よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

御願神事 (竹割り祭り) 2

2012-02-11 | 

地元の祭りなのに”旅”のカテゴリーに入れるのはどうかと思いますが・・・祭りを介してはるか昔に思いを馳せる旅とでもいいましょうか。歴史の勉強をサボっていたので、改めて眺めてみるのもいい機会かと・・・

飛鳥時代からおおよそ600年後、日本最大の危機がやってきます・・・

李氏朝鮮は、高麗の武将である李成桂が1388年に明に対抗すべく出兵を命じられたところ、クーデターを起こし政権を建てたものだそうです。そして明、清の冊封体制の下にいたわけです。

その高麗もまた新羅の武将である王建が王族を倒し建てたものです。 中国の唐が廃れ宗の時代になると、国境を接しなくなり影響は小さくなったようです。 しかし後半になるとモンゴル帝国が勃興して、元の支配を受けるようになります。 そのとき起こったのが、中世日本最大の危機、『元寇 』 です。

元は日本に対し冊封体制に組入れるべく使者を出します。しかし仲介した高麗の策略か、日本の対応がマズかったせいか、元を怒らせてしまうわけです。 なお、元寇の直前に高麗内で「三別抄の乱」という内乱があり、反政府勢力が日本に救援を要求しているので、日本側としても混乱していたようです。

こうして対馬、壱岐を攻めたあと、九州へと攻めてくるのですが・・・
子供の頃に習ったのは 「二度とも台風が来て蒙古をやっつけた、目出度し目出度し・・・」と記憶しています。
しかし実態としては熾烈な戦いがあったようです。 特に一回目の文永の役では台風は来ておらず、自力で追い返したようです。二回目は台風が来たようですが、戦闘による勝利といった方がよさそうです。 そもそも地の利は日本側にあるし、戦力も騎乗から矢を射られるわけで、元が大軍だったとしても、日本の方が有利だったのだと思います。

ところで、弓道の写真を撮っていて思ったのが、弓の長さが半端じゃないってことです。中国の弓をネットで見ると随分と小さくて玩具のように思えるほどです。それで元寇との戦いを描いたものを見ると騎乗の武士が持つ弓は、元軍の持つ弓の1.5倍の長さです。 弓が長いということは矢の長さが同じ場合、弦を引いたときの曲げ量が小さくなるので、その分へたりにくいだろうし精度も高かったと思われます。当然、射程距離を大きくすることも出来るというもので、これは大きかったはずです。 

こういう開発力が勝利の要因だったのかもです。
それに元軍とは違った格好良さ、このデザイン力もいいじゃないですか。

NHKで「平清盛」やってますが、元寇は清盛逝去(1181年) の後90年ほど経った鎌倉幕府の時代ですね。

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御願神事 (竹割り祭り) 

2012-02-11 | 

御願神事を紹介するHPによれば 『天武天皇白鳳五年(677年)、の宝祚窮国家安泰御立願により・・・』、とのことであり、その由来は随分と昔に遡ります。677年といえば飛鳥時代の頃です。なんとまぁ歴史のある祭りでしょうか・・・

677年といえば、その10年ほど前の朝鮮にて白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)がありました。

wikipediaによれば、『663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍(羅唐同盟)との間の、海と陸の会戦 』とのことです。当時の朝鮮は高句麗、百済、新羅の三国に分かれており、そのときを境として高句麗も滅ぼされて新羅が朝鮮半島を統一することになったそうです。

倭国というのは日本のことですが、その後、唐・新羅との対立が深まり危機感の高まりから国号を「日本」と定め新たな体制が整った時期だそうです。
で、奈良、平安時代へと続くことになります。

そういう時代の ここ北陸、いったいどういう景色が広がっていたんでしょうか?

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撮り貯めた写真

2012-02-09 | 風景

本ブログに載せた写真をGANREFにも載せていこうと思います。
そちらでは拡大して見ることが出来ますので、ご高覧頂ければ幸いです。

 

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オジサン世代のカメラ観

2012-02-08 | 風景

白峰、雪だるま祭りにて Olympus E-5+ZD12-60

 

以前、おじさんにとってのカメラは、
『 男は黙って巨漢大砲主義っすよ! がははははっ 』
ってな、おバカな記事を載せました。

すなわち、カメラ・レンズは、これみよがしに自慢できるものを持っていたいんじゃなかろうか・・・というものです。

そのオジサン、つまり団塊の世代の人たちが大量に退職し、暇とお金を持て余しているはずです。

その人たちがカメラを趣味にしようとしたとき、olympusが新たに出すOM-D・EM-5は、どう映るのでしょうか?

