ボランティア演奏日記 「あきらとマドンナ」

訪問先でのハーモニカ演奏の記録と、時折、趣味の旅の様子等掲載しています

丹後半島 伊根の舟屋 ・・遊覧船に乗船

2024年10月19日 | 

 セントラーレホテル京丹後で昼食を取り

香住蟹の水晶煮などの箸でたべるフランス料理を堪能・・・

ホテルにはこんな往年の名選手の写真が飾ってありました

長島・王・稲尾・野村選手・・・が映っていますが野村選手は、ご当地の出身だそうです

ライオンズの稲尾投手も野村監督も故人となられましたが寂しいものです

 

丹後半島にある「伊根」は舟屋で有名で外国人にも人気スポットです

あいにくの天気でしたが、伊根湾巡りの遊覧船に乗ってみました

ご多分にもれずここでもカモメや海猫が観光客のエサを求めて乱舞しています

かっぱえびせんが¥100で販売されていてそれがエサとなります

カモメと海猫の違いは、くちばしが黄色一色なのがカモメ(渡り鳥)

海猫のくちばしは赤と黒の文様があり留鳥です

眼つきは「カモメ」の方が悪いような気がします(笑)

伊根湾には周囲5kmに渡り230軒余の舟屋がありますが

一階は船揚げ場・物置などに使用され道路を隔てた向かい側に漁師の住まいがあります

最近は、大きな船が増えて中に入らず外に係留されている船も散見出来ます

「ハ」の字になった舟屋は「クジラ舟屋」で昔はクジラを引き上げて解体したところです

 

ついでに雨の中「天の橋立」に立ち寄りましたが

皆様・・股のぞきをしながら苦労してスマホで写真を撮影されていますが・・

カメラをさかさまにして撮影すれば同じでは?・・・(笑)

最期に家内共々少しでも”おりこう”になるようにと「智恩寺(切戸文殊堂)」に参拝・・

大和(奈良)の安倍文殊・亀岡文殊(大聖寺)とともに

日本三文殊のひとつに挙げられる丹後(京都)の切戸文殊様・・・

はたしてご利益はありやいなや・・

妻のワル知恵が増幅しないかと少し心配しながら寺を後にしました

 

 

 

 

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湯村温泉「朝野屋」さんに宿泊 ドラマ[夢千代日記(主演:吉永小百合)]で有名

2024年10月10日 | 

 湯村温泉の名旅館として名高い「朝野家」さんに宿泊・・・

「の」と言う字は古文字でIMFパッドで探しても出て来ない文字でしたので

「野」を使用しています

丘の上のお城のような素晴らしい旅館です

 

昔、TV/映画ドラマ「夢千代日記」で一段と有名になりましたが

最初は、近くの「浜村温泉郷」に撮影の話を持ちかけたところ

胎内被曝にまつわる女性の物語は、温泉地のイメージが暗くなるのではないか・・との

意見が出てロケ地になることを渋っていたところ・・・

それならと「朝の家」さんの先代が誘致・・・

湯村温泉での撮影に決定したエピソードがありますが

実は、先代社長さんの奥様が広島のご出身だということもあったそうです

そこで「吉永小百合さん」主演のドラマが誕生しました

小百合さんの(夢千代像)記念碑はの前には手形がありました

少し小さめの手でしたが、皆様が触るのでピカピカに光っていました(笑)

又、川沿いにも芸能人の方の手形もずらりと展示してあります

荒湯は高温で、野菜・卵などを浸けてだれでも利用できます

早速、旅館で頂いた卵で、ゆで卵を作ってみました

連れ合いも子供みたいな喜びようでご機嫌です(笑)

足湯もあってたいそうな賑わいでした

朝野家は4つの源泉を所有しており、430リットル/1分間、98.4度が自然湧出していて

その温泉の恩恵を得るように、床暖房などの暖房などはすべて温泉の湯でまかない

重油ボイラーなどの設備の無い旅館はおそらく全国的に見てもないのではないか・・

と女将さんが話しておられました(冷・暖房費¥0ということ・・・スゴイです)

お湯はナトリウム塩化物水素泉で飲泉も可能です

「ぴかぴか・ぽかぽか・ぷるぷる」の美肌を堪能できるのがウリのようです

露天風呂も男女とも同じ大きさで素晴らしいです

 

高温の温泉を利用したサウナもあり・・・温まったら

少しぬるめの温泉に身を沈める事ができます

 

 

また、料理も素晴らしく美味しく頂きました

天井は、今では作るのが困難な見事な「格天井」・・素晴らしい細工です

 

お酒も地酒3種の飲み比べを注文・・・

「但馬」という銘柄が私は気に入りました

キユウリをバッタに見立てた面白い細工・・・料理長のセンスが光ります

上にかかっている紙の絵は、おかみさんのご主人がお描きになったもので

持ち帰れるように輪ゴムまで添えてありました

接待してくれた仲居さんとも親しくなり(右から1人目の女性)

最期には「夢千代さん」と呼んで、ふざけたりしましたが・・

マスクをとると口元が「梅千代さん」になってしまう??・・・

こんな失礼なことは、思っても決して口にはしないワタシです!

