右大臣家の栄耀栄華の時代にあって、政敵ともいえる左大臣家の私は(31歳)一度仕事を辞した。しかし、宮中内の評価も高く、妻の実家が右大臣家ということもあったのでしょう、まもなく復権の上、宰相に昇進した。
だが、源氏殿がいないと、なにごとにつけても面白くなかった。
源氏殿が流刑になって翌年の春、私は源氏殿との接触をきつく禁じた皇后様のお達しを無視し、桜が咲き始めたころ、須磨にいる源氏殿を訪ねた。
人気のない海岸の仮屋は、下々の家と変わらず、想像以上のひどさに自分の職をなげうってでもナントカしなければとおもった。
寝もせずに語り明かし帰ってきたが、寂しさがつのるのは、源氏殿の方が大きかったと思う。
私ばかりでなく密かに訪ねたものはあったであろう。
源氏殿を恋しく思う姫たちは、密かに文をだしつづけていた。
それにしても御苦労を重ねたというのに、品位と威厳はますますふかくなっておられ、おん年26歳という若さの輝きの中に、男の風格が加わっていた。さすがと感服いたしました。
だが、源氏殿がいないと、なにごとにつけても面白くなかった。
源氏殿が流刑になって翌年の春、私は源氏殿との接触をきつく禁じた皇后様のお達しを無視し、桜が咲き始めたころ、須磨にいる源氏殿を訪ねた。
人気のない海岸の仮屋は、下々の家と変わらず、想像以上のひどさに自分の職をなげうってでもナントカしなければとおもった。
寝もせずに語り明かし帰ってきたが、寂しさがつのるのは、源氏殿の方が大きかったと思う。
私ばかりでなく密かに訪ねたものはあったであろう。
源氏殿を恋しく思う姫たちは、密かに文をだしつづけていた。
それにしても御苦労を重ねたというのに、品位と威厳はますますふかくなっておられ、おん年26歳という若さの輝きの中に、男の風格が加わっていた。さすがと感服いたしました。