五、「教会とわたしたち」(332)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
年が明けて、1519年1月2日の聖日、ツヴィングリはチューリヒの中心にそびえる大聖堂の教会の説教壇に立った。それ以来12年間の彼の活動は、基本的には説教者としての務めであった。この説教壇から語られる聖書の講解説教および時宜に適った主題説教が、チューリヒにスイスに、そして他の諸国に改革派教会の、ルター派とはまた違った、伝統を生み出すことになる。ルターの場合もそうであったが、宗教改革は何よりも先ず〝説教運動〟であったといえる。いつの時代もいえることであるが時代の曲がり角では、聖書の説教が勝負どころとなる。これは今日も同じである。(ここまで前回)
ツヴィングリの説教はマタイによる福音書の連続講解説教からはじめられた。今日では想像しがたいが分らないラテン語の短い説教があっても、それをラテン語ではなく、日常語、チューリヒのドイツ語で講壇から語られる説教が、聖書そのものしかもこのように聖書を連続して取り上げ、始めて自分たちの言葉で語られて、身近なものとして耳にした聴衆の感動と興奮は、現代のわれわれには、ほとんど実感できない。このようにしてチューリヒの地域共同体にも、宗教改革派(新信仰派)とローマカトリックの(旧信仰派)という二つの信仰集団が並存することになった。中世の大前提は一つの地域には一つの思想、心情、信仰という大前提が定着していて、二つの集団はあってはならない現象である。(つづく)