五、「教会とわたしたち」(362)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後) はじめに、近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その3)
わたしが地上の国についても語らなければならないのは、そのためである。もろもろの国は地上の国に隷属するが、それはまさに支配欲そのものによって支
配されている。わたしが取りかかった仕事は、どの一つをも省くことが許されない。十分な理由があり、能力の許すかぎりは、すべてを言わなければならない
のである。(前回ここまで、訳文28頁15行目)
1、 ローマが略奪を蒙ったとき、蛮族たちはキリストのゆえに、いなキリストの名を否むものをも助命した。地の国からはもろもろの敵が起こり立つが、わたし
たちは神の国を彼らの手から守らねなければならない。確かに彼らの多くはその不信心な誤謬から立ち帰り、神の国の善良な市民となった。しかし他の多くのも
のは、天の国に対する憎悪に燃え立ち、贖い主によって彼らに恵与されることの明らかな恩恵に対して、感謝しようとしない。彼らが敵の刃を免れて逃げ出した
際に、もしも聖所(教会)の中に隠れ家を見いださなかったならば、生き延びて雑言の一つたりとも吐くことすらできなかったことであろう。キリストの御名を憎んで
いるのは、蛮族たちがキリストのゆえに命を助けた、その当のローマ人たちではないだろうか。
殉教者たちの廟(びょう)堂や使徒たちの会堂がこの事実を証しする。ローマ略奪の間、そこに避け所を求めた者には、キリスト信者たると(つづく)
(教団出版「神の国」出村彰訳1968)