ボランティア演奏日記 「あきらとマドンナ」

訪問先でのハーモニカ演奏の記録と、時折、趣味の旅の様子等掲載しています

「松茸?」をお見せしました・・STT様 No.29 1年半ぶりのご依頼

2024年11月18日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 最近、依頼の途絶えていたところからパラパラと電話が入ってきていますが

中には8年ぶり・・というところもあってこちらもビックリ!!!

そんな状態で12月は、限界寸前までの予定が入っています

 

施設では、担当者が退職したりすると以後途絶えてしまうケースも多いのですが

未だ忘れないでいて下さる御利用者の皆様に感謝しています

本日も2名の方が覚えていて下さいました

元気の良いおばぁちゃんもいて、私の尻を触って喜んで?いました(苦笑)

セクハラは、男性専門ではないようです(笑)

 

秋の歌を中心に1時間の演奏でしたが

演奏半ばの水分補給タイムに「松茸」をお見せした所大変喜ばれました

じつはこの松茸・・・かなり前にSさんより頂いた工芸品で、

岐阜県のハーモニカのグループに所属されていた「S」さんの作品なのです

他で似たような作品にお目にかかったこともありますが出来栄えが秀逸で大切に保管してきました

近くの緑地でドングリやシダ類の仲間シシガシラを採集して敷物・添え物として使っています

随分前に松茸エキスも購入して振りかけて使っていましたがそのエキスも古くなって匂いがほとんどなくなりました

ドラッグストアなどで探したのですがありません

ネットで買えばあるのですが商品より送料が高く仕方なく断念しました

でも皆様の笑顔が拝見で来て良かったです

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「湖愁(唄:松島アキラ)」11/15(金)FKS様No.2 人数も増加して

2024年11月15日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 先回より人数も増えて活気がでてきました

今日はスクエアトレーニングの講師も参加され頭と足腰の動きの訓練も体験出来ました

演奏時間はは30分でしたが久しぶりに「湖愁」を演奏しました

皆さんも覚えていて下さったようで歌って下さいました

1961年に松島アキラさんが歌った「湖愁」を舟木一夫さんが名古屋の某テレビ番組で歌い、

松島アキラさんのステージでも歌ったことがきっかけで歌手「舟木一夫」が誕生しました

舟木さんは、地元一宮市のご出身で現在も人気があります

「湖愁(作詞:宮川哲夫/作曲:渡久地政信/唄:松島アキラ)」

1・悲しい恋の亡骸は、そっと流そう泣かないで

 可愛いあの娘よ さようなら たそがれ迫る湖の

 水に浮かべる 木の葉船

 

2・一人旅の寂しさは 知っていたのさ始めから

 はぐれ小鳩か白樺の 梢に一羽ほろほろと

 泣いて涙で 誰をよぶ

 

松島アキラさんは、当時スピッツのあだ名で呼ばれ人気者でした

人気のあった犬、”白いスピッツ”も今では見かける事も無くなりました

最近では、犬も人間より良い暮らしをしているものも多く・・・

人間の散髪は、¥1000カット・・犬の散髪(トリミング)は、¥5000以上の高額・・

おやつとて・・お犬様には太刀打ちできなくなりつつあります

アタシのバヤイ、特価品のスルメの足でもかじって焼酎をあおるのが関の山・・・

いやいや贅沢は申すまい・・健康でいられればそれでヨシとしなければ・・

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「証城寺の狸ばやし(作詞:野口雨情/作曲:中山晋平)」11/14(木)HJ様No.78 セクハラ談義

2024年11月14日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 昨日は、知人女性の葬儀に参列しました・・・・

その方若い頃は、女優の「小暮美千代」さんに似た美人でしたが、

最後は病で痩せられて逝去されお気の毒でした

私も自分の11年前の写真を偶然見ましたが、肌の張りが違うのに愕然!!

こんなジジイになるなんて・・・なんて落ち込んでいる暇などありません

生きているうちが華・・・少しでも有意義に楽しく過ごさないとの思いは強いです・・・

 

今日は、久しぶりに思い立って演奏した・・・”証城寺の狸ばやし”

(昭和21年)から放送されたNHKのラジオ番組「英語会話」でテーマソングとして

『証城寺の狸囃子』の替え歌「カムカム エブリボディ」が使用され

又、アメリカの歌手「アーサー・キッド」によっても歌われて

日本でも話題になったことを私も覚えています(ショーショーショウジョウウジィ~♪)

あの独特の発音が懐かしいです

「証城寺の狸ばやし(作詞:野口雨情/作曲:中山晋平)」

證證 證城寺 證城寺の庭は

ツ ツ 月夜だ みんな出て 来い来い来い

おいらの友達ぁ ぽんぽこぽんの ぽん

 

