五重塔巡りを纏めたHPは多数あるが、この深見の五重塔を紹介したものは
殆どない。
地元出身で医療用機器の製造販売会社で財をなした糸永貞樹氏という人が
米寿の記念に個人で寄進したと記念碑に記してある。
18歳で単身上京し粉骨砕身苦労のすえ医療用機器の製造販売会社で成功した
という。(「ユフ精機㈱」HPより)
安心院(あじむ)は由布院から宇佐へ抜ける途中にあって中世に宇佐神宮の
荘園の倉院があったという歴史を感じる町である。
阿蘇の帰路、天気がいいと旧「やまなみHW」をドライブしつつ由布岳を眺め
て帰りたくなる時がある。湯布院に寄って宇佐に抜けると途中で左方向の山手
に五重塔が見え隠れする。
いつもは帰着時間を気にして素通りするのだが、昨年末初めて寄ってみた。
昭和58年建立、木造でモデルは京都醍醐寺の五重塔とある。
これほどの塔を個人で建立するとはやはり凄いと思う。
駐車場に土産物店があるが廃業しているように見える。辺りに人影も全く見か
けられない。
建立後しばらくは名所として流行ったがブームが過ぎ去ったように見受けられた。
殆どない。
地元出身で医療用機器の製造販売会社で財をなした糸永貞樹氏という人が
米寿の記念に個人で寄進したと記念碑に記してある。
18歳で単身上京し粉骨砕身苦労のすえ医療用機器の製造販売会社で成功した
という。(「ユフ精機㈱」HPより)
安心院(あじむ)は由布院から宇佐へ抜ける途中にあって中世に宇佐神宮の
荘園の倉院があったという歴史を感じる町である。
阿蘇の帰路、天気がいいと旧「やまなみHW」をドライブしつつ由布岳を眺め
て帰りたくなる時がある。湯布院に寄って宇佐に抜けると途中で左方向の山手
に五重塔が見え隠れする。
いつもは帰着時間を気にして素通りするのだが、昨年末初めて寄ってみた。
昭和58年建立、木造でモデルは京都醍醐寺の五重塔とある。
これほどの塔を個人で建立するとはやはり凄いと思う。
駐車場に土産物店があるが廃業しているように見える。辺りに人影も全く見か
けられない。
建立後しばらくは名所として流行ったがブームが過ぎ去ったように見受けられた。
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