女将さんも大層な貫録で、

女将の中の女将という雰囲気で一度会えば忘れられない印象の方でした(笑)

朝食も凝ったもので満足でした

機会があればまたぜひ訪れたい旅館です!

 

 

 

 

 

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「兵庫県豊岡市 出石の旅」出石城と皿そば

2024年10月09日 | 

 少し時間が出来たので一泊2日の旅に出ました

まず数十年ぶりに「出石」に立ち寄りました

豊岡市出石町は、「古事記」「日本書紀」にも名前の見える歴史の古い町で

但馬開発の祖神ともいわれる新羅の王子天日槍(あめのひぼこ)が、

垂仁天皇3年に渡来してこの地を拓いたと伝えられ、

町名も、天日槍の宝物である『出石小刀』に起因したといわれています。

 

室町時代になると、「太平記」にも登場する山名時氏(ときうじ)が但馬地方を制圧し、

その子時義(ときよし)は、宮内の此隅山(このすみやま)に本拠を構えました。

山名一族は 、日本全国66カ国中11カ国を治さめ「六分の一殿」と呼ばれましたが

明徳の乱により一族の内紛を起こし、その後わずか3カ国の守護となってしまいました。

時義の孫宗全(そうぜん)はその勢力を盛り返し、応仁の乱では西軍の大将となりました。

しかし、戦国時代に入って、山名氏はその勢力を失い、

山名祐豊(すけとよ)の時に織田軍の羽柴秀吉に攻められ此隅山城は落城しました

祐豊は城を有子山に移し守りを固めましたが、

1580年に秀吉の弟秀長(ひでなが)により有子山城は落城、山名氏も滅ぼされました。

秀長は城を木下昌利に守らせ、その後城主は青木甚兵衛、前野長康と変わったのち、

播州竜野から小出吉政(よしまさ)が領主として封ぜられ五万三千石を領し、

その子吉英(よしふさ)の時に山城を廃し、

山麓に平山城を築き城下町づくりを行いました。

小出氏は九代、約100年間続きましたが後縦ぎがなく断絶し、

宝永3年(1706)に松平氏は、信州上田の仙石政明(せんごくまさあきら)と国替えとなりました

仙石氏は七代にわたって出石藩を治めましたが、天保6年(1835)の仙石騒動により、

三万石に減封され明治に至っています。

出石の伝統工芸である出石焼はこの江戸時代中期に始められ、

また、特産の出石皿そばは、仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのがはじまりとされています。

出石城跡

 

200段近い石段を登り、朱の鳥居をくぐると稲荷神社があります

 

手前にも鳥居があり狐の石像がありました

 

奥の本殿の狐の石像は”耳”が片方なくどこか凄味がありました

城下を見下ろせば、まるで江戸時代を思わせる城下町ならではの町並みが広がります。

 

 

 

辰鼓楼は、明治4 年(1871)旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されました。

明治14 年に医師、池口忠恕氏が大時計を寄贈してからは、

時計台として親しまれ、今では3 代目の時計が時を刻み続けています

 

 

出石の皿蕎麦

出石にくれば、思い浮かべるのは「皿そば」・・・ですが・・・

私の同行者は、へそまがりなのか?天邪鬼なのか?長年連れそっても不明ですが

”耳を疑う一言” 「アタシ・・ラーメンが食べたい~ぃい」

尻を蹴飛ばしてやろうと思いましたが暴力はご法度!!・・・自制・・・!!

しかし、見渡してもラーメン屋は見当たらなく「皿蕎麦」のお店ばかり・・・

少し中心地から離れたお店に入りました

お店の壁にかかっていたオブジェ・・・なまず?でしょうか・・・

可愛いのでおもわずパチリ!

ソバは出石焼きの白地の小皿に盛る形式が確立され通常1人前は5皿で出されます

そして1皿単位で追加注文が可能です。(ここの店は3皿から)

出汁と共に複数の薬味にて、お好みの味で食べるようになっていますが

説明文が英語で書いてあり外国人の観光客が多いことが分かります

歩きくたびれた相棒の機嫌を取るには「ソフトクリーム」が一番です

このような店舗が増えているのは女性に迎合?した現在の観光地の特徴かも・・(笑)

又、電気で動くレンタルカートも見かけました

30分¥2200?位でしたがこれを利用するのも面白いかも知れません

 

 