負けるな 負けるな 和尚さんに 負けるな

来い来い来い 来い来い来い

皆出て 来い来い来い

 

證證 證城寺 證城寺の萩は

ツ ツ 月夜に 花盛り

己等は浮かれて ぽんぽこぽんの ぽん

 

狸と言えば浮世絵でもおなじみの”タヌキの千畳敷”・・・

そう言えば国民民主党主 玉木雄一郎氏の・お目め・ぱっちりと

タヌキの目に似ていると言えばこれはバツ・・今は動物の体型に例えるのはタブーです

タマキさん、元グラドルとの不倫?が暴露され慌てていたようですが・・

党の代表ですから、これからもご自分の大切な「タマ・気ぃつけてお使いいただかないと」・・

人間は弱いものです・・・誘惑には惑わされるのは当たり前・・・

表に出ず陰で同じような事をなさっている政治家のセンセイ方、お気を付け下さい!

初代総理大臣「伊藤博文」は、芸者にご自分の”おち〇〇の袋”を拡げて酒をつぎ飲ませたとか・・

ところがゲイシャも大した役者で、「閣下ご返杯」と言って”熱燗”をそそいだので・・(笑)

・・・その先は、申しませんが・・・現在ばれたなら正に、”フクロ叩き”に遭うでしょう

今の世の中「セクハラ・モラハラ・何でもかんでもハラハラ・ハラハラ」・・・少し食傷気味・・・

大きな心での遊びがなくなってすこし寂しいです(-_-)/~~~

こんなことを申し上げるとアタシが袋叩きに遭いそうですが・・・

今日も御利用者の皆様が大変喜んで下さったのでほっとしました(^^)/

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古城(唄:三橋美智也)」RHU様 No.63 6年ぶりに合う

2024年11月12日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

昨年は・・・5年ぶりに連絡を頂き少し戸惑いながら訪問しましたが

今年も文化祭に呼んで頂き、通算63回目の訪問となります

RHU様は、私達が2008年12月にハーモニカボランティア活動を開始して

初めてお伺いした施設です。あれからもうすぐ17年たちます・・・

いままで様々な施設や団体等、106か所からご依頼を頂きましたが活動が良く続いたと自分ながら感慨深いです。

過去に演奏したプログラムを見ると同じ曲がでてきますが

その中で「古城(作詞:高橋掬太郎/作曲:細川潤一/唄:三橋美智也)」は人気のある曲です

1 松風さわぐ丘の上 古城よ独り何偲ぶ
  栄華の夢を胸に追い
  ああ 仰げば侘びし 天守閣

2 崩れしままの石垣に 哀れをさそう病葉や
  やだまのあとのここかしこ
  ああ 往古(むかし)を語る大手門

3 甍は青く苔むして 古城よ独り何偲ぶ
  たたずみおれば身にしみて
  ああ 空行く雁の声悲し

この歌にふさわしい古城はいろいろとありますが

私は、大分県の「岡城」を思い浮かべます

ここは、滝廉太郎さんの荒城の月のイメージもあります。立派な石垣が印象的でした

 

 今日は、6年ぶりにお会いした御利用者のWさん・・・

「私は14年通っているよ!」とおっしゃって我々を昔から応援して下さった方です

又、「武田節」の途中の詩吟部分でろうろうと謡われた男性御利用者・・・

詩吟6段の資格を持っていると言っておられました

私のヨタ話にも大いに笑って下さった女性の方々・・・45分の演奏時間でしたが無事に終了できました

 

時間的に慌ただしかったので皆様の力作はあまり見ることは出来ませんでしたが

絵画・習字・布で作る作品の数々・・・素晴らしい作品が沢山ありました

「文化祭」・・・お伺いして良かったです!(^^)!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旅愁(作詞・作曲:オードウェイ/日本語詞:犬童球渓)」11/3(火)AIAI様No.117 今日のおやつは・・

2024年11月05日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 ようやく気温も下がり秋らしい季節になって来たようです

秋の歌は、たくさんあるので選曲に迷いますがやはり「旅愁」は欠かせません

アメリカの曲だそうですが、今ではご本家のアメリカでは忘れられているとか・・・

「犬童球渓」さんの作詞が日本人の心に響いたのかもしれませんが

今日も皆様が大きな声で歌って下さいました

「旅愁(作詞・作曲:J・P・オードウェイ/日本語詞:犬童球渓)

1 更け行く秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに ひとりなやむ
  恋しやふるさと なつかし父母 夢路にたどるは さとの家路
  更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとりなやむ

2 窓うつ嵐に 夢もやぶれ
  遥けき彼方に こころ迷う
  恋しやふるさと 懐かしちちはは 思いに浮かぶは 杜のこずえ
  窓うつ嵐に 夢もやぶれ 遥けき彼方に 心まよう

