循環無端~cycle endless~

土を耕し野菜を栽培する。栽培した野菜を発酵作用等で加工し、食す生活を夢見ています。

さんたんたる鮟鱇 村野四郎

2017年02月18日 17時11分24秒 | 徒然なるままに(日記)
 2月19日(日)雪 -1℃

 長い間頭の隅に突き刺さったような詩を、ある日突然思い出している。
 明日の自分・・・。



――へんな運命が私を見つめている  リルケ

 顎を むざんに引っかけられ
 逆さに吊りさげられた
 うすい膜の中の
 くったりした死
 これは いかなるもののなれの果だ

 見なれない手が寄ってきて
 切りさいなみ 削りとり
 だんだん稀薄になっていく この実在
 しまいには うすい膜も切りさられ
 惨劇は終っている

 なんにも残らない廂から
 まだ ぶら下っているのは
 大きく曲った鉄の鉤(かぎ)だけだ




 

 <この詩には「へんな運命が私を見つめている」(リルケ)

というサブタイトル風な言葉が添えてあり、
それが「さんたんたる鮟鱇」という標題によくマッチして、それだけで一篇の主題をうかがわせる。
無残な詩だ。鉄カギで逆さ吊りされて肉を切りとられ「だんだん稀薄になっていく この実在」。

そうして最後に「ぶら下っているのは 大きく曲った鉄の鉤だけだ」ということ。
この不様な魚が象徴するのは、或る場合における人間の運命である。

 生の姿が不様であるばかりでなく、ぶら下がった死もみじめである。
そのうえ死の肉体は残酷に切り取られ、いっさいが無になったとき
ようやく運命の惨劇が終わる。

 私どもの運命にもこれがある。永遠にうしなわれて形をのこさぬような、無の運命が行手に影を落としている。

 『抽象の城』の詩人は、このような意識を作品の恒久的主題にしたのである。>

【伊藤信吉「解説」(『村野四郎詩集』(思潮社、1987))】

ディックブルーナ氏逝去す

2017年02月18日 07時26分19秒 | 徒然なるままに(日記)
2月18日(土)

 2月16日

 ディックブルーナさんが亡くなられた。89歳だった。

 私の娘がブルーナ絵本が大好きで、幼いころからバイブルのように見続けて来た。

 「サーカス」「きいろいことり」「小さなうさこちゃん」→「ミッフイーちゃん」

 石井桃子さんが翻訳した文章が一番読みやすかった。1953年から絵本作家として活躍したというのだから、

 私が1歳の時である。世界中の子供たちばかりではなく親たちに、たくさんの夢を与えてくれた方です。

 「ありがとうブルーナさん」安らかにお眠りください!