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遠山森林鉄道と遠山郷下栗の里の旅 日帰り旅行

2024年07月20日 | 

 遠山郷と呼ばれる飯田市上村、ここに遠山森林鉄道がありました

遠山郷は過去2回旅していますが鉄道があったことは知りませんでした。

今回、その鉄道が実際に運転されると南信州観光公社で聞き訪問しました

林鉄跡の保存や活用に取り組んできた

「夢をつなごう遠山森林鉄道の会」会長のMさんや、

旧木澤小学校保存会のMさんの案内で梨本停車場に赴いたのですが

ところが、テスト運行中に客車が脱線・・・乗車することは出来ませんでした

遠くは、千葉・や東京・毎日新聞のSNS版「鉄道紀行」班の記者の方まで

鉄道マニアが集まっていましたが残念でしたが仕方ありません

     (世話人のお一人 Mさん(85歳)と・・驚くほどお元気でした)

それでも誰一人不平を言う人も無く、気動車を見て、運転席に実際に乗る体験をさせて頂きました

昔は、梨元停車場から遠山川をさかのぼり全長30.5kmの路線を

切りだした材木を運搬するために走っていたそうですが1973年に廃止されました

現存する森林鉄道としては、他に「長野赤沢休養林」「北海道丸瀬布」等があり

観光用で列車を走らせています(私はいずれも訪問)

近くの旧木澤小学校があり、保存会のMさんの案内で見学しましたが

昭和の道具や学校で使用した物など雑多に展示してありました

音楽教室もありましたが、昔、さだまさしさんが来所されコンサートも開催されたそうです

保存会の皆様は、ボランティアで活動されているとお聞きし驚きました

全くの手弁当で「残すことに意味があるのだ」と語っていらっしゃいました

廊下には大きなガラス瓶があって「寸志」を入れるようになっています

もし皆様も訪問されたなら、お気持ちを入れて上げて頂きたいものです

 

ここから30分位、山道を登って行くと下栗の里のてっぺんにある

「高原ロッジ下栗」に到着・・・ここのご主人の笑顔がとてもすてきでした

遠山郷の部落の狭い道を下り反対側の山の中腹にある「前が岩展望台」」・・

ここからパンフレットなどで有名な部落の全景が見えました

山の斜面を利用してブルーベリーの栽培なども行われていて(上中野農園)

お値打ちにブルーベリー狩りも出来ます

農園のお嬢さんが穏やかな方で、とても親切にして下さって感激しました

空気が綺麗なせいでしょうか?花の色が鮮やかに感じました

 

今回、中央高速道路が工事中なので、グリーンロードから香嵐渓~治部坂~

昼神温泉を横目に見て右折し飯田市まで・・・自家用車で2時間15分ほどでした

飯田市までは往復約240kmの快適な日帰りドライブコースです

(飯田から遠山郷までは、さらに車で約1時間かかりますが)

南信州観光公社は、数回利用していますがいつも満足な対応をして下さいます

職員さんとも顔なじみになり気楽です

外国まで行かなくても近くにまだまだ素晴らしいところがあることを再認識しました

満足な、日帰り旅行でした

 

 

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魚沼の旅 名刹禅寺「雲洞庵」と清津峡

2024年07月11日 | 

 南魚沼には、名刹「雲洞庵」があります

一万坪の境内の中には建坪600坪ほどの建物があって

本堂に続く参道の脇には樹齢300年を超す杉の大木が立っています

室町時代に関東管領上杉憲実公が、曹洞宗雲洞護国禅庵を開創し多くの人に信仰されています

「赤門」昔は皇室関係者や大名の来山以外は”開かずの門」でした

 

昔から「雲洞庵の土踏んだか」と言われ、

修行者が「この道場で禅を学ばなければ一人前の禅僧とはいえない」と言われ

赤門から本堂の間の敷石の下には、法華経が一石一字ずつ記され埋められています

その有難さから「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれました

入口に入ると巨大な魚の彫り物が目に入ります

本堂は1707年に建立され近世寺院建築のもっとも優れたものとされ

新潟県の文化財に指定されています

13世通天存達和尚は、早くに亡くなった長尾正景の子供(上杉景勝公)を引き取り

雲洞庵で教育し・・そのお付として共に教育を受けたのが直江兼続公です

上杉謙信公の”頭巾”

宝物殿に関連の品が展示されています

宝物殿も無料で会館出来て驚きました

 

名画や偉人の直筆の書等も見ることが出来ます

庵の職員の女性達も感じが良くて、写真撮影も自由・なかなかこんな寺はありません

丁度御朱印帳がいっぱいになったので、雲洞庵で一冊購入しました

気分の良い寺で購入で来て私は運の強い男だと改めて思いました!(^^)!

