忙中閑話

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盗難仏像の韓国側住職たちの突然の訪問

2013-03-16 | 随想
一昨日のニュースによると韓国・浮石寺の僧侶や支援者たちが、仏像を盗まれた対馬の観音寺にアポなしでやってきたとのこと。代替らしき仏像と寺で売られているマスコット人形3体を持参したと言う。明らかに取ってつけた誠意らしさを見せつけるだけのポーズにしか見えない。事実、韓国側のマスコミも帯同している。帰ってから大々的にわざわざ行ったのに門前払いとは不誠実だと宣伝するはずだ。

何よりおかしいのは持参した仏像は20年ほど前に作られ、浮石寺で大事にされてきたものだという。200年前の間違いではないかと思ったが確かに20年前のもののようだ。日本ならもし仏像が無くなったら、50年、100年後には仏像を作り直すはずだが朝鮮では違うらしい。これで仏像を大事にしていたと言うのだろうか。

また略奪されたという記録の有無については、記録はあったが略奪されたことを忘れるため廃棄したと言うらしい。全く幼稚で根拠の無いことを主張する。

 そもそも、前に書いたように浮石寺は奥行きが30kmもある細長い入り江の奥にあり、海賊がまともに入り込めない場所にある。それに加えて海岸から数キロも離れている。地形的に倭寇説は無理がある。

端山・浮石寺の位置


それに端山自体が半島中部に位置し、当時の航海技術では沿岸や島伝いにしか行くことができなかったはずだから海賊としてのこんなところまで倭寇が出向くのは無理なのである。事実半島から少ししか離れていない済州島は李氏朝鮮の時代は流刑地であった。この距離で流人が脱走できないのだから当時半島中央まで行くのは相当困難であることが判りそうなものだが、多分半島の人の多くは済州島がかつて流刑地だったということも知らないのだろう。


 また、かれらは倭寇の略奪というが倭寇は始めから海賊ではなく、通常の取引がうまくいかないときに略奪に走ったという。そもそも600年も続いた李氏朝鮮時代、鎖国に近い政策を続けていたではないのか。宗主国だった中国の裾の中に隠れた隠遁国家であり、中国とは多少商売の付き合いはあっただろうが当時の日本とは密貿易以外の民間の取引があったとは考えられない。あったとしても対馬と半島対岸との間だけだろう。そういう次第だから沿岸伝いで半島中央まで行くことはまず考えられない。

おまけにわざわざ行って取引するだけの価値あるモノが半島側には無かったのではないか。
江戸時代に朝鮮通信使というのがたびたび訪れているが、持参するものはほとんどなく逆に日本からの贈り物を要求したおねだり使節だったようだ。江戸幕府は困り果て、使節の派遣を制限したという。

 そして何よりも倭寇の多く7割以上が日本人をかたったものという。自国人つまり半島人か中国人だったという。仮に略奪があったとしても、地理的なこと、当時の航行技術などを総合すればそれは半島人自身か中国人による可能性の方が高い。

 ともかく、大事にしなかったという証拠でもある20年前の仏像を持ってきて、対馬で盗まれた仏像は自分のところの大事な仏像だと主張する神経が我々の常識を超えている。さすが長年「井の中のカワズ」だった隠遁民族ではある。





 


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