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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。
公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えて「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。歌には多重の意味があり、「心におかしきところ」には、エロス(生の本能・性愛)が表現されてあったのである。
古今和歌集 巻第六 冬歌 (327)
(寛平の御時、后宮の歌合の歌) 壬生忠岑
みよしのゝ山の白雪ふみわけて 入りにし人のをとづれもせず
みぶのただみね
(吉野の山の白雪踏み分けて、入山した人が、訪れも音沙汰もせず……み好しのの山ばの、おとこ白ゆき、婦身分けて、入門した男が、おと、摩れもせず)
「山…山ば」「白雪…おとこ白ゆき」「ふみわけ…踏み分け…婦身分け」「をとづれ…訪れ…音沙汰…おと摺れ」「を…おとこ」「と…門…おんな」。
吉野の山に、白雪踏み分けて入山した人、訪れも音信もせず・吉野山の雪深い風情――歌の清げな姿。
あの山ばで、しらゆき降らし、ふたたび婦身に分け入りし男、をと・おとこと門、擦れ合う気はひもせず・はかないおとこのさが――心におかしきところ。
古今和歌集 巻第六 冬歌 (328)
(壬生忠岑)
しらゆきのふりてつもれる山ざとは すむ人さへや思きゆらむ
(みぶのただみね)
(白雪降りつもっている山里は、住んで居る人さえ、思火、消えるのだろうか……おとこ白ゆきが降って、積もっている山ばのさ門は、棲む男小枝や、思いの火、消えるのだろう)。
「しらゆき…白雪…白ゆき…おとこ白ゆき」「山…山ば」「さと…里…言の心は女…さ門…おんな」「すむ…住む…棲む」「さへ…さらに加えて…さえ…小枝…おとこの自嘲的表現」「や…疑問・感嘆・詠嘆の意を表す」「思…思ひ…思火…燃える思い」。
白雪降りつもった山里に住む人の心情を思いやった――歌の清げな姿。
(327)の歌とほぼ同じ情態を、別の視点から表現した・はかないおとこのさが――心におかしきところ。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)