帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 兼盛 (六)

2014-10-08 00:23:30 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 兼盛 十首(六)


 たよりあらばいかで宮こへつげやらむ けふ白河の関は越えぬと

 (つてと機会があれば、なんとかして、都へ告げてやろう、今日、陸奥の・白河の関は越えたと……我がものに・頼りどころあれば、なんとかして、あなたを・宮こへ着けてやりたい、京だ、白かはの難関は越えたと)

 

言の戯れと言の心

「たより…つて…機会…頼りどころ…信頼すべきもの」「あらば…有らば…健在ならば」「宮こ…都…京…山ばの絶頂…感の極み」「つけ…告げ…着け」「む…意志を表す」「けふ…今日…きょう…京…宮こ…感の極み」「白川…色果てた女…おとこの色に染まったおんな」「川…女…おんな」「関…難関…難所」「ぬ…完了した意を表す」

 

拾遺和歌集 巻六 別、詞書「みちのくにの白河こえ侍りけるに」としてある。(陸奥国の白河の関を越えた時に……未知のくにの、白い川、こえたときに)詠んだ歌。


 歌は、表向きの清げな姿がある。「心におかしきところ」は、和合の難関を越えたいおとこの心情。

 


 拾遺和歌集に、上の歌の次に並べられてある、公任の歌を聞きましょう。詞書「実方朝臣みちのくへくだり侍りけるに、したくらつかはすとて(都を厭うた理由は知らないけれど・藤原実方が陸奥へ下るので、下鞍を餞別に遣るということで・詠んだ歌)」。

 

 あづまぢの木の下くらくなりゆかば 宮この月をこひざらめやも

 (東路の木の下暗くなりゆけば、都の月を恋しくならないだろうか・きっと恋しくなるだろうな……吾妻路の、この下、くらくなり逝けば、宮この・あの絶頂時の・月人おとこを、恋しくならないだろうか・恋しくなるだろうなあ)

 

言の戯れと言の心

「東路…東国への路…吾妻路…己の妻の路」「路…かよい路…女…おんな」「この下…此の下…木の下…木陰」「木…言の心は男」「くらく…暗く…照り輝かなく」「下鞍…馬体と鞍の間に敷く馬具」「宮こ…上の歌に同じ」「月…月人壮士…おとこ」「こひ…恋い…乞い」「やも…反語の意を表す…詠嘆の意を表す」

 

歌は、表向きの清げな姿がある。「心におかしきところ」は、都を棄てた男の心情を「宮こ」を棄てたおとこの心情として、我が事のように詠んだところ。

 


 今では、残念なことに、両歌とも「心におかしきところ」は埋もれ木のようになり、歌の清げな姿だけが「通釈」と成ってしまった。


 

『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 
 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 
 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 
 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


 それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(公任のいう、心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。