日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-05-10 13:43:42 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(361)  近代から現代へ(宗教改革とその後) 

はじめに近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その2)

それにもかかわらず、謙虚からは一種の高挙が、人間の倨傲(きょごう)の結果としてではなく、神の恵みの賜物として湧き出るのである。このような高挙は、

あらゆる地上的倨傲の尖塔よりも高く、わたしたちを引き上げるであろう。しかしてそのような土台の上に揺れ動くものは、何と安定を欠くことであろうか。

(前回ここまで、訳文28頁4行目)

わたしたちの現下の主題であるこの国(ローマ帝国)の王であり建設者であられる神は、その民ユダヤ人の書物の中にその律法の定めを明示された。そこには

こう書かれている。「神は矯(いつわ)り高ぶるものに逆らい、謙虚なものに恵みを与えられる」(詩篇114・15.但し邦訳は異なる)。これは神の言葉であるが、傲

慢な人間の思い上がったこころは、これをこじつけ、次の引用文をあたかも自分への賞賛として聞きたがる。打ちひしがれたものに思いやりを示し、おごり高ぶる

ものを打ち砕く(ヴェルギリウス『アエネアド』六・八五三)。わたしが地上の国についても語らなければならないのは、そのためである。もろもろの国は地上の国に

隷属するが、それはまさに支配欲そのものによって支配されている。わたしが取りかかった仕事は、どの一つをも省くことが許されない。十分な理由があり、能力

の許すかぎりは、すべてを言わなければならないのである。(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968


聖書研究

2016-05-10 13:35:03 | 大分中央ウィークリー

創世記23章3節である。「アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。」という。「遺体の傍らから立ち上がり」という。先にアブラハムはサラの遺体のそばに来て、「サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。」といわれている。その悲しみは、深いが、悲しみに浸って折れないのは今日も同じである。次は遺体の葬りであった。

しかし、アブラハムは半遊牧民族で、先住民族の中に割り込んで入った部族であった。従って、その先住民族の「ヘト人々に頼んだ」という。「ヘト」とは「ヒッタイト人」(前1600~1200)のことで、今のトルコ東部に起源を持つ民族である。その民族は全体としてパレスチナまで南下した形跡がない。何らかの事情で部分的に定着したらしい。従って彼らは実に謙遜であった。アブラハムは気安く「頼んだ」と。 

4節である。「『わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのですが。』」という。このようにいって頼んだ相手は3節に言われている「ヘト人」であった。人間の社会は今も昔と変わらない感情を持つのは冠婚葬祭の出来事のときであった。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ12・15)といわれる出来事である。 

従ってここ、今から3800年ぐらい年月が隔たっていても同じであった。アブラハムは妻サラのなきがらを前にして、先住民であるヘト人に墓地の譲受を願うのであった。「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、~」と、実に先住民に失礼にならないように心配りを怠らない。人間社会の基本的あり方である。


牧 会 通 信

2016-05-10 00:37:24 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その10) 

◯この木の新しい根にかけてわたしは誓言する、自分は名誉にふさはしかつたわが主君に対する忠誠を決して破つたことがないと。

 そなたたちの内の誰かがあの世界へ戻つていくなら、嫉妬が与へた打撃のためにまだ横はつてゐる、わたしの追憶を力づけてやつてほしい。」

(ここまで前回)

◯すこし待つてから、「このものが黙つてゐても、」と詩人がわたしに言つた、「時をむだにしてはならぬ、話しかけて、訪ねるがいい、もつと訊きたければ。」

それでわたしは詩人に言つた、「わたしを満足させるとあなたが思はれることを、さらに自ら尋ねて下さい、気の毒でゐたたまらず、わたしには出来さうもあり

ませんから!」

それで詩人はまた言ひ始めた、「そなたが切望することをこのものに喜んでしてもらひたければ、閉じ込められた霊よ、もつと話してやつてほしい、(つづく)

 

 

◯2016年5月8日は第十九主日、昇天後主日という。日聖協「聖書愛読こよみ」は「聖霊の約束」という主題。聖書はヨハネ14章16節。「わたしは父にお願

いしよう。父は別に弁護者を遣わして、永遠にあなたがと一緒にいるようにしてくださる。」とある。「弁護者」とは口語訳聖書は「助け主」と訳されていたが、原

語「パラクレートス」は「側にあって弁護する者」の意を持つので「弁護者」と。

 

 

◯写真は、5月4~5日、佐賀県・虹の松原ホテルで開催された九州中会全体修養会記念の写真です。

写真