午後から新国立劇場でカルメンの観劇をした日、その前にどこかで昼食を食べようと思い、日本橋高島屋を思い出した、webで事前に調べて今回はふぐ料理で有名な「下関春帆楼」にした、春帆楼と言っても地下1階のふぐ刺しなどのふぐ料理売場にあるイートインだ
11時半ころに行ってみるとイートインのカウンター席には誰もいない、5つくらい席があったので一番奥に座り、ランチメニューを見る、春帆楼の店では高くて手が出ないふぐ料理だけど、ここでは3千円くらいのお手頃価格で食べられるのがうれしい
どれにしようか悩んでこの日は「ふぐ雑炊ランチ」3,850円にした、料理はカウンター内の厨房で作っているようで、しばし待ってランチが出てきた
このふぐ雑炊ランチは、ふぐ刺しとふぐ雑炊が楽しめる、ふぐ料理を食べるのは引退してからは初めてかもしれない、ふぐ料理店は高いので普通は会社経費で使う場合が多いでしょうから仕方ない
まずはふぐ刺しから頂く、大きさは小さいがふぐ刺しだ、おいしい、次にふぐ雑炊を食べる、これもおいしかった、早食いの私もゆっくりと味わって食べた
さて、春帆楼であるが、店のwebページによれば
- 江戸時代の末、豊中中津の奥平藩の御殿医だった藤野玄洋が明治10年に下関の阿弥陀寺(現・赤間神宮)の方丈跡を買い取り「月波楼医院」を開業した、春帆楼は玄洋没後の明治14~15年頃、伊藤博文の勧めによって妻みちがこの医院を改装し割烹旅館を開いたことに始まる
- 軍医である玄洋の人柄に惹かれて、伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋など、維新の志士たちも頻繁に出入りした、春帆楼という屋号は、春うららかな眼下の海にたくさんの帆船が浮かんでいる様から、伊藤博文が名付けた
- 明治20年の暮れ、当時初代内閣総理大臣を務めていた伊藤博文公が春帆楼に宿泊した折、海は大時化でまったく漁がなく、困り果てたみちは打ち首覚悟で禁制だったふぐを御膳に出したところ賞賛され、翌明治21年には禁を解かせ、春帆楼はふぐ料理公許第一号として広く知られるようになった
- その後、明治28年3月19日から日清戦争講和会議が、春帆楼の二階大広間を会場に繰り返し開かれ、4月17日、日清講和条約(下関条約)が締結された
なかなか由緒ある店だ、昭和33年と38年には天皇・皇后陛下がお泊りになったというからすごいものだ、以前、東京の平河町にある東京店で夜の食事をしたことがあるが、値段はかなり高めだった、それを考えると高島屋のイートインは春帆楼の味を手ごろな価格で楽しめる貴重な存在と言えよう
ご馳走様でした
この日は春帆楼で食事をした後、カルメン観劇までまだ時間があったので高島屋の向かいの丸善に寄って何かいい本がないか探したところ、いくつか買いたいと思った本があったので3冊だけ買ってみた
- 「吉野葛・盲目物語」(谷崎潤一郎)
- 「日本人にとって美しさとは何か」(高階秀爾)
- 「3月11日のシューベルト」(舩木篤也)
今読んでいる本を読み終わったら読んでみよう