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コトバにしなくても伝わることもある
accosのつらつら日記

責任と判断

2015年11月07日 | つらつら
デリーは
インドの首都だけあって

近隣の州からの労働者だけでなく
様々な人種と様々な境遇の人々が生活する街

そんな場所で生活していると


「あの人はあのカーストだね」


とか


「あの人はどこどこ州の出身だね」


とか


「あの人はどこどこの言葉しゃべってるね」


とか

そういったことは深く濃く
人々の価値観として
当たり前に存在しているんだなって
肌で感じる


だって
名前でわかるし
顔でもある程度わかるようになっている


それを隠すために
敢えて通称の苗字を変える人も多い


(インドでは
戸籍の登録等も全然整備されてなくて
誕生日だって自分の都合で公言できる

二つ誕生日を持つ人もいる)


今でも
同じカースト内でのお見合いが
一般的な結婚の形態なのだから
そういう意識が強く残るのも
容易に想像できる


だからこそ
家族や親戚同士の関係が濃いんだろうなと
つくづく感じる今日この頃



ちょっと前から
日本に帰国していて
縁もゆかりもない東京に滞在しているんだけど

東京は特に
本当にいろんな人がいるね

外国人だけでなく
日本人でもいろんな人がいると
ここでは改めて感じることができる

当然といえば当然


だって
人間みんな違うんだもん


以前は


同じ日本人だから


とか


同じ日本人なのに


とか

漠然と感じてた


でも今はわかる


みんな違うんだって


日本っていう国のくくりだって
誰かの利益の為に分けられてるだけ

究極を言えば
人類というくくりだって
人類に分類されている「ヒト」が
利己的に分類してるだけ



司馬遼太郎を読んでいる


日本人の起源とか
日本語の起源とか
そういったトピックに関する
対談形式の書物なんだけど

非常に興味深いよ


難しくて
さっぱりわかんないとこも多いけどね


根本的に
血とか遺伝とか
そういったレベルで
人は一人一人違う


そういうことを
改めて考えさせてもらっている



そういう社会の中で

自分がどう生きていくか




考えなきゃいけない


というか
それをしっかり考えなきゃ
生きていけない



テレビの放映だって

ネットの情報だって

国の代表者の会談だって

何だって

誰かの利己的な考えに基づいて行われてるだけ



あぁ

私たちは踊らされてるなと


改めて感じるわけですよ




だからこそ


自分のことは自分で判断しなきゃいけない


どこかの情報に乗っかるにしても
自分の判断で乗っからなきゃいけない


私はそう思う





自分の生活を丁寧に生きる


改めてその大切さと

難しさを痛感する日々でございます

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