昔は地方によって特色があり”郷愁漂う故郷の風景”も実感できましたが

今は、日本全国どこに行っても似たような風景がほとんど・・・

世の中が便利になって人間の繊細な感情も段々変化して行くのでしょう

闇バイトで平気で人を傷つける世の中・・・

昔は泥棒なら泥棒の誇りと仁義があったような気もしますが・・・

どんな業界もプロと呼べる人が少なくなって情けない世の中になったものだと思います

今日も皆様とcoffeeを頂きましたが、おやつは手作りの「五平餅と柿」・・

柿は御利用者の方が下さったものだそうでした

とりとめのない話をしながら笑い転げている時間は元気の源・・・

12月もオファーを頂き帰宅の途につきました

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ここに幸あり 唄:大津美子」10/30YR様NO.15 幸せとは?

2024年10月30日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

  いつも応援してくれていた「Oさん(男性)」が亡くなられたと職員の方に聞きました

先月も体調が思わしくないとは聞いていたのですが・・残念です

 

きょうは、ベットで寝たきりの「Fさん(男性)」からリクエストを頂きました

演奏場所まで来られないので部屋で聞いておられるとの事でしたので

ご挨拶に部屋まで伺うと「歌詞カード」が欲しいご様子でした

これからは、演奏曲の歌詞用紙を作成しお届けし差し上げようと考えています

リクエスト曲は、「青い山脈・ここに幸あり」の二曲でしたが

”青い山脈”も根強い人気曲です

話は変わりますが・・・・

ハーモニカ教室を主宰されている方のお話だと

昭和20~30年代の曲を練習しても「古い歌ばかり・・」と不満を言われる方がいるとか・・

文句があるなら教室に来なければいいだけの話だと思うのですが

教室で皆様との交流が楽しいから通ってこられるのでしょう・・・

私も、山口百恵さんや西条秀樹さん松田聖子さんの歌を演奏してみる事もありましたが

施設では、やはり、あまり喜ばれません・・・

ここは割り切って、私と同年の方々に合った昭和歌謡を演奏していきたいと思っています。

施設やサロンの皆様が、もう昭和歌謡はイイヤ・となったらご依頼が途切れると思いますので

それまでは自然に任せて流れて行きたいと思います

大津 美子さん

”ここに幸あり”

(作詞:高橋掬太郎/作曲:飯田三郎/唄:大津美子)

♪; 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し
  君をたよりに わたしは生きる
  ここに幸あり 青い空

♪;いのちの限り 呼びかける こだまのはてに 待つは誰
  君に寄り添い 明るく仰ぐ
  ここに幸あり 白い雲

結婚式などで昔は良く歌われた歌です

「幸せとは何でしょうか?」

時代にもよって変化したり、一人一人の価値観の違いで変わって来るものだと思います

他人から見て「あの人は金持ちだから幸せだ!とか、美人の奥さんだから幸せだ」等とよく聞きますが、

そんな事よりまず、健康な身体!!これが一番!!

病気になって初めて普通がいかに幸せな事か気がつく方も多いと聞きます

今日も皆様が笑顔で歌って下さって大いに盛り上がりました

10月の演奏も今日で終了・・・・

11月は通常ペースですが、12月の予定は、かなりタイトで忙しくなりそうです、

1月~3月のオファーも入りつつあります

これも、皆様のお引き立てがあればこそです。

ナントカ大病もせずボランティアを継続できていることに感謝するばかりです・・・

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唐獅子牡丹(唄:高倉健)10/26(土)KR様No.11 自分不器用ですから

2024年10月26日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 今日は持ち時間1時間30分と言う比較的長丁場でした

司会のHさんが結構冗談を言われる方で私と掛け合い漫才のような調子で

演奏が進んで行きましたので皆様も退屈はされなかったかと思います

高齢の方が多いので古い歌謡曲も喜ばれ大いに盛り上がりました

前に出て大きな声で歌う方や、涙ぐむ方・・

アンコールまで頂き帰り際には、わざわざ握手をしたいと言われる方も・・・

皆様特に男性御利用者の方々に喜んで頂けたようでしたのでほっとしました

今月は、任侠ものの歌を多く選曲しましたので

衣裳もそれに合わせて久しぶりに「唐獅子牡丹のTシャツと腕の刺青」を

強調した風体で舞台に立っていますが

皆様一応に”あきらさん彫り物入れたの?”と驚かれるところが面白いです

予想しない所での反応が皆様の「脳の活性化」にもつながるのではないかと思います

 

唐獅子牡丹(作詞・水城一狼・作曲:矢野 亮、唄:高倉健)

