五、「教会とわたしたち」(333)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
ツヴィングリの説教はマタイによる福音書の連続講解説教からはじめられた。今日では想像しがたいが分らないラテン語の短い説教があっても、
それをラテン語ではなく、日常語、チューリヒのドイツ語で講壇から語られる説教が、聖書そのものしかもこのように聖書を連続して取り上げ、
始めて自分たちの言葉で語られて、身近なものとして耳にした聴衆の感動と興奮は、現代のわれわれには、
ほとんど実感できない。このようにしてチューリヒの地域共同体にも、宗教改革派(新信仰派)とローマカトリックの(旧信仰派)という二つの信仰集団
が並存することになった。中世の大前提は一つの地域には一つの思想、心情、信仰という大前提が定着していて、二つの集団はあってはならない
現象に明らかに反するのである。(ここまで前回)従って、ルターもカルヴァンも、またスコットランドのノックスの場合もそうであったが、穏やかにことが
進むはずがない。この時代の宗教上の分裂は、そのままその社会の政治上の分裂を生み出すことになり、同一社会で民衆庶民が相争うようになった
のも必然の結果であった。事実、1521年から22年早春にかけて、時には路上での実力行使の喧嘩騒動にまで及ぶのであった。たとえば1522年
3月22日の聖灰の水曜日に、忙しい徹夜の印刷物発行のために、ある印刷所に会した両派の信徒のうちツヴィングリ派の人が、ひょいと口にソウセ
ージを運んだ。~(つづく)