マスクが感染を防がない、という話はいくつかみてきた。
最近もまだマスクをしている場面が多くて
病院などにいくと、いまだにマスクだらけで、
検温までするのにうんざりする。
この人たちのいる空間から早く逃げたいと
思いながら、
親切そうな言葉をかけてもらいながら、
そそくさと後にする
もう、病院にお世話になるのは嫌だなあ
これから、ずっと健康でいられる保証など
だれにもないけれど
そんなことをつらつら考えるととてもきつい気分になって
寝込みそうになった。
誰とも話が通じない空間で
生きていく諦めを手にいれる
そんなことが
果たして自分にできるだろうか
諦めることが最善だという世界を
死ぬために生きるということを
自分は選択するべきなんだろうか
意見も言わずに
自分の中では理屈がとおっていても
誰かから批判されるのを恐れて ずっとじっと黙っているということが
私は「最善だ」と思いながら、
その「最善だ」という信念をもちづづけて、
どの思いも、言葉も飲み込んで
まるであらかじめ思ってもいなかったかのように
死ぬまで生き続けることができるだろうか
死ぬまでの時間を通り過ぎるだけの時間を
ただずっと待つという人生を
生きることを
心から納得して生きられるだろうか。
それとも、心の中の不満をどこかにぶつけながら
なにもできない自分に腹を立てながら、
それでもまた
死ぬまで の時間を通り過ぎるだけの生き方をしていく
おなじことだ。
それとも、それとも。
恐れずに 自分の意見を表明し バカにされようと
堂々としていることができるだろうか
未だにマスクを強制しているという
ある現場の人から、
相談を受けた。
エビデンスと言われる文書をにわかに探すと
どれも 確実に思えず
角がたたないようにとか
どこからどこまでは自分の意見で出すべきか
とか
いろいろコントロールしようとしている自分に気づく
意見をまっすぐ言えないというのも
おかしなことだ。
バターの入ったパンを
ドクロワッサンといった
ある大学の名誉教授のことを思い出していた。
クロワッサンを食べることで死んでしまったという
話は聞いたことがない。
バターがいけないんだという。
その先生は、もうある慢性病でなくなった
医療関係の名誉教授である
その先生が 正しいのか 正しくないのかなんてわからない
でも、先生は 自分の信念を表明して生きたのだ
どんな偉いひとでも、批判されることはある。
どうですか
まだ マスク 続けますか?_
まとめた資料をもって、その人は職場に向かった。