
大人たちは、降りしきる雪に凍えながら 見ているのですが・・・

近くの学校から見学に来ている子どもたち、大はしゃぎ。
とても楽しそうなのです。
さて、任那があった時代、朝鮮半島には新羅・百済・高句麗の国がありました。そして中国は五胡十六国と呼ばれる時代で、東晋・北魏・その他諸々数多の王朝が乱立していたそうです。その1世紀前には、映画「レッドクリフ」の基になった「赤壁の戦い」があるわけですが、映画の視覚的なものと併せると、その頃の国というのが何となくイメージ出来るかなというものです。 その時代「三国時代」の前に、後漢が200年続き、その前には新があって、ついには紀元ゼロ年に至ります。
この頃になると朝鮮半島は弁韓12国、馬韓50余国、辰韓6国というふうに、様々な部族に分かれた集団が点在していたようです。 そして、日本は弥生時代のことであり、発掘調査を手掛かりに想像力をたくましくしなければ分からない時代です。とはいえ、朝鮮あるいは中国から渡来した人たちが縄文人と交わりながら弥生時代を築いていたとすれば、朝鮮半島の状況と似たような状況だったのかもしれません。でなければ朝鮮半島に百済、新羅などと同じくして日本の影響下にあった任那が存在できないだろうと思われます。
中国に視点を戻すと、紀元前2世紀に前漢が統治し、紀元前3世紀には、ついに秦の始皇帝が登場します。 その間に歴史書 「史記」 が作られているのですが、そう思うと、中国の先進性に驚かされるわけです。 で、その驚きは更に続き、遡ること紀元前8世紀まで 「春秋戦国時代」、そして 西周 → 殷 へと続き、紀元前21世紀には、中国最古の王朝と伝承される 夏 があったとのことです。
さらに更には、
紀元前7000年 黄河文明
紀元前14000年 長江文明・・・と、
とにかく中国の歴史はスゴイのであります。
ところで、『中国の山東省の臨淄(りんし)から出土した古人骨のミトコンドリアDNA分析では、春秋戦国時代(紀元前4世紀頃)の集団は現代ヨーロッパ人類集団・トルコ人集団に近く、前漢時代(紀元前2世紀~1世紀) の集団は、中央アジア集団のクラスターに入るものであった。それゆえ古代中国にはすでに中東・ヨーロッパ地域と文化的な交流が行われており、ギリシャやエジプト、ペルシアの渡来人が多数住んでいたと思われる』 との記載があり、人種や民族の分布は、今とは随分違っていたのかもしれません。
文明が発生する以前から、地球の様々な地域に人間が住み着いていたのでしょうが、中国人とは? 朝鮮人とは? 我われ日本人とは? どこからやって来たのでしょう・・・