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あきほの 気まま日記

日常の出来事を 気ままに好きなことをつづってみます・・・

旧増田家住宅

2015-12-02 | 歴史散歩
昨日の武家屋敷群の続きになります。

かやぶき門の所から反対側の馬場(道)を 進んで行ったら、
目的の 重要文化財指定の「旧増田家住宅」が有りました。
その時間帯には、アメリカからと台湾からのツアーが入っていて
皆さん 女性の方は着物姿で、男性の方は着物に袴を着て
写真撮影したりで お茶会があったようでした。

私は、その時間石蔵の中で 入来院家についての映像を見ていました。
うちの親戚に、入来院家の人がお嫁にきているので、興味深く見ました。

この旧増田家住宅は、平成21年に東京在住の持ち主から 薩摩川内市が
土地と建物の寄贈を受け、平成22年から3年をかけて保存修理工事を
実施しました。(パンフレットより)
この住宅の構成は、母屋 石蔵 浴室便所 洗い場が一体となっています。

母屋です。

ところどころ色違いのかやぶきがありますが、台風15号で傷つき修理した部分や
カラスが巣作りに引き抜いたのを修理あとみたいです。
とても、親切なボランティアの方の説明で 全てが面白く 心に残りました。

樋の間

おもての間となかえの間をつなぐ形で 竹を組み合わせ その上に銅板を張って
雨を受けていたようです。
別棟型民家として、おもてとなかえを樋の間で繋ぐ形式が
武家住宅としての特徴みたいです。
面白かったのが、ここが、おもて玄関だそうです。
樋の間から おもての間に行くには、敷居が高く30cm以上は有りました。
おもての間には、天井を張って有りました。

おもての間 の 床の間


おもての間の膳棚 凄い調度品の陳列


なかえは、居間に当たり 煮炊きもするので 天井を張ってないです。

使ってある材木の梁等が太いですね。


囲炉裏があり、自在鉤も有りました。


この増田家には、入来院家から嫁いだ方がいるので
調度品も超貴重な高級感あふれる物ばかりです。
お印も、丸に十の字はもちろん 菊の御紋入りや 桐の御紋いり等
陶器類も 白さつま 青磁 有田焼き等 凄いものばかり

ボランティアの方の説明によると、鑑定団に出して見ようと計画して
いたようですが、重要文化財指定になったので 出来なくなったらしいです。

外に出て 現実に戻り深呼吸しました。

母屋の外には、洗い場棟 浴室便所棟 石蔵 地蔵堂等があり 、母屋を囲んでいました。
地蔵様は 廃仏毀釈のおりにも 信者によって守られて 無傷なお姿でした。


ここは、江戸時代にはお寺だったようで、後に寺子屋になり 後世 開業医で
眼科医院となったと聞きました。

後に寺子屋は、城跡に移ったようです。
次回は、城跡の事を書きます。


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武家屋敷群

2015-12-01 | 歴史散歩
12月になってしまいました。今年もあと少しですね。

今日は、朝霧が立ち込めて中々消えずに、いつもよりも時間がかかって消えました。
霧が消えるのを待って、何時も行ってみたいと思っていた
入来の武家屋敷群を見に行ってきました。

入来は、入来院氏が治めていた場所です。
入来院氏は、江戸時代よりも以前の1247年 相模の国渋谷庄の渋谷氏が
戦いの恩賞としてこの北薩の地を与えられました。
渋谷氏の子孫が 東郷 祁答院 高城 鶴田 入来院 を受け継ぎ、
入来院氏が 受け継いで治めていたところが入来なのです。

この武家屋敷群は、県の指定にもなっていますので、
綺麗に整備されていました。

生垣の素晴らしい風景です。




入来院氏の邸宅前の かやぶき門



上の写真は、パンフレットを写した物です。
今は、台風15号で吹き飛ばされて無くなり 看板が立っていました。





今年度中に復元予定となっていますので、出来上がってからまた来たいと思います。

この入来院氏をはじめ 他の多くの方々が武家屋敷の中で生活されていますので、
中には入れませんが、公開されている増田住宅がありますので そこを見せてもらいました。
その報告は、次回にします。

うちの門に似たお家が有りました。

似ているのは、門だけです。
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旧大名庭園を散策

2015-03-14 | 歴史散歩
先日、友人と旧大名庭園を散策して来ました。

JR浜松町駅の近くにある都立の「旧芝離宮恩賜庭園」です。

娘が小さい頃に行ったようですが、記憶にないので初めての感覚でした。
直ぐ近くにある「浜離宮恩賜庭園」に比べるとこじんまりとした庭園ですが、中々雰囲気のある静かな私好みの庭園でした。



江戸時代以前この地は海でしたが、埋め立てられて、老中大久保忠朝氏の邸地となり 作邸され回遊式の庭園となりました。

見所も沢山あります。
西湖の堤

中国の杭州にある西湖を模倣した石造りの堤


中島

池の中央にある島で、八つ橋と西湖の堤で結ばれています。霊山を模倣した蓬莱石組みで素晴らしい。

枯れ滝

山峡を流れ落ちる滝を彷彿とさせる石組みで、川の流れが園路になっていて石組みの変化を楽しめます。

その他に4本立っている石柱や、根府川山などの見所が沢山ありました。

最後に、この庭園で今回咲いていた花をUP


うちから近くて、料金も安い庭園なので気に入っています。
実は、今日も散策に入って春の訪れを感じて来ました。
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たのかんさあ

