しま美の 日々是感謝 日記

日々のくらしの出来事の中で何か一つ「良かった」を見つけます。時々「驚いた」「不思議だ」があるかも 京都市在住😸🐱🙀

ショパンを味わう***仲道郁代さんコンサートから

2021-07-02 | 日記
仲道郁代さんのピアノソロコンサートに行ってきました。(京都です)
オールショパンプログラムというもので3回シリーズの今回最終回でした。


💕
1年に1回ずつ各地でコンサートをされていたようです。 
実はこのコンサートは昨年行われる予定だったのですが
コロナの関係で一年延期になっていたのです。 
今回も中止の憂き目に遭うかと思っていたらなんとか開催されました。😅
客席はかなり満員に近かったですが、
皆さん静かに聴いておられましたので、
無事を祈っていますが、、、。

さてこのショパンプログラムですが、
仲道さんが曲目の解説をはさみながら演奏してくださるというものです。

今まで漠然と聞いてきたショパン。

💕
ショパンは生まれはポーランドだった。
⁕フランスで活躍していたので、なんとなくフランス人かと思ってました。⁕
39歳の若さで亡くなる。肺結核だったのでは。
小さいころから音楽、ピアノの神童で、
4歳でピアノを始めて、
7歳でポロネーズ ト短調を作曲してすぐ出版されたそう。
その時からすでにプロ活動始まっていたのですね。
20歳でウィーンに行く
⁕地方から東京に出ていく感じかしら⁕
しかしそこからショパンの悲しみの人生が始まる。
ウィーンに着いてまもなくワルシャワ蜂起が起こり、
反ポーランドの風が吹いてウィーンでは演奏しにくくなる。
この時ショパンはウィーンで流行していた、
いえ、いまもウィーンっ子自慢のワルツ、が嫌いになった、と
仲道さんは解説されました。
それからワルシャワ蜂起が失敗に終わったことで
ショパンは最終的にフランスへ活動拠点を置くことになる。
🎼

ショパンの曲は、
当時のフランス貴族のために書かれたせいもあるでしょうが、
たいてい華やかで美しいフレーズの曲で、
聴く私たちを幸せな気分にさせてくれます。

しかしショパン自身は
祖国ポーランドへの悲哀と
持病を抱えながら
作曲をし、演奏活動をしていたそうです。

🎵

有名な「英雄ポロネーズ」は
解説がなければ
—勇壮な軍隊パレードが行われて
それを見に行って大変感激しました!
という様子かな…🤔
で終わってしまいますが、

祖国の軍隊がこのように強くいてくれて
ポーランドが独立できたらなあ
という想像の曲を
遠い国フランスで書いたものだそうです。

ということを聞くと、
仲道さんの見事な力強い演奏を聴きながらも
なんとも言えぬ悲哀の情が湧いてくるのです。
曲が明るければ明るいほど、
寂しさや悲しさがまた強く感じられますね。
🎹

晩年の(または円熟期と言われる後半の)作は
「祖国ポーランドへの思い、そして自分の体の機能がどんどん失われていくその悲しみを感じつつもなお、最後の力を振り絞って、思いを譜面にしていたのでは」仲道さん解説。



ショパンの多くの曲に、何とも言えない
美しくも、もの悲しいフレーズが、
華やかで明るいメロディの中にさりげなく
すっと入ってくるあたり、
ショパンの心境を物語っていたのではと、
仲道さんのお話しを聞いて
遅まきながらやっと理解することができました。
💿

もう一つ
クラシックを聞かないという人でも聞いたことがあるくらい
有名な
「子犬のワルツ」
この曲はなんと
病気が悪化していた晩年の作だそうです。
晩年の作はいくつかあるようですが、子犬のワルツもその一つ、
体調が悪い中でも、
「こんな一時もあったのですね」
と仲道さん。
この曲、明るいばっかりで
悲しいフレーズは一切ありませんよね。

私の恥ずかしい話ですが、
三十O年前、ピアノを習っていて、
先生から強制的に課題で出された
この曲「子犬のワルツ」
私の手には負えない作品でありました。
長く習っていた割には、
なんとなく上達しない、苦手感がするピアノでして。
私、ピアノの譜面はイマイチ苦手で
和音拾うのにもかなり時間かかる方でして、
ショパンの曲の難易度の高さは
よく分かっていると思います。
その私に言わせれば、
「体調悪いのに、なんでこんなスピードの早い曲弾けるのよ!?」
「気分が沈んでいた晩年になんでこんな明るい曲作れたの?」
つまりショパンさんって
相当天才だったということですね。
凡人にはついていけません!
でも聴いているだけなら
安らぐ曲多いです。
あぁ、それはピアニストさんの努力の賜物です。
🎶(⊙o⊙)💦

コロナ禍の中にもかかわらず
演奏に来てくださった仲道郁代さん
ありがとうございました。
お話しもわかりやすくて感動しました。