私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

特別養護老人ホームというところ(1)

2009-10-07 | 3老いる
通常、特養と呼ばれる。

いくつか見学させていただいた施設のなかから、その特養に申込したのは、対応してくださった相談員の様子に感銘をうけたからだった。

年末年始の忙しい時期に、躊躇なく見学日時を提示して下さった。

施設入所がどうしても必要だという利用者の事情を、最大限汲み取ろうとする意志が感じられ、福祉の香りが滲みだしていた。

故に、御老人にたいする否定的な物言いはシャットアウト。
使命感が、ひしひし伝わってくる。

ちょうど感染症の流行していた時期で、体調のすぐれなかった私は、施設の奥までみせていただくことは出来なかったのだが、見学時対応してくださったその相談員の、建物は新しくないけれども、歴史あるホームに対する愛と誇りのようなものが感じられ、内部を見なくても不安は抱かなかった。

施設の中には「祝日や連休は見学をご遠慮いただきたい」というところも少なくない。
「生活の場ですからいつでもかまいませんよ」と時期にこだわらず対応して下さった施設では、そこで暮らしておられる御老人の表情が生き生きとしていたという記憶がある。

私の行動は、社会人としては時を選ばぬ非常識なものだったのだが、常識はずれな行動への対応が、それぞれの施設の懐の深さ、余裕といったものを如実に表現していたという気がする。

生活の場を支える生業には、企業としての対応を超えた対処を期待してしまう。

膨らみ続ける老人介護の需要に応える為、介護の世界に民間の企業原理が導入されたのは致し方ないことだと思うのだが、その質を支えるのは企業原理ではなく、福祉精神だと感じずにはいられない。

利益を追求する、単純な企業原理のもとでは、やはり歪みは生じざるを得ないだろう。

それは、一週間もそこに関わってみれば誰もが直ぐに感じることだ。

どれだけ福祉の精神の息づいた人がその組織に関わっているかで、その環境の居心地は全く異なったものになる。

そういう意味で、お世話になることになった特養は、人的厚みが感じれられ、安心感がある施設であった。

私が感銘を受けた相談員の方は、既に職場を去っておられ、在籍なさっていないのだが…。
退職されたのは、私が見学させていただいて間もなくのことで、今は別の施設でやはり介護の仕事に携わっておられるらしい。

丁寧な説明をして下さったあと「自分の名刺をお渡しできない」とおっしゃって、後任の方の名刺をもらって下さった。
その後任の方から入所連絡をいただいたのだが、担当して下さるのはまた別の相談員の方。
果たしてその後任の方もあるいは…とかすかな不安を覚えることだった。
コメント
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