日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-06-23 03:08:53 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(317)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

かくしてエディンバラ城の籠城派は完全に孤立した。同月、英国女王エリザベツはモルトン伯との約束を守って、イングランド軍をスコットランドに派遣した。十一日間の砲撃戦で、イングランド軍の大砲がエディンバラ城の城壁を破壊し、5月28日に籠城軍は降伏した。かつて1560年リースにイングランド艦隊を派遣してフランス軍を追い払ってプロテスタントの会衆軍を助けたことがあったが、ここでもエリザベツがスコットランドのプロテスタントを救った。神の歴史の不思議な巡り会わせというより他に言いようがない。

  その後1603年、英国の女王エリザベツの死去、スコットランドのジェームス(ここまで前回)

6世が61歳で英国の王になった。エリザベツに嫡子がないので、元イングランドの王ヘンリー7世の曾孫にあたるこのジェームス6世がイングランドのジェームス1世としてそのままイングランドの王位に着いた。かつてあの腹黒いメアリー王女が、自分がこのヘンリー7世の孫に当たるという理由で、イングランド王女エリザベツと王位継承で争ったのは、その血統のゆえであった。この母親から、出生直後、幼児の時から引き離されて育てられたジェームス6世がイングランドの王位に即位するとは、われわれの想像に及ばなかった出来事となった。これをイギリス史では王冠連合(Union of the Crowns)という。(つづく)


聖書研究

2015-06-23 03:07:22 | 大分中央ウィークリー

創世記21章13節である。「しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」という。神の言葉はなおも続きます。側女、ハガルの子に対しても神は配慮される。かつて、アブラハムにその妻サラが身ごもると言われたときから、先に86歳のときに(16:16)生まれていたハガルの子はどうなるのかアブラハムには大きな悩みであった(創17:18)。 

しかし神のこの言葉は、その時も今もかわらず、ハガルの子、イシュマエルに対する約束は変わることなくここで実行されるのであった。理由は「あなたの子であるから」である。しかしこの言葉によって、明確にイサクと区別されている。直接の選びの系列の中にはないという言い方である。それにもかかわらず、アブラハムとの血のつながりよって、神の契約の中に入れられ、「一つの国民の父とする」という光栄を受けるのである。 

14節である。「アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の皮袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。」という。「子供を連れ去らせた」は10節のサラが言う「追い出してください」とは、大きな違いがある。父親としてのアブラハムの感情を言葉遣いに読み込ませたものと思われる。 

それにしてもこの文章は、イシュマエルが幼児のように読ませているが、実際の文脈はは14歳の少年でなければならない。「 (乳離れした) イサクをからかっている」(9節)ところからも少年である。聖書学の問題である。


牧 会 通 信

2015-06-23 02:57:21 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その6)

◯師は力強く機敏な両手で墓の間、あのものの方へわたしを押し動かして言つた、「丁重な言葉づかひをしろ。」

  わたしがその墓の下に着くと、あのものはすこしわたしを凝視(みつ)めてから、ほとんど蔑むやうに、わたしに尋ねた、「そなたの先祖は誰か?」

従順でありたかつたわたしは、隠さずにすつかり打明けた。すると眉をすこし釣上げて言つた、(ここまで前回)

◯「あのものたちはわしとわしの先祖と党派に、残酷狂暴に敵対してゐたのだ、だからわしは二度あのものたちを追ひ散らした。」

  追ひ出されはしましたが、二度とも、」とわたしは答へた、「八方から戻つてきました、でもあなたの味方は戻る術(すべ)を良く学び取らなかつた。」

  そのとき蓋の持ち上げられている墓の口から、一つの霊があの霊と並んで顎まで現れた、たしかに起き上がつて膝をついてゐたのだ。

(つづく)

◯2015年6月21日は、今年の第二十五主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、ルカ6章35~45節、その43節、「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。」という。自然の秩序は首尾一貫している。ところが人間はそうではない。心があるからである。心の変化によって体が動き、動かされた体が実を結ぶ。ところがその心を制御できる人は誰もいない。従って人間の場合はよい木が悪い実を結ぶときがあるのである。まして最近はその心が神のごとくになった。危ない人間。 

◯写真は、長崎伝道所の6月14日の特別伝道礼拝記念写真である。礼拝出席者39名であったとの報告。活水女学院からの聖歌隊の応援を受けたとのこと、よい伝道方法である。