五、「教会とわたしたち」(365) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その6)
(1、ローマが略奪を蒙ったとき、~)
いずれにしても、これら血に飢えた蛮族たちはキリストの名のゆえに、いずこにおいても、特に聖別された建物(それらの最大のものは聖所として、きわめて多数のものに避難所を提供した)の中で戦争の常のならわしをはるかに超えた憐憫の情を示したのである。わたしたちに反対する者たちはこの幸運を、彼らがキリスト教の時代に生きているという事実に帰すべきである。彼らはこのことについて神に感謝を捧ぐべきである。このことのゆえに(前回ここまで、訳文30頁8行目)~彼らは真摯に神の名を呼び求め、永劫の火による処罰を免れるよう祈るべきである。結局のところ、彼らの多くが目前の破滅という刑罰を逃れるため、偽って口にしたのは神の名だったからである。
わたしたちは多くの者がいま厚顔無恥にもキリストの僕を侮辱していることを知っている。その中にはもしも彼ら自身がキリストの僕であるかのごとく偽らなければ、大量殺戮を免れなかったであろう者も、数多く含まれている。然るに彼らは忘恩にして傲慢に満ち、狂気ごとき不信心からのキリストの御名に抗(はりあ)い立ち、永遠の暗闇の刑罰へと陥る危険を冒している。彼らがこの世の光のいくばくかを享受せんと欲し、偽って口にしたのは外ならぬこのキリストの名であった。
2、これまでどのような戦争においても、(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968)