五、「教会とわたしたち」(357)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
四一〇年八月二十八日、「永遠の都(ローマ・アエテルナ)」と信じられていたローマ帝国は、こともあろうに、わずか数日で西ゴート族の軍勢によって攻略さ
れてしまった。どうしてこのようにもろくも大帝国が崩壊したのか。多種多様な見解の一つであるが、それはローマ帝国がキリスト教を公認(313)してから
始まったという。キリスト教公認によって皇帝礼拝の絶対性を切り崩し、国家内にキリストの神の礼拝をもたらした。暴力的迫害によって殉教したペトロやパウロ
や多くの殉教者たちを保護の下に置く政策をとった。しかし、それによって従来の国家の、法による軍の権威を内側から切り崩す結果になった。ゴート族のような
殺戮、略奪や拉致や虐殺に対しての守りを怠ったといわれている。信仰理解の誤りと政治の失態に対する神の報いであったという。キリスト教内部の無力感と
異教徒の批判に(ここまで前回)キリスト教こそローマの国家の滅亡に責任があると、教養のある異教的な貴族たちが農民たちを扇動して非難した。このとき信
頼の篤い友人の勧めを受けて立ち上がったのが、キリスト教の大思想家アウグスチヌス(354~430)であった。彼は先ず、キリスト教信徒に向かって語りかけ
た。キリスト教信仰のご利益に加担する誤った信仰姿勢を質すことからはじめた。彼は、もともとアフリカ人であり、新しい第二のローマ帝国の期待もギリシャ的
神話も全面的に無視した。そしてキリスト教的なこの世の国をも全く考えもしない。極め細かな答を彼のその(つづく)