あと、二度目の訪問となる清津峡を見物しましたが洞窟も改装され

 

突き当りの水鏡のところも柵が出来たりして少し良くなったり悪くなったり

中から外が見えるトイレもおしゃれに様替わりしていました

まだまだ日本には私の知らないところがいっぱいあります

旅で充電して又、活動に行かせたらいいなと思います・・・・

 

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憧れの宿「龍言」に宿泊 予想を裏切らない宿でした

2024年07月09日 | 

 日本旅館「龍言」は、新潟県南魚沼市の比較的市街地にありました

登録文化財に指定されている本館をはじめ、幕末時代に建てられた大小16の古民家から構成

270年ほど前の豪農の館「幽鳥の間」も、登録文化財にも指定されているそうです

ラウンジでのコーヒーやお菓子サービスも無料で驚きました




(アルコールは別途別途有料)

又、奥になるアウトドアラウンジは、雪国の”かまくら”をイメージしたスペースがあって

プライバシーを守りつつゆっくりと過ごすことが出来ます

 

木造平屋土蔵造りの風情ある大浴場は、その昔に米蔵として使われていた建物を移築

泉質は、疲労回復に効果があるとされているナトリウム塩化物温泉で「サウナ」もありました

又、半露天の家族風呂もあって無料でした

事は、オープンキッチンが併設されている部屋で頂きましたが

手の込んだメニューで満足でした

 

全ての部屋は、平屋ですが・・・宿のモットーが・・・・

「人様の頭の上に足を置くなどとんでもないこと・・・だから2階はつくらない」と

聞いたことがあるような気がします。

女房などは、平気で人が寝ている所をまたいで通る・・と申しましても

カイショなしのアタシが兎小屋のようなところに住んでいるのが原因なので文句は言えません(汗)

室内は落ち着いた雰囲気で今迄宿泊した旅館の中で一番気に入りました

寝床も寝心地が良く熟睡出来ました

(ホテルは帝国ホテルですが・・・)

 

夜は徒歩20分のところにある「銭縁公園」まで行って「蛍」を見ました

数十年ぶりの蛍でしたが・・・そのうちの一匹が私の手の中に・・・

幻想的な光を楽しんでから放してやりました

翌朝、玄関の前で「マダラカマドウマ」と言う昆虫を発見!

はじめて見ましたが旅に出ると新しいものに出逢えて嬉しくなります

スタッフの皆さんも控えめでありながらの気遣いが素晴らしく

期待通りの宿でした。機会があれば再度宿泊したいです

今迄幾多の有名旅館で失望させられることが多かった私ですが今回だけは大満足の宿でした

マスコミで紹介されている有名旅館と名のつくところのスタッフの一部は、

客を見て応対するところが多く(要するに貧乏人か・・金持ちか・・・)

妙なプライド?を持っていて結構態度がデカイ?仲居が多かったような気がします

「龍言」さんでは、そんなことは一切なく気分よく時間を過ごすことが出来ました

 

 

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新潟県魚沼市「赤城山 西福寺 開山堂」石川雲蝶の彫刻

2024年07月07日 | 

 今週は演奏予定がありませんので「旅」のお話を掲載しました

先日、.以前から行きたかった

新潟県魚沼市にある「赤城山 西福寺 開山堂」に行ってきました。

ここには、日本のミケランジェロと呼ばれる

幕末の名工”石川 雲蝶”の素晴らしい彫刻があります

西福寺は室町時代後期に”開山芳室祖春大和尚”によって開かれ

江戸幕末(1857)その「開山様」と曹洞宗開祖「道元禅師様」を

おまつりする為に開山堂が、「23世幡谷大龍和尚様」によって建立されました

見るものを圧当する本堂の天井他周囲の彫刻の数々・・・・

 

本堂の入り口には左右に仁王像があります

天井彫刻は、迫力ある「道元禅師猛虎調伏ノ図」

開山堂の三間四方の吊り天井に透かし彫りをされていますが

石川雲蝶終生の大作で”越後日光”とも呼ばれています

 

「道元禅師と白山大権現」

開山堂には、開祖道元禅師を題材にしたものが多く見ることが出来ます

彫刻ばかりでなく絵画・こて絵・組木細工など・・・

両面に透かし彫りが・・・

 

 

「永平寺血脈池縁起」

平寺開基波多野義重公に仕えていた侍女が何者かに殺されて池に沈められ、

成仏できずに夜な夜な幽霊となって現れていたのだが

その可哀そうな幽霊に道元禅師が血脈を授けて成仏させる場面である

 

各所には隠し絵のような彫り物があり・・例えば「猿」・・・

鳥や亀など探せばいろいろ見つかります

素晴らしい作品を見ることが出来て満足でした

 

 

 

 

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長崎ランタンフェスティバル 2024.2/9~2/25 迄

2024年02月25日 | 
 コロナ禍で中止になっていたランタン祭りが数年ぶりに開催されました
TVで先日、雨と風の影響でランタンが破損しまって大変・・と
ニュースで報道され"長崎ランタンボロボロフェスティバル”に
ならないかと心配していましたが
私が訪れた日は、天気こそ降ったりやんだりの小雨でしたが
ランタンは、修復されて美しく灯っていました


