帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 中務 (一)

2014-10-14 00:34:07 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 中務 十首(一)


 忘られてしばしまどろむ程もがな いつかは君を夢ならで見む

 (この世に・忘れられて、しばらくうつらうつら眠れる間があればなあ、いつかは、娘を夢ではなくて、安らかに眠った時に・相見るでしょう……男君に・見棄てられて、しばしうつらうつら眠る時が欲しい、いつかは、貴身を、夢のようなはかなさではなくて、見るつもりよ)


 言の戯れと言の心

「わすられて…忘れられて…先立たれ…みすてられて…わすられで…忘れられなくて…いつでも思っていて…眠れば夢に見て」「もがな…願望する意を表す…(安らかに眠れる時が)あればなあ…(あの世にゆき)たいなあ」「きみ…亡くなった我が娘…男君」「見る…顔を見る…対面する…(男君を)みる」「見…覯…媾…まぐあい」「む…推量を表す…だろう…意志を表す…つもりだ」

 

拾遺和歌集 巻二十 哀傷に、詞書「むすめにおくれはべりて」とある。中務(なかつかさ)は八十歳の長寿だったので、娘にも孫にも先立たれた。

中務の父は、宇多帝の皇子敦慶親王。母は、古今集を代表する女流歌人の伊勢。亡くなった娘は藤原(ふぢはらのこれただ)の妻だった。伊尹は歌の上手で、何事にも優れておられた。太政大臣となり謙徳公と称された人。


 あの世で娘と逢いたいという哀傷歌にも、「心におかしきところ」が添えられてある。それは死ぬまで断ち難い煩悩そのもので、是が無ければ歌ではなく、ただの弔辞である。


 

同じく、娘を亡くした和泉式部の歌を聞きましょう。新古今和歌集 巻第八 哀傷歌、娘の小式部内侍が身まかりて後、常に持っていた遺品の手箱を、誦経のお布施にするということで詠んだ歌。


 恋ひわぶと聞きにだに聞け鐘の音に うち忘らるる時のまぞなき

(娘・恋しさに悩むと、御仏たち・聞くだけでも聞き給え、読経の鐘の音にも、ふと忘れてしまえる時の間さえない……ものこいしさに悩むと、御仏よ・聞くだけでも聞き給え、この鐘の音にさえ、煩悩・うち棄てられる時の間なんてないのよ)


 言の戯れと言の心

「こひ…恋い…慕う・懐かしむ…乞い…求め…欲求」「聞きだに聞け…(御仏よ)聞くだけでいいから聞き給え…(御仏よ)聞いてもどうにもならないでしょうけれど聞いて」「わすらる…忘れられる…恋しさを忘れられる…乞いしさを棄てられる」「る…自然にそうなる意を表す…可能の意を表す」


 

『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。


 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。

 

藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 

清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 

藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 

上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。

 

それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(公任のいう、心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。