「昔のカタチで出ています・・・ってか」 ではなく

「これこそカメラのカタチだよね」 と言われればいいのですが・・・

ひょっとして 「ターゲットは若者世代っすよ、他社の中上級機に比べりゃ半値だし、カタチだって彼らにすりゃ新鮮だろ・・・」って具合なんでしょうか。

FTユーザーの自分としてはカメラ事業を継続してもらいたいので、大いに売れることを祈っているところです。

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ところで、

2012-02-08 | 風景

白峰 『雪だるま祭り』にて、olympus E-5+ZD12-60

この雪だるま祭りへ行くと、かならず大きな「アンパンマン」と「バイキンマン」が出迎えてくれます。で、今年の出来栄えは、ご覧の通り『おみごと!』 でありました。 去年一昨年の作もどうぞ・・・

 

 

ところで、話は先日の続きですが・・・

李氏朝鮮が500年もの長きに渡り存続できたのは、日本が江戸時代に鎖国政策を執ったことや、欧州各国が覇権を競う時代にあって清の関心がそちらに向いていたことがあったからかもしれません。

そこで現在の北朝鮮の如く、支配層の安寧を第一に民衆が苦しもうがどうしようが、清におもねって、ひたすら平穏を祈り続けていた結果ではないでしょうか。

しかしそれは18世紀以降のことで、17世紀は清が建国するにあたり明との戦争があり、それに巻き込まれて散々な目に遭っている。その前には豊臣秀吉の日本軍に攻め込まれ明の助けを借りて何とか凌いでいるし、倭寇には常時荒らされ続けていたわけで、命までは獲られないように貢ぎ続け、内向きに生きていたのだと思います。

そういう李氏朝鮮ですが、設立当初は多少の気概もあったと思われて、倭寇の拠点となっていた対馬に侵攻した「応永の外冦(1419年)」を起こしています。ただし対馬の反撃により引き返しており、大した戦力ではなかったようですが・・・。

さて、この時期の日本は室町時代であり、戦国時代へと続き、日本のこの混乱に乗じて攻め入る隙があったと思うのですが、それが無かったのは朝鮮や明の国力を削ぐように活動した倭寇の存在が大きかったのかもしれません。

で、そこから勝手な想像をするに、日本の各地に諸大名が乱立している間も常に皇室が存在していたのであり、それが倭寇を利用していたのではないか・・・と。
そもそも倭寇は、明の前にあった元が李氏朝鮮の前身である高麗の進言により日本を攻めた元寇が原因で、その復讐としてゲリラ的に大陸・半島を襲ったのが始まりとのことです。 各地の武家が自分の領地拡大に勤しんでいるとき、日本が攻められたという記憶を持ち続ける皇室としては何らかの手を打たなきゃと思うのが自然というものではないでしょうか・・・。

というわけで、この時代、皇室について語られることは少ないようですが、戦国時代の別の一面として面白い物語を作れそうに思うけれど、どうでしょう?

くしくもヨーロッパの大航海時代だし「パイレーツ・オブ・○○○」とか・・・で、まぁお話としては、元寇の頃の鎌倉時代から始まり、対馬の守護代 宗家の武士を主人公として日本朝廷の密使や幕府の何某らが、元寇に捕らえられた宗家の姫君を助け出すべく、日本の海賊(倭寇)と手を組んで高麗へ潜入する・・・という戦国サスペンス・・・

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雪国

2012-02-07 | その他

雪が多いところの生活はホント大変です。

でも、雪だるま祭りで訪れた白峰の町は楽しげな雰囲気に満ちていました。大変なだけじゃない雪国のひと時でした。

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気温

2012-02-06 | 風景
去年の冬、山中町では屋根雪下ろしをした? ように思う。(一年前の記憶が薄れているって、大丈夫かと心配・・・)大雪の報道があり、今年は寒いのかもしれないけれど、近くの町で屋根雪を下ろしたという話を聞かないことから、当地での積雪は少ないし、寒さも昔に比べれば大したことはないように思う。 で、気温が 「平年並み」 とか低いとか高いとかいわれるけれど、はたして今年の冬はどうなんだろう。 若かりし頃の記憶からすると 「高い」 ように思うのだが・・・そもそも、その平年というのが何かってのが問題で・・・調べてみたら30年間の平均だそうで、10年毎に見直しされるのだそうで、ちなみに現在の平均気温というのは1981年から2010年までの平均だそうです。すると、それ以前の気温は勘定に入っていないわけで、温暖化が今より進み雪がまったく降らなくなったとしても、「平年並み」と呼ばれるようになる日がくるのでしょうね。その逆もあるかもしれませんが
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白峰の 『 雪だるま祭り 』

