚というものは、それで身を立てる時以外には、下手に鋭いと苦しいことばかりのような気がする。

視力は良すぎると頭痛の誘因となるし、絶対音感のある人にとって街に溢れる騒音は公害以外の何物でもないだろう。

倫理観に長けていると、社会道徳の低下に憤りを覚えることになり、頭脳明晰であれば、周囲に散在するくだらない事象が許しがたいだろう。

鋭いことが尊ばれる局面はごくわずかで、苦しきことのみ多かりき…といったところか。

老いてゆくと、あらゆる感覚が鈍くなり、そうした苦しみから少しずつ遠ざかることが出来るような気もする。

それがある意味、救いかもしれない。
コメント
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