五、「教会とわたしたち」(363)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)はじめに、近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その4)
(1、ローマが略奪を蒙ったとき、~)
殉教者たちの廟(びょう)堂や使徒たちの会堂がこの事実を証しする。ローマ略奪の間、そこに避け所を求めた者には、キリスト信者たると(前回ここまで、訳
文29頁9行目) 異教徒たるとを問わず、これらの会堂は等しく門戸を開いた。残虐なる蛮族どもは荒れ狂ってこの門のところまで殺到したが、その殺意に満ちた
恐怒もそのしきいを越えて及ばなかった。蛮族の中でも慈悲心に富む者どもは、聖所の外でその命を助けた人々が、それほどは憐れみ深くない敵の手に陥るこ
とのないように、彼らをその建物に伴って来た。他の場所では殺戮や略奪をほしいままにした者たちでさえ、のちにはこれらの場所に来はじめた。そこでは、他
処では戦争の掟によって許されていることも、厳しく禁じられていたのである。その門の内側では彼らの燃えたぎる殺意は消え失せ、征服欲も抑制された。
このようにして多くの者が生命を全うしたが、今わたしたちのキリスト教信仰を非難し、ローマ市に降りかかった禍をキリストのせいにするのは、その者たち
である。蛮族たちがキリストに対する尊崇のゆえに彼らに示した恩恵(そしてそれが事実彼らの生命を救ったのであるが)を、彼らはわたしたちのキリストに帰
せず、幸運のせいにする。もしも彼らが正義の何たるかをわきまえることができるならば、~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968)