2012-02-05 | 風景

Olympus E-5 + ZD12-60

金曜日、白峰の雪だるま祭りを見に行ってきました。
そうとうな寒さを覚悟して行ったのですが、夜になっても氷点下1度?程度にて大したことはありませんでした。
そのせいか、降ってくるのはボタン雪で、叩けば舞い散るサラサラ雪とは違って、湿っぽかったです。
でも、愉快な雪だるまたちが笑顔で佇むのを眺めながらテクテク歩くのは実に楽しいものです。

それに、なんといっても ”濡れても大丈夫!E-5にお任せ!!” ですし、

”E-5の相棒、ZD12-60” でもって、こっちの体力・気力が続くまで頑張る頼もしい奴が一緒ですから。

いまマイクロフォーサーズのフラッグシップ?OM-D(E-M5)のウワサでもちきりです。しかしE-5が出てから1年と数ヶ月、まだまだ頑張ってもらいます・・・たぶん。
PENが出たとき、少し食指を動かされましたが、結局買いませんでした。 それは顕微鏡(いまのメインは内視鏡)を手がけるというolympusl ってブランドは、男子好みの硬派なものだとばかり思っていたのと違っていたからで・・・、というか、そもそもオジサン世代以上は眼中になかったようなので、若い人たちや女性の多くがユーザーになっているのでしょう。 そこにOM-D登場ですが、はたして今までにMFTユーザーとなった人たちが買い替えや買い増しをするのかどうか、また新たな顧客を獲得できるかどうか、そしてオジサン世代以上の男たちを満足させる訴求力があるのかどうか、ある意味、これからのolympusのカメラ事業を左右する重要な一台になるのかもしれません。 と思うと、やっぱり注目だな。

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写真展一つ二つ

2012-02-05 | その他


ひとつは、工芸空間フゾンさんにて地元 「大聖寺」をテーマにしたものです。
つい最近撮られたものから昭和初期の写真まであって、なつかしさについつい引き込まれてしまう展示になっています。



もうひとつは、アビオシティ一階ホールにて、ライフサポートセンター主催の写真展です。
去年撮ったポートレートや風景などが展示されています。

というわけで、足を運んでいただければ幸いであります。
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例えるならば・・・

2012-02-05 | その他


日本が朝鮮を併合したところを『日韓併合』でみました。『日韓併合』では、それ以前の李氏朝鮮に触れ、当時の朝鮮が国としての体を成していなかったことを明らかにしているのですが、それが中華思想による冊封体制にあることや、儒教、朱子学を国教として働かず農民から略奪するばかりの両班が蔓延ったせいであるとしています。
それでも500年余りも生き長らえたというのは、日本が室町(戦国時代)、安土桃山、江戸・幕末、明治 と目まぐるしく体制が替わったことを思うと、不思議な気がします。
というわけで、かつて赤点だった歴史の勉強を Wikipedia にて一からやり直しです。
でも、知らない名前が次々現れるので、その都度 名前に貼られているリンク先に飛んでいくと、更に知らない事柄が現れて、まさに Wikipedia の中を右往左往・・・前に読んだ部分は忘れてしまい、ちっとも先へ進めません。 それにまったくもってイメージが湧かないのです。
でも、朝鮮史は中国や日本との関係なくして語れないということだけは分かったので、Wikipedia上にあった「中国時代区分表」をベースに自分なりの年表を作ることにしました。
それが上の図です。
李氏朝鮮とそれ以前の高麗後期は、中国(清、明、元)の冊封体制の下、事大主義により属国として生き残ってきたわけですが、中国の支配体制が替わる毎に朝鮮内でも混乱が起こり、加えてその意に従って或いは自ら日本との交戦により疲弊し続けているようです。
それと元寇の復讐として対馬の住人などが倭寇(海賊)となって朝鮮や中国を荒らしまわったそうで、随分と手を焼いていたようです。

日本でも政変がイロイロあるわけですが、海を隔てているおかげで、他国に踏み躙られることがなかったのは幸いだったようです。それに戦国時代を通して戦闘力が強化されたことも朝鮮とは随分違った歴史を辿った原因のひとつでしょうか。

時代を更に遡り鎌倉、平安、奈良、飛鳥・・・と見ていくと面白いわけですが、その拡大版として大陸、朝鮮半島の歴史があって、やっぱ中国ってスゴイなと思った次第です。

で、例えるならば 「のびた ジャイアン すねお君」 ?
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