1 義理と人情を 秤(はかり)にかけりゃ
  義理が重たい 男の世界
  幼なじみの 観音様にゃ 俺の心は お見通し
  背中(せな)で 吠えてる 唐獅子牡丹

2 親の意見を 承知ですねて 曲がりくねった 六区の風よ
  つもり重ねた 不孝のかずを
  なんと詫びよか おふくろに 背中で泣いてる 唐獅子牡丹

3 おぼろ月でも 隅田の水に 昔ながらの 濁らぬ光
  やがて夜明けの 来るそれまでは
  意地でささえる 夢一つ 背中で呼んでる 唐獅子牡丹

高倉健さんのセリフ「自分不器用ですから…」・・・・・・

私が言ったら、ごく近くにいる女性から・・・

「アナタは器用ビンボーじゃないの?」と言われて落ち込むばかり・・・

高倉健さんは、2014年に悪性リンパ腫のため東京都内の病院で亡くなられましたが83歳でした

あれから10年・・・・時のたつのは早いものです

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こきりこ節(五箇山民謡)10/25(金)FKサロンNo.1 歌詞の意味は?

2024年10月25日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 新しく始まったサロンですが、勉強と体操の二本立てです

主催者は、顔なじみですがご主人も手伝う事になったと・・・

ご主人は以前、自治会で知り合って色々お話もさせて頂き、お世話になった方です

85歳になられたそうですが今でも自転車で図書館まで行くとおっしゃってました

しかし、体操(ストレッチ)の時間が四十五分は、長い・・との声も・・・(笑)

サロンの皆様は、新しい顔ぶれでハーモニカに興味を持って下さいました

七十代の方が多いようですが昭和歌謡はよくご存じのようです

 

今日の演奏曲は、「故郷の空・浪曲子守唄・人生劇場・

こきりこ節・赤とんぼ・無法松の一生・青い山脈」で30分強・・でしたが

「こきりこ節」でハーモニカの「音の出し方・変化」等をご説明させて頂きました

オクターブ奏法・5度・3度.・ヴァイオリン奏法などを混ぜて演奏・・

私の恩師が得意としていた「曲」ですが、あまり演奏される方はいないようです

東京の大御所「斎藤寿孝先生」が名古屋にお越しになった時に演奏は聴いたことがあります

 

「こきりこ節」は、富山県五箇山に伝わる日本の民謡の中で最古だと言う説もあります

五穀豊穣を祈り祝うおおらかで素朴な民謡です

七寸五分に切った煤竹を指で回し打ち鳴らす楽器「ササラ」を使用しますが

五箇山に旅をしたときに購入した現物を見て触っていただきました

こきりこの竹は 七寸五分じゃ 長いは袖のかなかいじゃ
(まどのサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン)

向かいの山に啼くひよどりは 啼いては下り 啼いては上り
朝草刈りの 眼をばさます 朝草刈りの 眼をさます
(まどのサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン)

踊りたきゃ踊れ 泣く子を越こせ ササラは窓の もとになる
(まどのサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン)

向かいの山に光るもんは なんじゃいな お星か螢か 黄金の虫か
(まどのサンサもデデレコデンはれのサンサもデデレコデン)

今来る嫁の たいまつならば さし上げてともしゃで やしゃおとこ
(まどのサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン)

娘十七大唐の藁じゃ 打たねど腰がしなやかな

(まどのサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン)

かずいろ知らで一人の処女(なじょ)が、いつしかなして岩田帯

(まどのサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン)

 

意味を調べてみたら「こきりこ」の意味がヘブライ語由来の「律法の書」らしく

「マドのサンサ」、「ハレのサンサ」、「デデレコデン」の意味は、

「祭りの時を喜べ!」「誉め讃えて喜べ!」、そして「あなたの道を論じています!」と・・

神の律法について人々はきちんと語り合い、神の恵みと祝福のうちに、

祭りにおいてその時を喜び、神を誉め讃えて喜ぶことが、

「こきりこ節」で唄われてきたと考えられますと掲載されていました。

(参考文献:日本とユダヤのハーモニー古代史の研究)

 

しかし、古代にどうやって日本の富山県の山奥にヘブライ語が伝わったのか

謎はますばかりです。青森県に「キリストの墓」がありますが

そこで生まれた幼児には額に「十」の文字を書く風習があったとか・・・

旅をしたときに村の資料館で見ましたがやはり不思議に思いました

 

ボランティアをやっていると知らない事ばかりで勉強になります

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東京の花売り娘(唄:岡晴夫)10/23(水)UD様No.22 賑やかに・・

2024年10月23日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 今日は、不安定な天候のなか・・丁度雨も止んだタイミングで訪問・・