2014-11-19 | 歴史散歩
この地域の農村地帯には、田んぼの稲の成長と豊作を見守っている田の神様がいます。
江戸時代の頃、島津家が統治していた薩摩藩(現在の鹿児島県と宮崎県南部地域)の田んぼの土手や道路脇 、田んぼを見渡す小高い所などに石像が鎮座しています。
子供の頃から見て知っていたので、別段気にもしていませんでしたが、ある雑誌を読んでいたら この地域だけらしいと知り写真を撮ってみようと思いました。
田の神様の事を方言で「たのかんさあ」と呼んで います。
田植え前と稲刈の後に感謝して 集落毎にお祭りをします。
秋は、お餅をついてお供えし その餅を「たのかんこ餅」と云います。
集落毎に祀り方は色々あってそれぞれ違うようです。

実家の近くにある「たのかんさあ」です。
うちの集落を守ってくれている たのかんさあ です。



1km西に鎮座して居る たのかんさあです
大きなしゃもじを持っています。



1km南に鎮座して居る たのかんさあ です
顔の丸だけが僅かに確認出来、古くからあるようです。



1km東に鎮座して居る たのかんさあ です
集落の人に綺麗なお化粧をしてもらって 可愛いです。



たのかんさあは、皆 しゃもじを持っていますね。
近所を歩いて回ってもあちこちにいらっしゃいます。
其々に歴史が有り、いわれがあるようで、こまごまと調べて個展をやっている人もいらっしゃるみたいですが、私は見つけた時に撮るだけにしました。表情が色々あって面白いです。
これからも、時々アップします。


コメント (2)
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古きを訪ねて・・②

2012-12-06 | 歴史散歩
今日は篤姫様が 将軍家定様に輿入れするまで過ごしたと言われている 薩摩藩の屋敷跡を探しに渋谷に行って来ました。

先日買った本の マップに沿って行くとほどなく見つかりました。
国学院大学の近くのマンションの道路側に碑が建っていました。「常盤の松の碑」です。
この碑の説明に「島津家の持地だった」という説明が見えます。幕末に建てられたようでその当時下屋敷を持っていた薩摩藩が置いたものという事です。この碑のほかには 屋敷跡を残す痕跡は何も残っていないみたいです。



渋谷の下屋敷は 約4万坪を超える敷地が有ったようで 現在の国学院大学や青山学院初等部あたりにありました。
この碑の隣にある「常陸宮邸」も薩摩藩の敷地だったようです。


ここからは 他の藩の大名屋敷跡です。

その前に 渋谷の名の由来になった神社に参拝してきました。

「金王八幡宮」
平安・鎌倉時代に この地を渋谷氏がおさめていたようです。
渋谷金王丸という人の名前からこの名が付いたようで 現在の社殿は江戸時代に「春日の局」の信仰を得て作られたようです。



「青山学院大学」   ここは西条藩松平家(愛媛県)の上屋敷だった処




「こどもの城」 「国連大学」  ここは淀藩稲葉家(京都府)の下屋敷だった処



今日も お天気に恵まれて寒くもなくウォーキングできて 歩数は約1万歩 2時間でした。
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古きを訪ねて

2012-11-29 | 歴史散歩
私は 自分の健康やダイエットを兼ねて歩くことが好きです。
そして 歴史も大好きです。
ある日 本屋さんでその両方を兼ね備えた本を見つけました。

今日はその本の中から 1コースの一部を歩いて来ました。

まず最初に興味が沸いたのが 自分の出身地の薩摩藩の江戸屋敷を訪ねるコースでした。

田町駅から出発しました。
駅中にあった「西郷南洲・勝海舟 会見の図」の壁画




駅を出て右に行き すぐにあったのが名高い 「西郷南洲と勝海舟 会見之地」
ここは 薩摩藩の蔵屋敷だったらしい処。

 


第一京浜国道を渡って NEC本社横の植え込みに「薩摩屋敷跡」の碑が有りました。
ここが 上屋敷だったらしい処。
かなり広大な敷地だったらしいけれど 今はこの碑と セレスティンホテルの後ろ側の道が「芝さつまの道」として残っています。

 


ここからは 薩摩藩では無いですが 大名屋敷を探して歩いていきました。

国道1号線をわたって 赤羽橋付近で「国際医療福祉大学 三田病院」があります。
ここは もとは久留米藩の領地で 最初水天宮はここにあったらしいです。



次に行ったのが 「綱町三井倶楽部」
ここは「佐土原藩上屋敷」だった処。今は 三井グループ家の会員制施設だそうです。

 

近くには 「綱の手引坂」の案内碑が有りました。
ここを降りていくと「都立 三田高校」が有ります。

又田町駅に戻って 今日の歴史散歩は終わりです。歩数は6900歩でした。

次は 天気の良い日に 薩摩藩の中屋敷を探しに渋谷に出かけますs

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