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帯とけの新撰髄脳
『新撰髄脳』の著者、四条大納言藤原公任は、清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人である。藤原道長も、公任を詩歌の達人と認めていた。
和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸の学者たちの国学とそれを継承した国文学によって論理実証的に和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。明治時代に正岡子規に、「古今集はくだらぬ集に有之候」「無趣味」「駄洒落」「理屈っぽい」のみと罵倒されるような歌になった。平安時代の人々はほんとうに、そのような「くだらぬ」歌と思っていたか、否である。
「およそ歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあるのを優れているというべきである」などと、奇妙なことを言う公任の歌論を、近世以来、無視し続けて来た結果、我々は和歌の解釈を間違えているのである。和歌の元の意味を蘇生するには、古今集が秘伝と成る以前に帰ればいいのである。あらためて公任の歌論を紐解き、和歌の帯を解き、「心におかしきところ」をよみがえらせる。
(以下、新撰髄脳では手本にすべき歌を九首撰んで掲げ、これらの心と詞を参考にするべしと述べられる。今日より、三首づつ聞いていく)
風吹けばおき津しら波立田山 夜半にや君が独りこゆらん
(風吹けば難波の沖津に白波立つ龍田山、夜半に君は独り今ごろ越えているのでしょう……心に風ふけば、捨て・置きの女、白じらしい心波が立つ、絶った山ば、夜半ではないか、君は独り越えて逝くでしょう・どうして)
言葉の多様な意味
「おき…沖…置き」「津…言の心は女」「立田山…龍田山…風と紅葉の名所…絶った山ば」「白波…白々しい心波…白汝身」「白…色の果て」「な…汝…親しみ込めて君のもの」「らん…今ごろ何々だろう…目に見えていない現在の事柄について推量する意を表す…何々だからか、どうしてだろう…現在の事柄についてその原因理由を推量する意を表す」
上の句に、歌枕(龍田山)を置いて下の句で詠み人の思うことをいう歌。
伊勢物語では、大和に住む女が、家運と容貌の衰えを知り、夫が河内の高安の女の許へ通うのを容認して送り出すので、夫の方が妻を怪しんで、河内へ出かけたふりをして、前栽に隠れて妻の様子を窺っていると、妻は、けさうして(化粧して…怪相して)、この歌を詠んだのである。妻の心の深い奥まで知らされた男は、それより、河内の女の許へは通わなくなったという。
これを歌の本とすべし。
この歌を歌の手本とするといい。
なにはなるながらの橋もつくるなり 今は我が身をなににたとへん
(難波なる長柄の橋も繕い作ると聞く、今は、永らえ古びた・我が身を何に例えようか……あれは萎る、永らの身の端も尽きるのである、今は我が身を何に例えようか)
言葉の多様な意味
「なにはなる…難波にある…難波の…何は萎る…あれは萎える」「なる…にある…為る…萎る…なえる…よれよれになる」「ながら…長柄…橋の名…古い長い橋…永らえ古くなったもの」「はし…橋…端…端くれ…身の端…をんな・をとこ」「つくる…造る…改修する…作る…装う…改装する…尽くる…尽きてしまう」「なり…伝聞を表す…断定を表す」
上の句に歌枕である長柄の橋を詠み、下の句に今の心情を言い表わした歌。
深い心は、老いの嘆き、誰もが羨む情愛の限りを尽くしてきた老女の自嘲。
清げな姿は、長柄の橋の改装とその感想。
心におかしきところは、何は萎え、色ごと尽きた女のありさま。
(古今集雑体 誹諧歌 題しらず 伊勢。 誹諧歌は、誹謗・諧謔の歌。滑稽味のある誹り、自嘲も含む)
これは伊勢の御が子の中務の君にかくよむべしといひけるなり
この歌は、伊勢の御が娘の中務の君に、歌はこのように詠むといいのよと言ったのである。
恋せじとみたらし川にせしみそぎ 神はうけずもなりにけるかな
(恋しない・諦めようと、賀茂の社の・御手洗川でした禊ぎ、神は受付けないまでにもなってしまったなあ……乞い求めないと、見たらし川でした身の退き、上は承知しないまでにも、なってしまったなあ)
言葉の多様な意味
「恋…身分違いの恋か…乞い…求め」「みたらし川…御手洗川…名高い賀茂の社の御手洗川…川の名…名は戯れる。見垂らし川、身たらし川」「見…覯…まぐあい」「たらし…だまし…あざむき…垂らし…滴らし」「川…女…おんな」「みそぎ…禊ぎ…身を清める…身削ぎ…身を剥がす…身を離す」「かみ…神…髪…上…うえ…女の尊称(例・紫の上)」「うけず…受けず…受託しない…承知しない」「かな…感嘆・感動を表す」
上の句は、名高い賀茂神社の御手洗川での禊。下の句には男の思いが言い表わされてある。
深い心は、身分違いのためか恋の断念を決意した男の心情。
清げな姿は、男が恋を断念するため御手洗川でする禊。
心におかしきところは、身を削ぐように退くおとこを承知しない女の思い。
(伊勢物語にある歌。よみ人は男)
これは深養父が元輔にをしへける歌也。
この歌は、清原深養父が元輔(清少納言の父)に・このように詠めと・教えた歌である。
「新撰髄脳」の原文は、続群書類従本による。