大きなオブジェは、長崎駅前にも飾られていました


各会場にもランタンがたくさんあり楽しむ事が出来ます


約1万5千個のランタンが各会場に飾られています


メインは、中央公園広場です









新地中華街会場のランタンも美しいです



銅座川には「桃色」のランタンの灯が水面に映っています



食事をしようと長崎ちゃんぽんを食べようとしましたがどこの店も満員で長蛇の列・・・






そこで屋台のちまきや豚まんなどを買って夕食としました


中央公園から歩いて10分位の処にある「孔子廟」に行きました


ここでは、二胡の演奏があり中国人の奏者が美技を披露・・・

今迄聞いたことがないくらいの素晴らしい演奏でした
とにかくテクニックが凄くて複雑な音色に感銘を受けました


又、変面ショーもあり、お面の早変わりの妙技はいつ見ても飽きません
素顔は、日本人の若い男性でした



長崎は、何度か訪れていますが”雨天”は初めてです
途中で「雨のオランダ坂」の横を通りましたが風情がありますねぇ~
♪「長崎、今度は雨だった」・・・・
3月の演奏曲には、「長崎ブルース」でも入れてみようかと思っています
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ハチ鳥?いや「ホウシジャク」 福島県白河市南湖公園にて

2023年11月19日 | 
人気TV番組「出川哲郎の充電させもらえませんか」が昨日放映されました

福島県の旅でしたが、丁度われわれと逆方向のコースを旅され
私達が訪れたところも多く放映され改めて懐かしく思いました
出川さん出発地の「南湖公園」は白河市にありますが・・・

私達も白河ラーメンを食べた後に「南湖公園」を訪ねました
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 南湖は、寛政の改革で知られる白河藩主・松平定信により
身分の差に関係なく誰もが楽しめる「士民共楽」という理念のもと、
享和元年(1801)に築造され日本で最古の公園と言われています

訪れた時に湖のほとりで珍しい生物を発見・・・・
3~4cmくらいの生物があざみの花のところにいました。
ハチ鳥のようにホバリングしながら長いくちばしで

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(夕方8mmで撮影したのでボケていますが。・・)

飛びながら花の蜜を吸っています・・・
(小さな鳥のように見えました)
調べたところ”蛾”の仲間の「ホウシジャク」と判明・・・
とても蛾には見えませんでしたが
日本には、ハチ鳥はいないそうです。珍しいものを見せてもらいました
旅はハプニングがあるから楽しいです!(^^)/
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福島で食べた名物?-1 ポポーの実

2023年11月04日 | 
ポポーの実を初めて見ました

ポポーはバンレイシ科の熱帯果樹ですが、
ポポーのみが北米原産で耐寒性の強い温帯果樹です。
果実はバンレイシ科特有の強い芳香があり、
見たところ”あけび”のような形をしています
しかし、相棒は・・
欲の深いことで、片方の手には唐辛子の束・¥100でした

スタッフのかたのお話では、日持ちがしないので
一般的な市場に出回ることはあまりない・・との事でした

食べて見たところ、クリーミーで甘くてバナナの腐りかけ?
イヤ一見ドリアンにも似ていますが美味しかったです
ただ、独特の香りが強いので好き嫌いに個人差がありそうです

福島はラーメンも有名で色々ありますが・・・
その中でも「白河ラーメン」を食べてみました

ラーメンの有名店「英」の前では順番待ちのの列・・・


店の前には、小さなお稲荷さんが祀ってありました


ラーメンは福島鶏からとったダシがさっぱりして美味しく
見本の写真よりチャーシューも余分に入っていて言うことなし!
店員は、おばぁさん2人・・腰を曲げながら客席を飛びまわり
お客の注文を聞き配膳し片づけまで・・本当によく働きます
福島のおばぁちゃん!!サイコ~・・・

この「英」と言う字は「はなぶさ」と読みますが
私が小学生低学年の時に父が・・
「あきら・この字はなんと読むかわかるか?”はなぶさ”と読むんだよ」
そう教えてくれたのを覚えています
数少ない父との思い出の一つです・・

美味しいラーメンに満足し、そんなことを思い出しました


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南信州の旅No.3 蜂の事ならわかるけど・・

2023年07月07日 | 
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 昼食は中川村の「望岳荘」”なかがわ亭”の

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手打ち蕎麦を頂きました

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デザートは「もちキビ」でしたが美味しくいただきました。


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この建物の並びに「ハチ博物館」があります
日帰り温泉や公共の宿泊施設も併設しています

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蟻も蜂の仲間と言うことをご存知でしょうか?

