以前、テレビ番組の「YOUは何しに日本へ」で海外から日本に来た青年に「何しに日本へ。」と聴くと、「自分は日系三世で、
自分のルーツを探しに日本へ来た。」と答えていた回がありました。
それを見て、自分もルーツについて調べてみたいと感じていました。
それで、両親に聴いたり、史実を調べていく中に一人の人物に辿り着きました。 どうやら我が家のルーツの原点はこの人のようです。
山陰の麒麟児と謂われた戦国時代の武将「山中鹿之助」が我が家の先祖に当たるそうです。
もちろん、直系の子孫ではなく、分家のようです。調べてみると直系の末裔の方はきちんと東京にいらっしゃるそうです。
両親が祖父母に聴いた話によると、「分家であることを証明する家系図もあったが、戦時中の混乱で無くしてしまった。」そうです。
山中鹿之助は、織田信長が天下布武を掲げて活躍した時代、尼子家に仕え、お家再興のために奔走した武将として知られています。
知将というよりは、実践型で一騎打ちでは負け知らず、勇敢な武将でした。
それが、織田の援軍が着かなかったせいで、敵軍毛利家の捕虜となり、毛利家に引き渡される道中に、刺殺されています。
その子孫が、元禄時代の頃に、大阪に出てきて、財を成し、後の日本生命の基礎を築きます。 後に「鴻池善右衛門」と呼ばれます。
明治初期には、五代友厚の働きかけに協力し、大阪でもいくつもの合弁会社にも出資していたようです。
後の世に、毛利家が資金繰りに困って、鴻池に資金援助を頼みに来ましたが、断られたと謂われています。
しかし、この「名将 山中鹿之助」の本には、「昔の恨み話は無しで。」ということで快く資金を援助したと書かれています。
私も、かつては、「ご先祖様の首をとった。」ということで、毛利家に対して、あまり良い印象を持っていませんでした。
しかし、毛利家の内情も調べていくうちに、「やむを得ない苦渋の決断だった」「毛利家の内情も決して安泰ではなかった」ということが
分かってきて、しだいに蟠りも消えていきました。
「こちらの都合もあるが、相手側にも都合がある。」 そう思えれば、日常的な人間関係や蟠りも少しずつ解消されていくのかも
しれません。
その理を教えてくれた「山中鹿之助」「鴻池善右衛門」そして「毛利家」に感謝したいと思います。
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