職員の皆様や御利用者の皆様から暖かく迎えて頂きました

リクエスト頂いた曲は「青い山脈と東京の花売り娘」・・・・

「東京の花売り娘」は、昭和21年に発表され戦後の閉塞感のある雰囲気を

解放してくれた歌として高齢者の方に人気があります

終戦直後の混乱期に東京の街角に立って花を売った少女たちを歌い、

ヒットした 約70年前の歌ですがUD様の皆様は元気にお歌いになられました

(作詞:佐々詩生/作曲:上原げんと/唱:岡  晴夫)

1)青い芽を吹く 柳の辻で 花を召しませ 召しませ花を
 どこか寂しい 愁いを含む 瞳いじらし あの笑くぼ
 ああ東京の 花売娘

2)夢を見るよに 花篭抱いて 花を召しませ 召しませ花を
 小首かしげりゃ 広重えがく 月も新たな 春の宵
 ああ東京の 花売娘

3)ジャズが流れる ホールの灯かげ 花を召しませ 召しませ花を
  粋なジャンパー アメリカ兵の 影を追うよな 甘い風
  ああ東京の 花売娘

そう言えば・・最近は「えくぼ」のある女性の方をあまり見かけなくなりました

日本人の人相も昔に比べ大分変化してきていますが食べ物や触れる文化の影響でしょうか?

皆様からの応援のお言葉を頂き、11月.12月のオファーも頂き本日の予定を無事終了しました!(^^)!

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丹後半島 伊根の舟屋 ・・遊覧船に乗船

2024年10月19日 | 

 セントラーレホテル京丹後で昼食を取り

香住蟹の水晶煮などの箸でたべるフランス料理を堪能・・・

ホテルにはこんな往年の名選手の写真が飾ってありました

長島・王・稲尾・野村選手・・・が映っていますが野村選手は、ご当地の出身だそうです

ライオンズの稲尾投手も野村監督も故人となられましたが寂しいものです

 

丹後半島にある「伊根」は舟屋で有名で外国人にも人気スポットです

あいにくの天気でしたが、伊根湾巡りの遊覧船に乗ってみました

ご多分にもれずここでもカモメや海猫が観光客のエサを求めて乱舞しています

かっぱえびせんが¥100で販売されていてそれがエサとなります

カモメと海猫の違いは、くちばしが黄色一色なのがカモメ(渡り鳥)

海猫のくちばしは赤と黒の文様があり留鳥です

眼つきは「カモメ」の方が悪いような気がします(笑)

伊根湾には周囲5kmに渡り230軒余の舟屋がありますが

一階は船揚げ場・物置などに使用され道路を隔てた向かい側に漁師の住まいがあります

最近は、大きな船が増えて中に入らず外に係留されている船も散見出来ます

「ハ」の字になった舟屋は「クジラ舟屋」で昔はクジラを引き上げて解体したところです

 

ついでに雨の中「天の橋立」に立ち寄りましたが

皆様・・股のぞきをしながら苦労してスマホで写真を撮影されていますが・・

カメラをさかさまにして撮影すれば同じでは?・・・(笑)

最期に家内共々少しでも”おりこう”になるようにと「智恩寺(切戸文殊堂)」に参拝・・

大和(奈良)の安倍文殊・亀岡文殊(大聖寺)とともに

日本三文殊のひとつに挙げられる丹後(京都)の切戸文殊様・・・

はたしてご利益はありやいなや・・

妻のワル知恵が増幅しないかと少し心配しながら寺を後にしました

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人生劇場(唄:楠木繁夫/ 村田英雄)」10/14(月)AIAI様No.116 和気藹々と

2024年10月14日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 今日は久しぶりに担当のHさんにお会いしました

しばらくお顔を見ないと心配になってきますが安心しました

高齢者が多いので選曲の反応を心配しましたが皆様の笑顔を拝見で来て良かったです

 男っぽい歌謡曲のメロディは、良く似ているフレーズが多く

うっかりしていると他の曲に行ってしまう危険?があります

例えば、「浪曲子守唄・人生劇場のイントロ部分・傷だらけの人生の間奏)等・・

曲の内容のイメージからどうしてもそのようになってしまうのかもしれません

人生劇場(作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫)

1 やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
  なまじとめるな 夜の雨

2 あんな女に 未練はないが
  なぜか涙が 流れてならぬ
  男ごころは 男でなけりゃ
  わかるものかと 諦めた

3 時世時節(ときよじせつ)は 変ろとままよ
  吉良の仁吉は 男じゃないか
  おれも生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界