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全長4m10cmのキイロスズメバチの巣・・・
ハチ研究家の「富永さん」が長年の研究の末に
29匹の女王蜂を使い完成させたものです

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この巨大な蜂の巣は、直径2m25cm/高さ2m70cm
周囲が6m60cmあり2年がかりで作らせたものだそうです。
女王蜂114匹・通い蜂50万匹の労作です

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他にも色々なユニークな作品が展示してありました



又、近くには「中川はちみつ工房」があって
観察・試食・体験が出来ます

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ここで、ハチ博士「富永さん」(90歳)にお会いし
色々なお話を伺いました

博士曰く「ハチは人間より優れたところがある」
1.雄蜂・働き蜂・等の産み分けが出来る
2.子供を物凄く大切にする
最近の人間の中には、こどもを虐待する親や
保育園ぐるみで園児を痛めつけて喜んでいる保育士・・等
嘆かわしいことです(三重県桑名市長寿認定こども園等の実例)

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富永さんは、政府機関からも「蜂」に関する意見・助言など
求められて国会内の会議室まで行ったこともあるそうです

「ハチ博物館の大きな作品は、ほとんどが富永さんの作品でした・
他の人が、同じものを真似をして作ろうとしても出来なかったそうです。
「ハチの事はたいていの事は分るよ!」とおっしゃってましたが
長年、”蜂と付き合ってきた”からなのでしょう・・・

不肖アタシなんぞは、
「長年連れ添った女房の事も未だ分からんことだらけ・・」
90歳の富永さんはドウなのか?・・・
伺ってみたかったのですが失礼に当たるかもと、かろうじて自制致しました。

富永さんのお話のあとは”はちみつを試食”しました。
貴重な日本ミツバチの蜜他を舐め放題!(^^)!

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流しそうめんスタイルの「はちみつ流し?」までありました。

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蜜ろう入りの蜂蜜は、保存期間が限られるので市販は無理とのこと
あまりの美味しさに思わず、”二キレ”頂いてしまいました

孫と娘にも純粋な日本ミツバチの蜜を食べさせてやりたくて
お土産にはちみつを購入・・・
旅に出ると気が大きくなってpeypeyが悲鳴を上げ続けています
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南信州の旅No.2・地酒(今錦)編

2023年07月02日 | 


 南信州が生んだ地酒「今錦」(米澤酒造(株))を訪問。
私は知りませんでしたが、
今は”かんてんぱぱ”のグループ会社の一つらしいです。


 あまり期待もしていなかったのですが
酒ずくりに使用されている「水」を試飲して驚きました。
まろやかで口当たりの良い水で・水道水とは全く違います
しいて言えば伊豆の"観音温泉で売っている名水”・・に似ている
そんな感じでした。この水で作る酒なら美味いに違いない!


酒も数種類試飲しました。爽やかな感じの酒で後味がいいのが特徴です
私の好きな「峰の白雪」のような濃厚さとは真逆な感じで
焼酎で言えば奄美大島の黒糖焼酎「れんと」や
鹿児島の「森伊蔵」系といったところでしょうか・
清酒なら「越乃寒梅」系・・と感じました
越乃寒梅は軽い飲み口ですが、後味が少し残ります。

聞けば、明治40年の創業以来蔵を立て替えていないこと
「酒槽しぼり」での酒作りをされているとか・・
酒槽に一つ5kg位のもろみを入れた酒袋を丁寧に並べて
時間をかけてゆっくりと絞っていく技法だそうです。
繊細な手間のかかる作り方です


純米大吟醸 /純米吟醸(コメの磨き方の割合で違ってくる)とも
権威あるコンテストで金賞を受賞・・・
先日、新聞をみると
今年は全国1000以上の種品された商品の中で第4位入賞の記事を見かけました
世界酒蔵コンテストでも2022年669蔵中/第10位
5つ星評価を受けているそうです
世界の日本大使館にも採用されているそうです

又、オタマジャクシの入ったラベルの酒は
中川村飯沼地区の棚田で100%栽培された美山錦を使用・・
多くは仕込めないので数量限定の商品だそうです


焼酎党の私も、珍しく気に入って各種3本ほど購入しました
自宅で飲んでも自分にあってるのか少し多めに飲んでも悪酔いしません。
飲み過ぎた後の清酒独特の嫌な気分が全くなく二日酔い等かかりそうにありません
旅の醍醐味といいましょうか、良い酒に出会ったと思います。!(^^)!
ただ数量が少ないので一般の酒屋さんには置いてないようです。
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南信州の旅-1(中川村)アンフォルメ美術館

2023年06月28日 | 
 ハーモニカボランティアの予定もしばらくありませんので
旅日記などを綴ってみたいと思います

今回の旅は、先日訪れた「南信州」です
利用した「南信州観光公社」は、
地元に密着したマニアックな旅を提案してくれるところです
私の知らない日本を色々勉強できる企画が多いです。
今回は、中川村と飯島町を訪ねました。
案内係の方も、顔なじみなので気楽です。
此処の旅はあまり時間に縛られず”ゆるい旅”が特徴です


あいにくの曇り空でしたが、出発の名古屋駅の構内には
藤井七冠がおやつに食べたと言う「ぴよりん(プリン)」の店がありました
若い女性に人気のようです。

松川ICから車で25分・・・中川村の
「アンフォルメル中川村美術館」を見学(入場料¥400)


こんなところにこんな”しゃれた建物”がと思ったのが第一印象です



この異形の建物は鬼才建築家「毛綱毅嚝」氏の作品です


敷地に咲いていた、雨に濡れた「あざみの花」が美しい!!!


