隣のベトナム人の寮で働く人々に、管理者からラインで一斉に
猫の写真をシェアしてもらった
というのは その寮に 躊躇せず入っていくセイジの後ろ姿を見たことがあるからだ。
でも 知らないという。
どういうことなんだろう
人が入れ替わるからか、ときくと
そんなことはないという
誰かが嘘をついているのだろうか
そんな猫は 知らないと言われれば、それは嘘だと思う
ベトナム人は、日本語をあまり覚えようとしないのだという
為替レートの問題もあり、ほとんど日本に来ても旨味がない今は
犯罪目的で来日するケースもあるという。
日本語を覚えない理由は、おそらく
ベトナム人同士のネットワークがあり、日本人とコミニュケーションをする機会をもたねばならないほど、不自由していないということを指す
日本の地元の人との交流がないがために
日本人という「記号」は
犯罪を犯してもいい という感情を伴わない相手になってしまうのかもしれない。
もちろんベトナムの人が全部悪いひとだというわけではない
日本の現状は、上の人がふんぞり帰って人々を欺いて
毒を注ぎ、それによって起きた症状にまた毒を注ぐことについて
広報したり 法的に定めて 人減らしを厭わない しかも
それを やすやすと受け入れてしまうという
なんとも情けない 犯罪が上から下まで、加害者なのか被害者なのか
渾然一体となって わけがわからない状態にあるのだ
だれがこんな国の 言葉を 敬意をもって習おうと思うだろうか
ましてや、ただ日本人のやりたがらない労働を安い賃金でさせられ、
たいした学びもなく帰国させられるのであれば、(借金をしてきているような
状況であれば)犯罪でも起こしてやれという気分になってもおかしくはない
それが正しいか、そうではないかではなく
そういうふうに考えるだろう、道理から考えれば。
だから、平気で嘘をつけるのだろう
一番かわいそうなのはセイジを可愛がっていた
家のヘルパーさんで、
ダニなどを毎回チェックして薬を自分で買ってきて体に塗ってやったり
熱心に世話をやいていた
自分の家で飼っている長毛種の猫と似ているのだという。
「いいんだ、たぶん セイジを飼っている人が、外に放していたのを
家に入れた、今は幸せに暮らしているんだとおもっているから」と
もう否認の域に入ってしまっている
こうして、この数年を振り返ると
行方不明になった猫 事故にあったねこ
怪我をした猫
頭数を数えると半数くらいがいなくなり
それでいて、子猫の保護があるかというとほぼない
一頭だけ拾ったが、それいがいは子猫が育った形跡がない。
かといって自分が飼えるかというとこれ以上はパンクしてしまう
そうはいっても、こうして外で猫が誰かに危害を加えられても
なにも動かない(先日 ミニラが車に轢かれた件では警察が2度もきて、車の運転をしていた当事者に聞き込み具体的に警備のカメラをみても そのあとは無視されている)
注射で人々が「戦後最大の死者数」となって
近所で 親戚が 身内が、なぜか 複数 たった数年の間に亡くなるという事態やら テレビで「帯状疱疹はある年齢からとても増えます」と
ワクチンの宣伝が(宣伝をするということは お金がかかる。お金をかけてもやるということは「儲かるとういうことだ」)
たとえ厚生労働省の前でだれかが惨状を訴えようと、
厚労省の役人は嘲笑うように見て
そして、あの注射で激増したのだろうと思われる帯状疱疹に
ワクチン定期接種しますと たからかに宣言し
ただただ、人体を儲けのタネにすることを厭わない
そんな国なのだ。
人間も ただの家畜なのだ
だから、動物が死のうと生きようと
警察も 法律家も
法の番人ではなく
権力の番人でしかないのだ。
その手法をもって
積極的に 人々を 殺害する手先になっているにすぎない。
そんな国で、動物の権利も
人間の権利も守られるはずがない
なにしろ
こういう文章を書くと ひどいとか そこまでではないとかいう人もあろう
自分もその仕組みの中で生きているから
息をしている「生きている」だけどね。
ただ、家畜になっているだけだから
すくなくとも自分は、
現状をみたのだから、じゃあなにをするか。ということだ。
現状をみたら、それで「世界がそうだからしかたない」と
思うのか
自分の理想の世界を作るためには なにができるかをみつけて
一歩踏みだすのか
自分の世界を変えるということは そういうことだ。