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日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック 

2016-06-15 19:05:44 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(366)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その7)

(1、ローマが略奪を蒙ったとき、~) わたしたちは多くの者がいま厚顔無恥にもキリストの僕を侮辱していることを知っている。その中にはもしも彼ら自身が

キリストの僕であるかのごとく偽らなければ、大量殺戮を免れなかったであろう者も、数多く含まれている。然るに彼らは忘恩にして傲慢に満ち、狂気ごとき

不信心からのキリストの御名に抗(はりあ)い立ち、永遠の暗闇の刑罰へと陥る危険を冒している。彼らがこの世の光のいくばくかを享受せんと欲し、偽って口に

したのは外ならぬこのキリストの名であった。 2、これまでどのような戦争においても、(前回ここまで、訳文31頁1行目)

 

戦勝者が純粋に宗教的な理由から敗者の命を助けたことはなかった。 3、トロイ(前3世紀)を救うことのできなかった神々が、その悩みの日に何か役に立つと

考えるローマ人は愚かである。 :::わたしの計画に従って、わたしはできるだけ急いで、これら忘恩の徒(ともがら)について語ろう。彼らは彼らの悪口の当然の

報いとして受くべき災害を、不敬虔にもキリストに帰し奉ろうとするのである。彼らは異教徒であったにもかかわらず、キリストの御名は、彼らにふさわしくない安

全を容認したのである。よこしまで瀆神的な狂気の沙汰ながら、彼らは~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968


聖書研究

2016-06-15 19:03:12 | 大分中央ウィークリー

創世記23章8節である。「(アブラハムは)頼んだ。『もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。ツォルの子、エフロンにお願いして、~』」という。ここに「亡くなった妻」と翻訳されているが、その原語は「わたしのマウト」であり、その「マウト」の意味は「死人」である。したがって口語訳は原文に忠実に「わたしの死人」と翻訳している。 

たとえそうでなくても、キリスト教会では、一般に、「亡くなった」という日本語を使わない方がよい。キリストが死人の中から復活されたからである。死人となれたキリストの遺体に布を巻きつけて葬るための用意をしてあったが、イエスはその布をそのまま証拠物件として墓に残して、復活された(ヨハネ20・6)のでありました。 

9節である。「『~あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。』」という。アブラハムの熱心な嘆願が続いている。要するに、「十分な銀」をというが、感覚的に「十二分の」という意味でなく、文字通りでは、「相応の銀」という意味である。墓地のための土地をぜひ譲って(売買して)くださいといった。しかも「畑の端にあるマクペラの洞穴を」という。この時代すでに税金制度があって、アブラハムの考えでは、負担の軽減、その税の安いという意味で劣等な場所を指定したのかも。 

初めからこの「マクペラ(地名)の洞穴」を予定していたようであるが、ヘト人の反応から、彼らの腹の内の消極的な姿勢を読み取りながら、この9節でアブラハムの方から積極的に、「あの方の畑」と指定して個人的交渉に入ったようである。


牧 会 通 信

2016-06-15 18:38:42 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その15)

◯自分の持場に猪と猟犬が走つてくるのに感づくもの、野獣が葉繁みをガサガサさせるのを聴きつけるもののやうに。

  すると左側からまる裸で引つ掻き傷だらけの二人が激しく逃げてきた、森の妨害する枝をみんなボキボキ折りながら。

  先立つものが、「さあ走れ、走れ、死だぞ!」と叫ぶと、あまりにもうんと遅れているように見えた、もう一人が叫んだ、「ラノ(トッポの戦いでフィレンツェの町を

助けて出征し戦死)、お前の足は

(ここまで前回)

◯トッポ(地名でなく寺社の領地、1288年)の戦闘(たたかい)でもそんなにすばしこくなかつたぞ!」すると恐らく息が切れたのだらう、その霊は自身と一本の

潅木を一つの縺(もつ)れとなした。

  二人の後(うしろ)の森は鎖から解き放たれた猟犬のように、貪欲に突つ走る黒い牝犬どもでいつぱいだつた。

  奴等は隠れたものに歯を立てて、ヅタヅタに噛み裂いてから、ヅキヅキ痛む肉を運び去つた。(つづく)

 

◯本日は、2016年6月12日は第二十五主日、三位一体後第四主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「神の宮をあずかる者」という主題。聖書はⅠコ

リント3・10~17節である。その17節、「あなたがたはその神殿なのです。」という。わたしたち一人一人は「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」

(6・19)ともいいます。良い信仰を宿して働かせましょう。

 

◯写真は神学校の食堂。撮影は6月6日12時30分。A・N