「アンフォルメル」とは、
第二次世界大戦後の1950年代にフランスを中心に興った芸術運動です
若くしてフランスで経済・美学・哲学を学んだ「鈴木 崧(たかし)」氏は、
画家で詩人・経営者としても活躍した人物ですが作品も展示してありました



中村ヒカル作(京都府在住)


(竹内一貴作(伊那市在住)


(眞板雅文)




現代美術の数々・・・私には難解な作品(笑)でした






此処には地元産出の土器も数点展示されていました


この美術館は「鈴木」氏が創立し中川村に移譲され1993年に開館・・
アンフォルメは今日の美術の先駆性にたえず示唆を与えつづける
確信性を含んでいると考えられます

奥には鈴木氏が別荘として使用していた建物があり


窓から見る景色も素晴らしく、天井の照明器具や


おしゃれな和風の”あかり取り”・・・


ふすまの”引手”にまで素晴らしい細工が使用されていて
細かいところまで気配りされています


鈴木 崧氏の写真と


経歴





上の2点は、鈴木崧 氏の展示作品の一部です

ここから更に山上に登って行くと標高1445mの陣馬形山があります

晴れていたらこのような中央/南アルプスや
眼下には伊那谷が一望できる絶景もありますが
今回は霧がかかっていたので見ることは出来ませんでした
残念ですが又の機会に・・・・
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九州一周の旅 伊万里・糸島・宗像・松本清張記念館

2022年12月31日 | 
 前日から指先が痛くて困っていたましたがどうやらトゲが刺さったらしいのです
相棒に取ってもらおうとしたら、目が悪いからムリ・無理・ムリ・・と・つれないものです・

そこで”道の駅伊万里”の職員のおばちゃんに
「すみません・・指のトゲ取っていただけませんか?」と言うと
「私でよかネ?どれどれ・・虫ピン?・・OKこれでヨカ!」といいつつ
自分の名札を胸に留めてあるクリップを外し私の指をほじくり出しました。
なかなか取れません・・おばちゃま曰く・・・・
「うちの父ちゃんなら思い切ってグサッと行くんだけどネ・・」と言いつつ
無事にトゲを取り出してくれました。親切な方でした。


伊万里市内の「伊万里神社」に参拝!

前日は、けんか祭りでおみこしをぶっつけあって壊すという
荒っぽい行事があり・・壊れたおみこしが置いてありました


伊万里の橋には、陶器の飾りが飾ってあってみて歩いても楽しいです。

以前の九州の旅で偶然に知り合った、
老舗陶磁器店の「古川陶磁器店」さんに立ち寄りました・・・

以前”有田陶器まつり見学”に行ったのですが、お店に立ち寄った際に、
大奥様が私達のどこが気に入って頂けたのか分かりませんが
大変親切にして下さいました。

それを機会に手紙のやりとりや、商品をたまに購入するように・・・
私の母が亡くなった時には、立派な青磁の仏像まで送って頂いて恐縮しました
時が立ち、その大奥様も故人になられて寂しい限りです
店では、お嫁さんがいらっしゃいましたが昔話に花が咲いてしまいました。
以前購入した「コンポート」が一つ欠けたので同じものを買おうとしましたが
もう生産はしていないと・・その代りにとご自分のお宅でお持ちの物を譲って下さいました
伊万里の町は、なんだか自分の親戚がいる地のようです。


本当は玄海の方へ行きたかったのですが、
日程の関係で糸島にある芥屋(けや)の大門に向いました

柱状節理の洞門が船で見学できるのですが海が荒れていてダメでした
小高い丘の登ると海が見えます。新婚さんの写真撮影も行われていました

近くに太祖神社があります



牛の石像や古い絵馬等もあります



昼は、すぐそばの「大門茶屋」で”海鮮重”を食べましたが値打です。(¥1350)


サンセットロードを走り”二見が浦”に立ち寄りましたが
芥屋の大門で出会った中国人の美しい若いお嬢さんと再会・・
自転車で移動してきたと聞き逞しさにビックリ!!!
スマホで動画を取ってUPするインフルエンサーのようでした


宗像大社(辺津宮)は宗像大社の三つの宮の一つで、宗像三女神の一柱、市杵島姫神を祀っています。
海や川との関わりの深い三女神をまつる本土の信仰の場として、宗像大社の神事の中心となっています。

