五、「教会とわたしたち」(332)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
中世の大前提は一つの地域には一つの思想、心情、信仰という大前提が定着していて、二つの集団はあってはならない現象である。(ここまで前回) もちろん、宗教上の対立はその地域の政治分野での対立となって現れてくる。事実、このときのチューリヒでは、路上での実力行使にまで至った。
こうしたとげとげしい社会環境の中で起きたのが、1522年春のソーセージ事件として語り伝えられているものがある。それは、その年の3月22日は灰の水曜日であった。この日からレント(受難節)に入るので、この日からその社会では、四十日間断食に入るのが習慣化されていた。その水曜日の夕刻のその少し前からのこと、ツヴィングリの一群の支持者らがその地域の印刷所で集合して、彼らは、時が時なので、チューリヒの日常語のドイツ語訳聖書の刊行を目指して徹夜も辞さずという勢いで印刷作業を続けていたときのことである。彼らに幾人かがそれぞれ空腹を覚えたので、持参していたソーセージを口にいれた。折も折り肉および乳製品を食べることを禁じる四十日間断食の期間であった。一気に政治問題となった。ツヴィングリ自身よりも弟子たちの方が、どちらかといえば熱心であり、彼らにとっては、この期節の断食の破棄こそが、かねてからの彼らの(師ツヴィングリが解いてやまない)福音の自由の実現そのものであった。(つづく)