私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

親の介護が必要になったら

2009-10-17 | 3老いる
NHKのスペシャルで
「もしも明日…親の介護が必要になったら」という番組を見た。

テレビに正対してきちんと見たわけではないのだが、部屋を移動しながらも見ないではいられないタイトルだった。

介護の学校で教鞭をとる方の実体験がベースになっていたが、例によってきれいにまとめられ過ぎていた気がする。

もっとドロドロとした葛藤が、どの親子の間にも生まれるはずなのだ。

そのドロドロを殊更に描く意味はないのかもしれないが。

ひとつ「そうだなぁ…」と共感したのは、親の介護の必要によって、自分の人生をひっかきまわされながら、最後に拠り所になるのは、それぞれの親が、子である自分にどんなふうに関わってくれていたかという記憶だということ。

自分が守ってもらわなくては生きていけなかった時期、どんなふうに親が自分を守り、責任を全うしてくれていたか。
親が人生を犠牲にして子供を守ってくれた記憶があれば、その子供は自分の人生を棒にふったって、親の介護を優先せざるを得ないはずなのだ。

その辺の認識がどの程度あるかは、また個人差のあるところだろうが。


ある年配の方と、介護を優先する為に生じるさまざまな不具合についてやりとりしていた時のこと。

その方が
「自分も子供を保育園に預けていた時、子供が熱を出して引き取りを要求する保育園に、仕事で都合がつかないから、門のところに立たせておいてくださいと言ったものだ」
なんてことを何の疑問もなくおっしゃった。
いわゆる、明らかなモンスターペアレントさんだ。

介護の必要な御老人の場合は、結局その人の生き方が、周囲の人間の対応に影響してくるのだろうが、子供の場合は、親は全面的に守ってやらねばならない立場であって、仕事の都合がつかないしわ寄せを非力な子供に負わせるなんて…。

分別ある大人の方だと思っていたのが、すっかり興ざめしてしまい、以来その方の人間性に信頼をおけず、距離をとらせていただいた。

その方の老後は、いかなる事態になることやら。

近頃惨聞する、虐待癖のある親の場合は、これ如何に。
想像するだに恐ろしい。

更に、近年増加の子のないおひとりさまの老後は、より恐ろしいものになるだろうか。
コメント
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