 鳥居をくぐり、参道を進むと、神門の向こうに本殿があらわれます。
社殿は、遅くとも12世紀までに築かれたことが分かりますが、戦乱などにより度々失われましたが
1590年に九州に転封された小早川隆景によって拝殿が再建されました。
時代が変わっても、信仰は途切れることなく現在まで続き、本殿・拝殿は国の重要文化財に指定されています。


”宮乃嶽神社”へ・・・
年に2度、「光の道」とよばれる境内石段から玄界灘まで
真っすぐ伸びる参道の延長線上に夕日が沈むことで知られる神社です


あいにく光の道の各当日が一週間位ずれたので真っ直ぐと言う訳には行きませんでしたが
それでも大勢の人が石段に座って見物していました。


翌日は、北九州市にある「松本清張記念館」へ・・隣は、小倉城です

年代別に作品や解説が分かりやすく展示してあります



2Fには、清張さんの書斎が東京から移設してそのままに・・





厖大な資料・本・愛用の眼鏡などが展示してありました・・・

編集者・来客と話をされたのは・・・
この応接室で・・・・


最期は門司の関門海峡大橋を眺めながら九州ともお別れとなりました。
九州では、ツアーでは行くことのない珍しい場所や風景を見て
色々な方々に出逢えて貴重な体験をさせて頂きました
旅に出ると体重も体脂肪も減少して元気になります

もっと旅をしたいよぅ~・・九州・・・!(^^)!


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九州一周の旅 柳川・白秋記念館・古賀政男記念館・大川内山窯

2022年12月29日 | 
 福岡県柳川市にやってきました
水郷巡りの乗船場の横に、三柱神社がありました

境内に入る欄干端の擬宝珠は、柳川城二の丸前の橋から移したとされ、
現存する貴重な柳川城の資料となっています

1826年柳河藩9代藩主立花鑑賢により創建・・

藩祖の立花宗茂とその妻・ぎん千代、妻の父である戸次道雪の三神を祀り、
社名もこれに由来しています。
平成17年(2005)に大部分が焼失したそうで残念なことです。

境内には、ねじれた松が何本かありました。
御朱印をもらおうと訪ねた巫女さんはあまり感じの良い人ではありませんでした
私がこの「松」のような根性をしているオトコと察したのかも知れません(笑)


柳川水郷巡りは、初めての体験です

ここではエンジン付きの船は一艘のみであとは禁止されているそうです

船頭さんは、櫓をこぐのではなく、竿をさして船を進めます

約1時間かけて終点の立花邸御花まで来ました


柳川藩主立花邸資料館

ここから車を置いてある乗船所までは、送迎の車がありますが
待ち時間がもったいないのでタクシーで戻り



北原白秋記念館/白秋生家に向いました




明治18年、北原白秋の生家は、代々屋号を「油屋」とか「古問屋」と称する海産物問屋でしたが、
白秋の父の代になると、柳川地方でも一、二をあらそう酒造業を営むようになりました。
当時の北原家屋敷は、一町三反という広大な敷地を有し、
母屋との間には、流れのきれいな掘割りがありました。
しかしそんな生家も、明治34年の沖端大火災で大半を焼失。
昭和44年11月に復元され、平成元年2月には母屋に附属していた隠居部屋も復元。
現在、この生家内には白秋の著書や遺品が展示されています



白秋が子どもの頃かいた落書き・・・

白秋の「デスマスク」





近くの大川市には「古賀政男記念館」がありました

古賀政男の生家

作曲した楽譜その他が展示してあります
ビデオも流れていましたが、古関裕而氏との比較映像がほとんどで
最後まで見るにはかなりの時間がかかります・・
また、館内ではフルートの練習?をしている人が2名いて
甲高い音が耳につき落ち着かない雰囲気で失礼ながら期待外れでした

3時半ごろ「大川内山」に到着・・・

今回で2回目の訪問となります
大川内山は、かつて鍋島藩の徹底した管理のもと「色鍋島」「鍋島染付」「鍋島青磁」などの
傑作を生み出した藩窯(はんよう)があり三方を山に囲まれ、
山水画を思わせる独特の風景はまさに「秘窯の里」。 ・・
いろいろ見て歩くのは楽しいものです


以前青磁を購入した「天然の鍋島青磁」専門の窯元を訪ねました・・・
女将さんが感じの良い人で、
私達との交流のあった伊万里の老舗の陶磁器屋さんともお取引があり話が弾みました
焼酎を飲むのに丁度よい青磁器が有ったので購入・・
女将さんがおっしゃるには、高台に貼ってある「上」と言う文字・・
特に良い製品の目印なのですよ!と教えて頂きました

旅先で感じの良い方に巡り合うと気分が良くなります


今日の温泉は「伊万里温泉」・・・
これが今回の旅で一番混雑していて大勢の人が利用していた温泉でした
中にはレストランもあり、親子連れも大勢いました。
浴槽の写真を撮るなど論外(笑)・・とても・・とても・・
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