広い境内に植えてあるモミジは、ほとんど葉を落としたものやこれから色づくものと賑やかだった。
晩秋になって低くなった太陽が、昼間でも幾分長い影を作るようになった。
木々が作るコントラストの強い影と、紅葉した葉や人の温かみを感じさせる影が秋をいっそう感じさせる。
今年はエルニーニョ現象で暖冬らしいが、このところの冬は寒い日は極端に冷え込むので冬将軍が来るまで分からない。
今年の紅葉は、例年になく散り急いでいる。
広い境内に植えてあるモミジは、ほとんど葉を落としたものやこれから色づくものと賑やかだった。
晩秋になって低くなった太陽が、昼間でも幾分長い影を作るようになった。
木々が作るコントラストの強い影と、紅葉した葉や人の温かみを感じさせる影が秋をいっそう感じさせる。
今年はエルニーニョ現象で暖冬らしいが、このところの冬は寒い日は極端に冷え込むので冬将軍が来るまで分からない。
今年の紅葉は、例年になく散り急いでいる。
呑山観音寺は篠栗八十八カ所霊場の第十六番札所である。ご本尊は千手観音で駐車場の先の奥まったところにある。
呑山観音に行くときに顔を出すのは、ほとんど第三十六番札所で観音寺の塔頭である天王院である。
ここには波切不動明王がおれれる。ここのモミジが目当てで、季節折々に線香をたてに行く。
週末だったのと秋の参拝と紅葉見物で、10時前だというのに広い駐車場は車で埋まっていた。
いつもはガラーンとしているのでびっくりした。
天王院のモミジは、数日前の風と雨で上の方の葉がかなり落ちていた。
それでも日の光を浴びて、葉の赤い色素アントシアニンがいっそう最後の輝きをみせていた。
まだ色づき始めたモミジは、緑から赤へのグラデーションがとても美しい。
ほとんどの木は、枝の先の葉からしだいに色を濃ゆくして散ってゆく。
一般的にはカエルの手の様な形をしたものをカエデといい、赤子の手の形のように切れ込んだものをモミジという。
らしい、総称してカエデというのだが、紅葉狩りにといわれると木々の紅葉することよりもモミジを連想してしまう。
園芸種のイロハモミジあるいは、イロハカエデが多く見られのでそう思ってしまうのだろう。
北からの前線がやってくる度に、冷たい風が吹き冷たい雨が降る。そして、見上げていた色づいた葉を地上で見ることになる。
北からの風がまだ弱いのか、その風に乗ってくるというカモ達の姿を香椎潟であまり見かけない。
早く色づいた木々は強風や雨で散ってしまうことが多い。
春に咲く桜と同じで離層が閉じられてしまった葉は、色づいてまで散々幹に栄養を吸い取られ散っていく。
池の水面には紅葉できずに、散ってしまったモミジの葉が多く浮かんでいた。
池を眺めるスポットに木橋がかかった辺りがロケーションがいい。
三脚は持ち込み不可のところ以外は、常に持って歩くのだがほとんど手持ちで撮ることが多い。
木橋を渡ったり園路から少し外れた邪魔にならない場所に三脚を据え、アングルを変えながらシャッターを押した。
唐津市厳木町の山あいにある環境芸術の森は、モミジやカエデが1万本もあるといわれている。
地元との有志が30年かけて、育んできた木々が成長して色づいていた。
昨年は11月20日過ぎに行って見頃だったのだが、今年は先週には見頃を迎えていた。
やはり、今年の木々は例年になく早く色づき見頃を迎えているようである。
環境芸術の森の 目玉というか、訪れた人が絵にするシーンがある。
ネットでは色づいた木々の艶やかさがテーブルに映り込む、リフレクション写真が多く見られる。
丁度いい具合に色づいていたので、空いてる席から撮ることが出え来た。
きつい姿勢でファインダーを覗きながら頭の中では、ちょっとあの辺りに小石を投げ込んだらどうなるだろうと思っていた。
波紋が広がると、多分こうなるだろうと思ったのが下の写真だ。