読書の森

いつか江ノ島で その1



それは田舎の小学校の様な古びた市民ホールだった。
中に入ると、海岸のすぐ近くというのに潮の香りより、かび臭い匂いがした。
観客席は殆どが中年の女性で占められている。

この映画が市民運動のグループが主催している事を馨子はその時知った。
簡単な司会者の挨拶があって、映写機が回された。
柳沼馨子は、遠い昔、小学生の頃の映写会を思い起こした。

『ルイズ その旅立ち』
ここで馨子はこの映画が、大杉栄と伊藤野枝の遺児、ルイズを描いたノンフィクションである事を知った。

昔の映写会そのままにモノクロの画面に大きく題名が浮き出ていた。

時代の変わり目、21世紀に入る前の年の春だった。



「映画会があるの。良い映画なの。
一緒に見ない?」
塔澤美也から電話がかかって来たのが4月。
桜もあらかた散った頃である。

美也の声は半年ぶりで聞く。
柳沼馨子は唐突な電話に驚きながら、場所と日にちを尋ねた。

「江ノ島で来週」
心なし美也の声が低い。それでも張りは失われていなかった。
以前あった時の闊達な美貌が浮かんだ。

(江ノ島か?春の江ノ島もいいな」
馨子は軽い調子で承諾した。
その頃馨子は久しぶりに芽生えた恋に浮かれていた。

40代後半の美也と馨子は、前年夏、同じ様に脚を患う患者の会で知り合った。

山手の住宅街に住む社長夫人の馨子は極めて人懐こく打ち解けて話して来た。
中古のマンションで一人暮らしの馨子は前年勤めを辞め冴えない在宅の仕事をしている。

立場は全く違うが、二人は妙に通じるものがあった。
その後電話や便りを交わす内に10年来の友人の如く親しくなったのである。

何不自由なさそうな美也の入院の知らせを受けたのが、その年の秋口だった。

股関節の手術で2ヶ月もすれば退院出来る筈が、美也のハガキは師走に入っても病院からだった。

可愛いアニメのハガキが落ち葉の模様になり、やがて官製はがきに変わる頃、馨子はやっと美也の身体に何か異変が起きた事を知った。

読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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