ボランティア演奏日記 「あきらとマドンナ」

訪問先でのハーモニカ演奏の記録と、時折、趣味の旅の様子等掲載しています

「人生の並木路(唄:ディック・ミネ)2/11(火)AIAI様No.120  今日も大笑い

2025年02月11日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 先日、珍しく朝起きたら車の屋根にうっすらと雪が積もっていました・・・

立春が過ぎたとはいえ未だ寒い日が続いています

ここAIAIさんは、床暖房が入っているので別世界のような暖かさ・・

職員さんも御利用者さんも暖かい方ばかりです

久し振りに「Sさん」にもお会いしました(^^)/

 

私が子供の頃、食糧難時代でしたが冬になると手に”しもやけ”が出来て大変でした

指と指がくっついて痛くてたまらなかった思い出があります

手と言えば、冬の新聞配達も過酷でした、手がかじかんで大変でした

配り終えて家にたどり着くと、手を温める為に風呂の残り湯の中に手を入れるのですが・・

とても痛いのです。堅くなった筋肉が解ける痛さなのでしょうか・・とにかく痛かったです

 

そんな昔の苦労?を思い出すと浮かんでくるのは・・・・

本日の演奏曲の中のこの歌・・・・

「人生の並木路(作詞:佐藤惣之助/作曲:古賀政男/唄:ディック・ミネ)」です

古賀政男さんも苦労をされたようで、ご自分の経験が歌に表現されるのでしょう

人の心を打つ良い曲をたくさん作曲されています

1 泣くな妹よ 妹よ泣くな 泣けば幼い 二人して
  故郷を捨てた 甲斐がない

2 遠い淋しい 日暮れの路で 泣いて叱った 兄さんの
  涙の声を 忘れたか

3 雪も降れ降れ 夜路の果ても やがて輝く あけぼのに
  我が世の春は きっと来る

4 生きて行こうよ 希望に燃えて 愛の口笛 高らかに
  この人生の 並木路

昭和12年公開の日活映画”検事とその妹”の主題歌。
内容は両親を亡くして苦難の中、助け合いながら生きてきた兄妹の物語だそうですが

この哀愁を帯びたメロディは、映画の内容にぴったりです

最近は、ほとんど聞くことも無くなりましたが私の好きな歌の一つです

 

本当は、いらっしゃるはずの方が体調不良でお休みでしたが代わりに予定外の方がいらっしゃいました

女性の皆様は、元気で冗談を言いながら大笑いされ私も元気を頂きました

職員手作りのケーキを頂きながら衣装やアクセサリーのお話も・・・

寒さも忘れて、心も温まる楽しい訪問でした

 

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「遠くへ行きたい(唄:ジェリー藤尾)2/7(金)KFS様No.5 回想法の体験も・・

2025年02月07日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

  雪がちらほらと舞う中・・・風が冷たい一日でした

今日は、回想法の講師の方もいらっしゃってお話を私も聞きました

テーマを絞ってそのことに関しての自分の体験を話すわけですが

色々なことが皆様の口から出て来るのに大変興味深かったです

92歳の男性の方も力強い声で子どもの頃の事を話されましたが

私も92歳になった時にあのように元気に話ができるだろうか?・・と・・・

もっともそれまで生きていられればの話ですが(笑)

 

ご婦人のなかには、「父親が生前ハーモニカが好きでよく吹いていました

時折、残った録音テープを聞いていますが、今日は父の事を思い出しました」と・・・

もう故人になられたそうですがかなりお上手だった様子でした

 

今日は30分の演奏でしたので演奏曲は「寒い朝・赤と黒のブルース・遠くへ行きたい・

居酒屋・酒よ・人生の並木路・すきま風」・・以上でした

その中で「遠くへ行きたい」をご紹介したいと思います

(作詞:永 六輔、作曲:中村八大、唄:ジェリー藤尾)

知らない町を 歩いてみたい どこか遠くへ 行きたい
知らない海を 眺めていたい どこか遠くへ行きたい
遠い街 遠い海 夢はるか 一人旅
愛する人と めぐり逢いたい どこか遠くへ 行きた

愛し合い 信じ合い いつの日か 幸せを
愛する人と めぐり逢いたい どこか遠くへ 行きたい

 

昭和37年にNHKテレビのバラエティ番組「夢であいましょう」の”今月の歌”として作られ

昭和45年開始の旅番組「六輔さすらいの旅・遠くへ行きたい」の主題歌として使用・・・

作詞家の永六輔さんと言えばラジオ番組「誰かとどこかで」が有名ですが

7円の歌(当時葉書が¥7)・・・のコーナーを思い出します

 

ジェリー藤尾さんは、中国・上海生まれ。父は日本人、母は英国人。敗戦で日本に引き揚げたきたのち

米軍キャンプ回りのバンドマンを経て、58年に歌手デビュー

強面で喧嘩は強く、しかし弱者には優しい方だったと聞いています

晩年は老人施設に入所していたそうですが大変女性にもてていたそうです(81歳没)

ご冥福をお祈りします

 

 

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