尾崎士郎の同名の小説(昭和8年~昭和34年)を下敷きにして作られた歌で、

「青春篇・愛慾篇・残侠篇・風雲篇・離愁篇・夢現篇・望郷篇・蕩子篇」の各篇から成り、

任侠の世界を描いた『残侠篇』を除いて、作者の自伝的小説とされています。

「人生劇場」は、佐藤惣之助が内田監督の”人生劇場・青春篇”に感動し作詞・・・

それに古賀政男先生が曲をつけたもので、映画のために作られたものではないとのことです

昭和13年公開の日活映画「人生劇場・残侠篇(千葉泰樹監督)」の主題歌としして使われ、

レコードがテイチクから発売されました

歌に出てくる吉良の仁吉は、幕末期の実在の侠客で

慶応2年、伊勢の国鈴鹿郡の荒神山で起こった(浪花節でも登場)

”穴太の徳次郎” 対 ”かんべの長吉・吉良の仁吉・清水次郎長の子分たち”の

大喧嘩で命を落としたと言われています

最近は、「義理・人情」は、紙より薄くなったと言われていますが

時代の流れでしょうか?損得ばかりが優先する時代はどこか寂しいです

”こんなことを申し上げる私も・・・古い人間でござんしょうかねぇ~”

今回も手作りのおやつを頂き御利用者の皆様と談笑・・・・

旅の話など・・・皆様に喜んで頂けたようでした

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「網走番外地(唄:高倉健)10/11(金)HJ様No.77  昭和の脱獄王の話

2024年10月11日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 天気も良く秋晴れにふさわしい一日でした

10月の主テーマは、「任侠物」の歌を演奏することにしました

 

網走には、網走監獄博物館と本物の刑務所があります

監獄博物館の前には昭和の脱獄王「白鳥由栄」氏の像がありますが

この白鳥氏・・吉村昭の小説「破獄」のモデルになりました

戦時中の食糧難の時代に収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし、

今日では「昭和の脱獄王」の異名で知られています

26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、逃亡累計年数は3年にも及び

1・青森刑務所では、劣悪なムショ内の待遇に抗議をするも逆に懲罰されるが脱獄・・・

2・秋田刑務所では、あまりの寒さに防寒着を要求するも拒否され脱獄・・・

3・網走刑務所では凶悪犯専用の特別房に入れられるも

  看守からの虐待に脱獄を決意、味噌汁を手錠と視察孔に吹きかけ

  一年間続けて腐食させ監獄の天窓を頭突きで破り円筒を引き抜いて脱獄・・・

4・看守6人で厳重に監視されていたが、隠し持った金属片でノコギリを作り

  床下からトンネルを掘り脱獄・・・

5・府中刑務所では、今までの虐待などの言い分が認められ一般受刑者と同じに扱われ

 模範囚となり昭和36年に仮釈放・・昭和54年に心筋梗塞で死亡(71歳)

 

ここまで脱獄が出来たのは、並外れた体力と怪力と体の関節を簡単に外せる能力があり

一日に120kmの距離を走ることが出来る健脚で・・・

網走衣監獄で聞いた話だと壁と壁の間に足を渡し天井まで登って見せたと言う

 

 

川を渡った本物の刑務所の前は、売店があり受刑者の皆さんが作成した製品が

売られています(木工・金物・布製品)それぞれしっかりとした作りの物ばかりです

本日の皆様には、購入した「デニムの監獄前掛け」をお見せしました。

これは函館刑務所で作られているものです

 

「網走番外地(唄:高倉健)

1 春に 春に追われし 花も散る
  酒(きす)ひけ酒ひけ 酒暮(きすぐ)れて
  どうせ俺らの行く先は
  その名も網走番外地

2 キラリ キラリ光った流れ星
  燃えるこの身は北の果て
  姓は誰々 名は誰々
  その名も網走番外地

3 遙か 遙か彼方にゃオホーツク
  紅い真っ紅なハマナスが
  海を見てます 泣いてます
  その名も網走番外地

 

今日の御利用者は女性ばかりで大変盛り上がりました

皆様の笑顔が私達に元気を与えてくれます

11月もオファーを頂いていますので皆様にお会いするのが楽しみです!(^^)!

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯村温泉「朝野屋」さんに宿泊 ドラマ[夢千代日記(主演:吉永小百合)]で有名

2024年10月10日 | 

 湯村温泉の名旅館として名高い「朝野家」さんに宿泊・・・

「の」と言う字は古文字でIMFパッドで探しても出て来ない文字でしたので

「野」を使用しています

丘の上のお城のような素晴らしい旅館です

 

昔、TV/映画ドラマ「夢千代日記」で一段と有名になりましたが

最初は、近くの「浜村温泉郷」に撮影の話を持ちかけたところ

胎内被曝にまつわる女性の物語は、温泉地のイメージが暗くなるのではないか・・との

意見が出てロケ地になることを渋っていたところ・・・

それならと「朝の家」さんの先代が誘致・・・

湯村温泉での撮影に決定したエピソードがありますが

実は、先代社長さんの奥様が広島のご出身だということもあったそうです

そこで「吉永小百合さん」主演のドラマが誕生しました

小百合さんの(夢千代像)記念碑はの前には手形がありました

少し小さめの手でしたが、皆様が触るのでピカピカに光っていました(笑)

