ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

思想教育

2022-04-25 02:47:17 | 思ったこと
ある政党に関係深いところにいた頃、
「思想教育には気をつけろ」と言われていた
もちろん、そんな偏見がないからこそ、その
「関係深いところ」に所属した
若い頃の「私」

人を、コントロールしようという意図が根底にある場合を
見分ける。
「それ」に、敏感になったのはなぜなのかわからない。

自分がどうしようもない 強固な、頑固さを持っており、
容易に誰かの言うことに「同意」することができず、
不器用な立ち回りしかできない性質で
「同意」できない時に受ける「仕打ち」を体験してきたから
なのかもしれない。

いい人のふりをして、
自分の味方を作ることをもとめて、
いろんな人が、誰かを「自分の意見と同意見であって欲しい」と
コントロールを試みる。
今の時代、というか、多くの時代、
人と人がお付き合いする、どこかの集団に属す、ということは
そう言うことは当たり前のことで、
表面上でも なんでも、とりあえずはあわせておく、
あるいは自分の意見を「明確に もたない」という選択を
することが「賢い」と思っていたり
そこまでも思っていなくて、ただ
意見をもたない習慣になっていることさえ
気づかないひともいるかもしれない。

なぜ、自分がここまでこだわるようになったのか
わからない。


思想をあやつるということは、それだけ
罪深いことなのだ、と
どこか、魂に刻まれた理由があるのかもしれない。

ジャーナリストになるような道を歩むつもりもないが
ジャーナリストでありたいという想いをなぜか抱いていた

戦争を防ぎたいという気持ちを、
平和でいられる日常を、維持し続けたいという想いを
どこか心の奥底に強固に持ち続けてきたのは、
もしかしたら、
生まれる前に、
なにかがあったのかもしれない。

今になって、
新聞も、テレビも、あらゆる教育機関も、
また戦前の間違えを犯すことにまったく躊躇しないことに
驚いている。

巨大な教育機関となっている日本全体の「しくみ」のたくみさ
隣組はなくなっても、それと同じようなしばりをまぬがれない

こうして、だれかの顔色をうかがって、
人や、その国を きめつけて喋る人たちがいて、
まるで、その国の人たちが「間違っている」と全員気づかないのだ、と
上から目線で、
一番気づかないでいる。
そんな自分たちの姿に向き合うこともない。

その向こうで、まいにち、若い命が、罪もない人たちが、

まるでみせしめのように殺されている。
それも、やはり誰かを「教育するために」
あるいは
誰かが「教育されてた結果」

一人の命だ。
誰かの子供であり、誰かの家族であり、
一人の人生が、無残に

思想をコントロールすること、
人の自由な心を、どこかに縛りつけるような
誰かを殺すように、仕向けるような。
それは誰がやるんだ。

それは、誰が、なんの意図で、やるのだ。



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