五、「教会とわたしたち」(315)
4.近代の教会の夜明け
―宗教改革―スコットランド歳は58歳であった。彼の遺体は当時エディンバラに滞在中の数人の貴族たちと、その他親しい者たちに付き添われ聖ギレス教会に運ばれた。あのノックスと争ったスコットランドの女王メアリーがこの二ヶ月前にロンドン塔に監禁された。そのこともあって、スコットランドの全国民はノックスの死を心から哀悼した。彼の告別式は二日後の11月26日、エディンバラのセント・ジャイルズ教会で盛大に行われ、その教会の南に接する教会墓地に葬られた。ノックスの死の当日、摂生に任命されたモントル伯は、簡単な言葉で墓の前で告別の辞を述べた。「ここにいかなる人間をも恐れず、また何人にもおもねることをせず、剣しばしば彼を脅かしたにもかかわらず、平和と栄光のうちにその生涯を終わった人がここに眠る」と。その言葉がノックスの墓碑銘に刻字され、その複製が今日も残っている。(ここまで前回)
このモルトン伯は、J・ノックスの死後、教会の危機的戦いに敢然と立ち向かった。四ヵ月後、残留していたメアリー女王党がエディンバラ城に立て篭もり反乱を起こした。1572年2月であった。改革派教会の存立を脅かす内戦となった。ジェームス6世(5歳)を要する国王党の重鎮モルトン伯は伝統的に親英派であり、英国の支持を取り付け、支配権を急速に拡大して女王党を孤立させた。すなわち(つづく)