又、川沿いにも芸能人の方の手形もずらりと展示してあります

荒湯は高温で、野菜・卵などを浸けてだれでも利用できます

早速、旅館で頂いた卵で、ゆで卵を作ってみました

連れ合いも子供みたいな喜びようでご機嫌です(笑)

足湯もあってたいそうな賑わいでした

朝野家は4つの源泉を所有しており、430リットル/1分間、98.4度が自然湧出していて

その温泉の恩恵を得るように、床暖房などの暖房などはすべて温泉の湯でまかない

重油ボイラーなどの設備の無い旅館はおそらく全国的に見てもないのではないか・・

と女将さんが話しておられました(冷・暖房費¥0ということ・・・スゴイです)

お湯はナトリウム塩化物水素泉で飲泉も可能です

「ぴかぴか・ぽかぽか・ぷるぷる」の美肌を堪能できるのがウリのようです

露天風呂も男女とも同じ大きさで素晴らしいです

 

高温の温泉を利用したサウナもあり・・・温まったら

少しぬるめの温泉に身を沈める事ができます

 

 

また、料理も素晴らしく美味しく頂きました

天井は、今では作るのが困難な見事な「格天井」・・素晴らしい細工です

 

お酒も地酒3種の飲み比べを注文・・・

「但馬」という銘柄が私は気に入りました

キユウリをバッタに見立てた面白い細工・・・料理長のセンスが光ります

上にかかっている紙の絵は、おかみさんのご主人がお描きになったもので

持ち帰れるように輪ゴムまで添えてありました

接待してくれた仲居さんとも親しくなり(右から1人目の女性)

最期には「夢千代さん」と呼んで、ふざけたりしましたが・・

マスクをとると口元が「梅千代さん」になってしまう??・・・

こんな失礼なことは、思っても決して口にはしないワタシです!

女将さんも大層な貫録で、

女将の中の女将という雰囲気で一度会えば忘れられない印象の方でした(笑)

朝食も凝ったもので満足でした

機会があればまたぜひ訪れたい旅館です!

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「兵庫県豊岡市 出石の旅」出石城と皿そば

2024年10月09日 | 

 少し時間が出来たので一泊2日の旅に出ました

まず数十年ぶりに「出石」に立ち寄りました

豊岡市出石町は、「古事記」「日本書紀」にも名前の見える歴史の古い町で

但馬開発の祖神ともいわれる新羅の王子天日槍(あめのひぼこ)が、

垂仁天皇3年に渡来してこの地を拓いたと伝えられ、

町名も、天日槍の宝物である『出石小刀』に起因したといわれています。

 

室町時代になると、「太平記」にも登場する山名時氏(ときうじ)が但馬地方を制圧し、

その子時義(ときよし)は、宮内の此隅山(このすみやま)に本拠を構えました。

山名一族は 、日本全国66カ国中11カ国を治さめ「六分の一殿」と呼ばれましたが

明徳の乱により一族の内紛を起こし、その後わずか3カ国の守護となってしまいました。

時義の孫宗全(そうぜん)はその勢力を盛り返し、応仁の乱では西軍の大将となりました。

しかし、戦国時代に入って、山名氏はその勢力を失い、

山名祐豊(すけとよ)の時に織田軍の羽柴秀吉に攻められ此隅山城は落城しました

祐豊は城を有子山に移し守りを固めましたが、

1580年に秀吉の弟秀長(ひでなが)により有子山城は落城、山名氏も滅ぼされました。

秀長は城を木下昌利に守らせ、その後城主は青木甚兵衛、前野長康と変わったのち、

播州竜野から小出吉政(よしまさ)が領主として封ぜられ五万三千石を領し、

その子吉英(よしふさ)の時に山城を廃し、

山麓に平山城を築き城下町づくりを行いました。

小出氏は九代、約100年間続きましたが後縦ぎがなく断絶し、

宝永3年(1706)に松平氏は、信州上田の仙石政明(せんごくまさあきら)と国替えとなりました

仙石氏は七代にわたって出石藩を治めましたが、天保6年(1835)の仙石騒動により、

三万石に減封され明治に至っています。

出石の伝統工芸である出石焼はこの江戸時代中期に始められ、

また、特産の出石皿そばは、仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのがはじまりとされています。

出石城跡

 

200段近い石段を登り、朱の鳥居をくぐると稲荷神社があります

 

手前にも鳥居があり狐の石像がありました

 

奥の本殿の狐の石像は”耳”が片方なくどこか凄味がありました

城下を見下ろせば、まるで江戸時代を思わせる城下町ならではの町並みが広がります。

 

 

 

辰鼓楼は、明治4 年(1871)旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されました。

明治14 年に医師、池口忠恕氏が大時計を寄贈してからは、

時計台として親しまれ、今では3 代目の時計が時を刻み続けています

 

 

出石の皿蕎麦

出石にくれば、思い浮かべるのは「皿そば」・・・ですが・・・

私の同行者は、へそまがりなのか?天邪鬼なのか?長年連れそっても不明ですが

”耳を疑う一言” 「アタシ・・ラーメンが食べたい~ぃい」

尻を蹴飛ばしてやろうと思いましたが暴力はご法度!!・・・自制・・・!!

しかし、見渡してもラーメン屋は見当たらなく「皿蕎麦」のお店ばかり・・・

少し中心地から離れたお店に入りました

お店の壁にかかっていたオブジェ・・・なまず?でしょうか・・・

可愛いのでおもわずパチリ!

ソバは出石焼きの白地の小皿に盛る形式が確立され通常1人前は5皿で出されます

そして1皿単位で追加注文が可能です。(ここの店は3皿から)

出汁と共に複数の薬味にて、お好みの味で食べるようになっていますが

説明文が英語で書いてあり外国人の観光客が多いことが分かります

歩きくたびれた相棒の機嫌を取るには「ソフトクリーム」が一番です

このような店舗が増えているのは女性に迎合?した現在の観光地の特徴かも・・(笑)

又、電気で動くレンタルカートも見かけました

30分¥2200?位でしたがこれを利用するのも面白いかも知れません

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山藤章二先生の思い出」 10/1(火)AN福祉会館No.3 想い出に涙を浮かべて

2024年10月01日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 昨年5月以来3回目の訪問となりました

1回目の時は、何かしゃべっても「たわけたことを・・(馬鹿馬鹿しいことを)」等と

つぶやくご婦人もいてやり難く・・・

2回目の時は、担当者も横柄で、会場の雰囲気もなんとなく暗くてやりにくく・・・

(民生委員の方の中には感じの良い方もいましたが・・・)

本日3回目の訪問はどうなることかと危惧していましたが

今日は打って変わって明るい雰囲気で皆様ノリノリで歌も歌われ大いに救われました

ご婦人の中には、「ひばりさんや村田英雄さんの舞台を見た」という方が

”みだれ髪”の演奏を聴いて涙ぐまれて・・・

「思い出して涙が出てきた」と大変喜んで下さったのが印象に残りました

終了後、お世話係の女性に

「今回は雰囲気が随分違いますが参加者の方も変わりましたか?」と聞くと

やはり会員の方の顔ぶれも変化があったようでした

会館の直接の担当の方も交代され雰囲気も変わって来たようです

この地区は、裕福な方が多いようで、民生委員の方々も富裕層?・・・

お帰りの車を見ると、ベンツ・レンジローバー・シトロエン等高級車ばかり・・

それでも今回は、楽しい時間を共有出来て良かったです

 

話は変わりますが、

戯れ絵(風刺画)の達人「山藤章二さん」が昨日逝去されました

週刊朝日を”裏から開かせる男”として一世を風靡されたイラストレーターです

私も若い頃、週刊朝日「似顔絵塾」に投稿し採用された思い出があります

 

名古屋でのサイン会でお会いしたことがありますが・・・

「先生xxです」と名乗ったところ「いつも応募して頂いている方ですね」と声を掛けて頂きました。

当時の投稿仲間には、プロ?になられた方もいて週刊誌などで時折作品を拝見していましたが

今は、どうしていらっしゃることでしょう・・・

 

投稿が縁で私も朝日新聞社に出入りしていた時期がありましたが(勤務先には内緒でした(笑))

編集長から「xx君プロになろうと思うなよ!プロは厳しいぞ!!」と言われました。

もちろん自分の実力は100も承知ですのでそんなつもりは毛頭ありませんでしたが

貴重な体験をさせて頂き感謝しています。

その編集長にも随分可愛がっていただきましたが、残念ながら数年前に鬼籍に入られました

編集局の皆様ともよく飲み会にも誘って頂き楽しいことばかりでした

 

(朝日新聞社発行 山藤章二のブラックアングル・1・より)

 

山藤章二さんの作品の中で一番笑ってしまったのは「仲良き事は美しき哉」・・・

ロッキード事件で揺れたスキャンダルの3人の当事者(田中角栄氏・児玉誉士夫.氏・小佐野 賢治氏)が

絶妙なユーモアで描かれています

他には”大平元総理”をもじった「麗子微笑」など・・

私も先生の本を数冊の著書を所有して時折眺めて楽しんでいます

 

昭和を代表する巨星がまた一つ消えました。・・・

ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする